シュライク
焼けた不毛の大地。険しい山々。水は濁り、密林の奥には毒の沼が沸き立つ。
神々から見放された魔境、それがカッシル。
なんとも悲しく恐ろしい事に、それこそが全ての獣人達の故郷であった。
神々の信徒は口々に罵った物だ。「獣が住まうに相応しい地」だと。
或いはそうかも知れぬ。獣人達は精霊神を初めとする光の神々の事を何とも思っていない。
だがそれがどうだと言うのか。
その過酷な世界は、屈強無比な戦士を生み出す見事な土壌となった。
数えて十合、フェンとシュライクは歯を剥き出しにしながら打ち合った。
「馬鹿めっ」
フェンは吐き捨てた。十二将が一シュライク、流石の実力である。
十合の打ち合いの中何度も死んだと思った。死んでいて可笑しくない打ち合いだった
左目が潰されていても、何の問題にもならない。
これほどの男が!
振り下ろされるハルバード。
フェンは剣の刃に右手を添え、ハルバードの柄を受けながら左に逸らした。
真向から受け止めれば一撃で圧し折られる。同時にフェンも頭蓋を割られてお終いだ。
力の向きを逸らされてたたらを踏むシュライク。上半身が流れ格好の隙を晒している。
フェンは素早く手首を返し、突きに行く。
シュライクの目が爛々と光る。身体が泳いでいても視線までは揺れていない。
フェンの放つ切先を睨み据えるシュライクは突きに合わせて手甲を突き出した。
腕を撓らせた手甲でのパリィだ。当然だがこのタイミングにこの姿勢、シュライク以外にこのパリィを成功させられる戦士は居ないだろう。
「むぅっ」
「おぁっ」
どちらの呻きがどちらの物なのか。
フェンとシュライクは再び身を捩り、相手に打ち掛かって行く。
拳と蹴りを交えた剣戟の応酬。
剣と長柄では長柄有利とされるが、この二人の達人に一般論は通用しなかった。
互いに得物の振り方だけでなく、獣人の肉体を知り尽くしている。何処をどうすれば敵の力を殺せるか、受け流せるかを熟知している。
シュライクは大きくハルバードを振り回す。フェンは掻い潜る事も出来たが姿勢を崩す事を嫌って一度距離を取った。
「……お前と戦えた事は光栄だ」
息一つ乱さぬシュライク。フェンは乾燥しかけた鼻をぺろりと舐める。
「そのロマンチシズムの為に何人殺してきた?」
シュライクは肩を震わせてぐぐ、と笑う。
「ロマンを感じる程の強敵はそれほどいなかった」
「……くくく、散々殺した末にその言い草か。全く俺達獣人は、心底から救いようがない」
抑えようとしているのにフェンの口角が持ち上がる。
何故ならばフェンも、シュライクにロマンを感じているからだ。
息が上がり、腕が痺れ、毛並みが汗で濡れて光るまで。
二人は渡り合った。互いの視界の中から互い以外の存在が消えていった。
周囲で見守る獣人達は息の音一つ漏らさない。
牙を食い縛り、仔細漏らさず見届けようと睨み付けている。
「どうした虎人! 出し惜しみは無しにしろ!」
僅かな一呼吸の間、フェンは剣を構え直し、挑発した。
白き虎シュライクはただそれだけで優れた戦士だがその本領はまだ先にある。
彼が魔王カイラルに与えられた魔力は、まだ彼の腹の底に眠っている筈だ。
「あるだろう! 魔王と結んでまで手に入れた力が!」
魔将シュライクの名が轟いたのは今より十年も前だ。
既に亡き北の大国シーガーンのロイヤルランサーズを、シュライクはただ一人で殺し尽くした。
後には面の皮を剥ぎ取られ、心臓を食われた精鋭達の骸ばかりが残ったと言う。
その時シュライクは青い炎を身に纏っていたと言う。魔王の炎だ。
「あれは俺の力ではない。今では恥じている」
「何だと?」
「俺は戦士だ。理性無く、ただ血に飢えて暴れ回る獣ではない」
シュライクはハルバードを握る手に力を込めた。肩と背の肉が盛り上がる。
「俺は、俺達は、全ての魔族達は
多くの神々が言うような、下劣な存在ではない……!」
そうだろう、陛下。そうだろう、クノーノス。
また笑う。
「雑念が混じった」
心を研ぎ澄ます。だが、しかし、どうも、雑念が消えてくれぬ。
シュライクは大きく息を吸い込む。
フェンが滑るように前へ出た。大振りの袈裟。早くも鋭くも無い。見せ掛けだけの攻撃だ。
シュライクはハルバードを打ち合わせる事もせず、手甲でそれを弾いた。案の定弾かれた剣は蛇のように軌道を変化させ掬い上げるような薙ぎが来る。
腕を振り子のように回転させ、シュライクは再び手甲で弾く。
フェンの剣は更に軌道を変え、次はシュライクの喉を狙う突きへ。
変幻自在の剣。力強さと技術の両方を感じさせる。
シュライクは首を捻って突きをかわした。フェンはそのまま体当たりを仕掛けてくる。
犬人の瞬発力を最大限生かした突進だ。二人は揉み合いながら倒れた。
『いいや違う筈だ。シュライク、何故戦わなかった。お前には出来たはずだ』
雑念が、消えぬ。
フェンがマウントポジションを取る。逆手に持った剣を振り上げる。
シュライクは剣が振り下ろされるより早く思い切りブリッジした。フェンの身体ごと腰を持ち上げ、そこから身を捩って拘束から抜け出す。
素早く身を起こせば既にフェンは飛び掛かって来ていた。
俺よりも早く、俺よりも鋭い。シュライクは牙を剥き出しにした。笑顔だった。
『お前は、何の為に、生まれて来たのだ』
竜よ、俺達の竜よ。
高らかに戦いを宣言したその姿を、つい昨日の事のように思い出せるぞ。
魔王カイラルよ、俺達の竜よ。
徒手空拳。シュライクは腰を落としてフェンを待ち受けた。
先程とは比べ物にならない速度の唐竹割。シュライクは半歩下がる。
剣がずるりと伸びた。少なくともシュライクはそう錯覚した。
完全に見切った筈の一撃が伸び、シュライクの右の頬をばさりと斬る。
片目ゆえに距離感を誤ったと言うのか、このシュライクが。
白い毛が散らばり、血が溢れ出す。シュライクは下がった半歩を取り戻す様に踏み込んだ。
振り下ろされたフェンの手を押え、左のショートジャブ。
一発、二発、フェンの胸に突き刺さる。堪らずよろめいた所を右の正拳突き。
フェンは腕を交差させて防いだが剣を取り落とす。これで互いに無手。
シュライクはステップを踏んでハイキックを繰り出した。フェンはそれを受け止めたかと思うと蛇の様に絡み突き、腰を落としてシュライクを引きずり倒した。
――俺の知らない体術。これは、投げなのか?
「ぬあぁッ!」
フェンの裂帛の気勢。シュライクの腹へのストンプ。痛恨の一撃だ。
シュライクの全身が制御を失う。意思の力で如何こうできる物ではない。肉体の反射だ。
胃の中身を吐き出しながらシュライクは無様に転がって距離を取った。
転がっていたハルバードの元に這いずって辿り着く。
フェンも剣を拾い直し、荒い息を整えていた。
互いに致命傷は避けてきたが痩せ我慢もそろそろ限界だ。
「(陛下、俺は幸せだ)」
ハルバードを支えに立ち上がる。身体は言う事を聞いてくれた。
「(失意のまま死なずに済む)」
互いに示し合わせたようなタイミングで踏み込んだ。
先程よりも更に苛烈な斬り合い。守りをかなぐり捨てた攻め。
忽ち傷が増えていく。フェンも、シュライクも、鎧は拉げ、毛並みは血に染まり、指に力が入らなくなっていく。
雄叫びはどちらの物なのか。
「カイラル……俺達の竜よ……!」
「シュライクッ!」
「照覧あれ……!」
シュライクのハルバードがフェンの脇腹を抉り、
フェンの剣がシュライクの胸に突き立つ。
薄汚れた小さな砦の片隅で、見守るは迫害された獣人の戦士ばかり。
だが、満足だった。
――
「虎でなく、まるで猫のようではないか」
吹雪の吹き付けるオルカスの城。謁見の間に跪いたシュライクに、エルフが侮辱の言葉を投げた。
シュライクは顔を伏せたまま何も言わなかった。南方の戦いで受けた傷も癒えていない。
言葉を返す余力も惜しい。そして何より
「面を上げぃ」
この男、オルカス領の主カイラル。
軍を発し、人間達と苛烈に戦う北の魔王の目。
この燃えるような瞳の前では、何も言えぬ。
「ふーん? 面構えは悪くない。カイラル、私はこの虎人が気に入ったぞ」
「だろうな」
豪奢なドレスに着られているシエラベルタ。エルフの正装と勝手が違う北の装束に慣れないようで、未だ自然な振舞いとは言えない。
カイラルはそんなシエラベルタを笑いながら見た。
「だが何故だ、獣人よ」
カイラルは頬杖を突きながらシュライクに問い掛ける。
「……何故、とは」
「お前は数百もの戦士を従えながら、人間どもに追い遣られるままここに現れた。
カッシルは未だに我らに靡かぬ。交渉の席に着こうともせぬ。
そのカッシルの獣人を我々が歓迎すると思ったのか?」
「行く宛ても無き故に」
カイラルは一旦口を閉じた。目に剣呑な光がある。
「…………俺がお前なら」
身を乗り出した。
「兵を率いて人間どもと戦い、国の一つも起こしただろう」
「……それをしたとして、後が続くまい」
「その“後”が、我がオルカス領にあると思ったのか?」
「言葉遊びを止められよ……! ぐだぐだと無駄口を叩かず、俺を殺したければそうするが良い!」
「馬鹿め!」
シエラベルタが「我慢ならぬ」と立ち上がりシュライクに向かって駆け出した。
上座から跳躍し、ドロップキック。その両足がシュライクを吹き飛ばす、と言った寸前で、魔王の見えざる手がシエラベルタを空中で絡め取る。
「ぬぁっ! 離せ、カイラル! この女々しい虎人に戦士の魂と言う物を教えてくれる!」
「シエラ、話すのは俺だ。決めるのも俺だ」
「むぅ! 覚えて置け!」
シエラベルタは見えざる手に引き戻され、再び椅子に座らせられた。
全身に青い炎のようにも見える魔力を纏わりつかせたカイラルは相も変わらず頬杖を突いたままシュライクを見詰めている。
「死の覚悟があるならば尚の事だ。何故戦わない?」
「……」
「追い遣られる為だけに生まれて来たのか? 恵まれた肉体を持ちながら、ただそれを腐らせて死んでいくのか?」
答えないシュライクに、カイラルは凶悪な笑みを浮かべて見せた。
「俺は違うぞ獣人。俺は戦う。
お前はどうだ? 這い蹲り、震えているだけか?
いいや違う筈だ。シュライク、何故戦わなかった。お前には出来たはずだ」
お前は、何の為に、生まれて来たのだ」
只管に背が熱かった事だけを、今思い出した。
――
「俺は…………」
胸に突き立った剣を、シュライクは仰向けに寝そべったまま見詰めていた。
満身創痍のフェンがそれを見下ろしている。抉られた脇腹から激しく出血していたが致命傷ではない。
回復の秘薬があれば十分に持ち直すだろう。
しかしシュライクの傷はそうではない。
「戦う為に……生まれて来た……。それを思い出させてくれたのが……カイラル陛下だ」
フェンがシュライクの傍に跪いた。
「全ての獣人達が、そうだ」
「……北の大地に流れ着き、良い夢を見た」
「少し、羨ましく思う」
皮肉ではなかった。フェンの本心だ。
血の泡を吹くシュライク。魔王軍十二将最強の戦士が、たった一人の獣人に敗れた。
痛快である。やられた身でありながら、シュライクはなんだか面白かった。
「犬人の剣士、フェン」
「なんだシュライク」
「俺達の竜はどうだった?」
フェンは眉をへにゃりとさせた。魔王カイラル、恐ろしい強敵だった。とても言葉では表せない。
「……強かったよ」
「だろう? あの方は……俺達の……くくくっ」
血の泡を飛ばしながら笑って、シュライクは呼吸を止めた。
「おい、シュライク」
死者は答えない。
「シュライク、死んだのか?」
フェンは暫くその死に顔を見詰め、やがて思い出したように瞳を閉じさせてやる。
彼の胸から剣を抜いて、フェンは腰を下ろした。
少し休むくらいは許されるだろう。
周囲で戦いの行く末を見守っていた獣人の戦士達は、全員が跪いてシュライクの死に敬意を示している。
「……全く俺達獣人は、心底から救いようがないな」
フェンは先程の言葉をもう一度繰り返した。




