勇者のこころえ2
「へー、ど田舎にしては、いい宿屋じゃん。ベッドふかふか!!」
ばふん。そんな音をたてて、勇者の体がやわらかなベッドに沈む。
それを見下ろすライザの心は、かつてないほど冷えていた。
(何で、こんなことに……)
勇者たちは、ライザから金銭が要求できないことを知ると、次に『宿屋の息子』という彼の職業欄に目をつけて、ライザ家の宿屋に押し掛けていた。悪夢である。唯一の救いがあるとすれば、母が不在だったことだった。
しかし、その不在をいいことに、僧侶は風呂に入り、勇者は惰眠をむさぼる。事実、このエセ勇者はというと――
ごろりごろりと、ベッドの上を左右に転がる(自称)勇者。枕を抱きしめて、その表情はうとうとと……いや、寝るな。
慌ててライザは、アベルの意識を取り戻すべく、話題を持ち出した。
「ここいらの宿屋は、うちだけなんだよ! かーちゃんが、長旅で疲れた冒険者たちをぼろ小屋に泊めさせられるかって、見栄で三年前改装したんだ!! なんたって、うちは『英雄の宿』だから!」
「んあー、いーかーちゃんじゃねえかぁ……。ま、ここの宿泊費なら、おまえの『礼』に相当するかなぁー」
そういうと、勇者は再びごろごろとベッドの上で右に左に転がる。とりあえず、夢の世界からは脱却したようだ。勇者はごろごろ。ごろごろと、転がる。ほんとうに、大満足のようだ。不必要だと思われていた改装が、こんなところで役立つとは。不愉快だ。
「あ」
そのとき、ベッドに夢中だった勇者が止まった。それは、忘れていた何かを思い出したといった様子だった。
「……どう、したんだよ」
訝しげにライザが尋ねると、唐突に勇者はベッドの上に立ち上がった。
「?! な、なんだよ!」
「あー。そうだ。忘れてたわ」
そういうと、勇者はばりばりと頭をかいてベッドから降り立ち、おもむろに部屋の隅に置かれた壷を近づくと、それをのぞき込んだ。
「?」
「なんもねえな」
「なに? なになの?」
「なにって、探索だよ。勇者はな、魔王倒すまで民家で略奪することが、合法的に許されてんだよ」
「は?」
さらにアベルは部屋中の壷を眺める。
「しっかし、しけてんな。なにもない」
「はああ?!!」
勇者はぐるりと部屋を見渡して、今度はベッドの下をのぞき込んだ。
まさか、ベッドの下まで。そんなところに何かがあるはずがないのに。そう思ったライザだったが、
「うおぅ!! なつかしっ!!」
予想外の歓声があがった。
ずるりと、ベッドの下から這いでた勇者が握っていたのは、『ひのきのぼう』。冒険者が手にする初期装備だ。
「なっつかしいなぁ。でも、なんでこんなもんがあるんだ。こんなところに」
「…………」
ライザは目をむいていた。
古ぼけて、所々傷の入ったそれは見覚えがあった。三年前、ライザが捨てたものだった。捨てたはずの『ひのきのぼう』が、何故かベッドの下に隠されていた。
「それは……」
ひのきのぼうは、ただの初期装備ではない。勇者を夢みる少年たちが、素振りする武器だ。ライザは真っ赤になった顔を伏せた。それは――ライザが捨てた『夢』だ。
「……その顔。お前のか。……ふうん。振っても振ってもレベルがあがらないから、諦めたってところか」
「違う!!」
ライザが叫ぶと、勇者は嗤った。
「じゃあ、まじめに振っているところを村の悪餓鬼どもにからかわれてやめたのか?」
「……違う……」
「じゃあ、何だ」
はあと、ため息をついて、勇者は言った。しかし、ライザはそれに答えようとせず、沈黙がその場に下りる。
「……ライザ、お前が何で、勇者をあきらめたのかは知らないが、そんな態度でぶすっと黙っているだけじゃあ、何も解決できねえぞ。だから、いじめられるんだよ」
はっと息をのみこんだのは、ライザだった。
「いじめられて、モンスターの巣窟に放り込まれたのか」
今度こそ、それは正解だった。
この世は、レベルが全て。
幼いライザは、その事実を嫌というほど思い知っていた。レベル5のライザは、どうしたってレベルの高い悪餓鬼どもには勝てない。そうしていじめられるうちに、それはエスカレートして、今日はダンジョンに置き去りにされた。
もちろん彼らも、ライザがモンスターに襲われることは望んではいまい。ただライザが怯える姿が見たかっただけ。それが、ダンジョンの中で迷っているうちに凶悪なモンスターがはびこる深層にまでたどり着き、最悪の結末を迎えかけた。
「お前さ、いいなりになっていたら駄目だって、わかってんだろ」
「……勇者のお前には、分からないよ。俺は、レベル5なんだ……」
「は? 俺は、レベル1だけどな」
「あ」
そういえば、そうだった。驚きに顔をあげたライザに、勇者はひのきのぼうを突きつけた。
「じゃあ、勇者を諦めたライザ少年にいってやるよ。さっさと諦めて正解だったな」
「な、な……!!」
「勇者ってのはな、生まれつきなんだぜ」
「……!!?」
「生まれたての赤ん坊の頃から、職業欄に『勇者』と表示される。勇者ってのは、誰でもなれるもんじゃねえ。神に愛され、運命に選ばれた人間にしか、なれねえもんだ。つまりは、ま、宿屋の息子には、無理だ」
「そん……な……」
「だからな、お前がコレを振ろうと振るまいと、結果は同じ。お前は、勇者には、なれない。勇者は俺だ。お前が、なる必要もない」
だから、俺が貰ってやるよ。そう言って、男はベルトにひのきのぼうを突き刺した。
「ま、お前の、はずかちい馬鹿げた夢は、誰にも言わないでいてやるよ。男の約束だ。ってことで、コレは俺のもの。勇者は、俺。お前のものは、俺のもの。俺のものは、俺のもの。それでいいじゃねえか」
勇者は呆然とするライザにそう言うと部屋を見渡した。
「しっかし、戦利品はこれだけか」
勇者は頭をかきむしって、部屋を見渡す。漁られた壷や樽。ベッドに、机。そこをぐるりと見渡して、そこに取り残しがないことを確かめると、アベルは不作だなと呟いた。
「バカね、アベル」
そのとき、風呂にいっていたはずの人物の声がした。
ライザとアベルは、振り返る。部屋の入り口に身をよせかけた人物、彼女は言った。
「貴重品は、たんすの中と相場が決まっているでしょう」
したり顔で、ライザの母の隠し財布をかざしたのは、僧侶リグレット。
そして、彼女が着ていたのは、母のパジャマだった。
ちょっと、まて。
そこで、この非常識な現場を再認識した。そうだ、おかしい。間違いなく、おかしいのは、この二人だ。そして、俺のものは、間違いなく、俺のものだ。
ライザはこめかみに血管を浮かべて、立ち上がった。
怒りの矛先は、馬鹿二人。
勇者相手に説教をかました宿屋の息子は、きっとライザだけだった。
勇者パーティ二人を正座させて、ライザの説教は母が帰ってくるまで続いた。
*
翌日。
緩やかに降り注ぐ陽光。爽やかな鳥の鳴き声。肌に染み入る少し冷たいしんとした空気。
それを一身に受けて、勇者は宿屋の前に立って、大きく伸びをした。
「さわやかな、朝だな!!」
そう、頭にたんこぶがあること以外は。
結局勇者一行は、ライザの母の宿屋に泊まった。帰ってきた母は、ふざけたレベルの勇者と僧侶が息子相手に説教されている様子を見て、「あらー」と気の抜けた歓声をあげると、丁寧に彼らをもてなした。
勇者なんて、初めて見たわ。
母は嬉しそうに笑って、自慢の食事を振る舞い、勇者たちの旅の様子を尋ねた。リグレットは丁寧に他の町や城のことを説明して、アベルがそれを面白おかしく語った。二人の正体が何であれ、それは、三年前に消えうせた、あたたかな食卓だった。
ライザはあくびをする勇者の背中を見つめた。
(ふざけてるけど、話はおもしろかったし。冒険の話は、本物みたいだった)
ライザは昨夜の様子を思い出していた。
(こいつ、本当に勇者なの、かも……)
そのとき、浸っていたライザの前で、くるりと勇者が反転した。アベルはライザのもとまで近づき、その肩を抱いて、周囲を見渡した。
視界に、僧侶リグレットの姿はない。リグレットはまだ宿屋の中で母に挨拶をしているはずだった。加えて早朝なので、人の姿もまばら。しかし男はそれでも人目がないことを丁寧に確認し、その上でライザに耳打ちした。
「ところで、えー。ごほん。ライザくん」
改まった様子で咳をする。その仕草がわざとらしく、ライザは勇者の手を振り払った。
「何だよ、きもい」
「そのなあ、何だ。ここは、本当にいい村だよな。空気はうまいし。めしもうまい。子どもは明るく健やかだ。言うことないね、あと、一つあれば……なあ、ライザ。……………………れるお店は……ないのか?」
それは、本当に耳を済ませなければ聞き取れないような、小声だった。ライザは眉をよせて、勇者に問い返した。
「は? なに?」
「だぁかぁらぁ、バニーガールがぱふぱふしてくれる店はねえのかよ」
「ねえよ!!」
今、上がりかけた好感度ががっくり下がった。なんだ、この、エセ勇者。
「あー、欲はいわねえ。かわいい子に膝枕してほしい! 癒し! 癒しがほしい!!」
欲だらけじゃないか。つっこみたかったが、恐ろしくてやめた。そのかわりに。
「……その、あの、おねえさんはしてくれないの?」
僧侶リグレット。小柄な彼女は、世辞を含めずとも可愛らしい少女である。
その瞬間、アベルの首がぐるんと回って、信じられないといった目で、ライザをみた。
「あれが……女? いいか、あんなガサツで可愛い気なく、その上乳がないのはな、女じゃねえ、ごりらだ」
「聞こえてんのよ」
そのとき、母に挨拶をしていた僧侶リグレットが戻ってきた。
「うげっ」
彼女は手に持った大振りの杖で、アベルの頭を殴りつける。派手な音がした。
「あんたに女遊びしている暇なんてないわ、レベル上げにいくわよ」
「おっええええ、だっるーーー」
「うっさい!!」
再びがこんと杖でアベルの頭を殴ると、セスは彼の首根っこを掴んで引きずった。向かう先は、村の入り口。外でレベル上げの様子だった。
しかし、そこに違和感があった。
「あの……ってかさ、魔王倒しにいかないの? LV.153なら魔王ぐらい楽勝だろ」
そう、アベルはともかく、僧侶リグレットはレベル153なのだ。もう十分というほどにレベルは上がっているはずだった。しかし、リグレットは首を振った。
「残念ながら、私は僧侶だから、攻撃魔法は使えないの」
「え、そうなの?」
「そう、それに、物理攻撃もね。実はこの杖呪われていてね……攻撃力が……これだから」
そういって、リグレットは己の胸元をとととんとリズムよく三度たたいた。途端に、ライザの視界いっぱいに広がったのは、リグレットのステータス画面。
そこに表示されたのは、彼女の名前から、基礎ステータス、装備。性格に至るまで、ありとあらゆる個人情報。それは、通常ならば真に親しいものにしか見せない極秘情報だった。
思わず、眺め見たのは一瞬。すぐに、リグレットはその中の一点を指差した。
「バスト72……っぐふっ!」
「なに見てんのよ、エロがき。こっちだっつーの」
杖で殴られて、視線をリグレットの指差した先に移動させると、そこには彼女の示した情報が載っていた。
「攻撃力2って……」
攻撃力2。それは、レベル1の赤子と同等の力。当然、レベル5のライザの足元にも及ばぬ数値だった。
確かに、これでは。魔王の防護壁どころか、スライムさえ倒すことは怪しい。
どうして。思わず走らせた視線は、すぐにその理由にたどり着いて、止まった。
リグレットのステータス画面の中。装備の欄に、毒々しいほどの赤文字で刻まれたものがあった。その武器の項目には、大きな髑髏のマークがついた『カインの杖』という杖が表示されていた。
『呪われた武器』
ライザはリグレットの持つ大きな杖を見る。木製のそれは、華美な装飾もなく、地味でやたら大きい。しかし、呪われているという禍々しさはどこにもなかった。
レベル153のリグレットの攻撃力を、極限まで低下させている原因とは、とても思えない。しかし表示された情報の中には、それ以上の理由はどこにもなかった。
ライザは、戸惑いつつも杖を指差して言った。
「……教会でおはらいしてもらえば……」
「できない」
リグレットは大きく首を振った。首を振って、ステータス画面を閉じる。胸に収まった情報を守るように、リグレットはその胸に杖を抱きよせた。
「それは、できないの」
どうして。不思議そうな顔をしたライザに、リグレットはいった。
「……この杖はね、思い出がいっぱいつまった杖なの。幼馴染が作ってくれた……大切な、杖なの」
ぎゅっと、その杖をリグレットは一層抱きしめた。
「だから、おはらいは、したくないの。おはらいすると、この杖は崩れ落ちるから」
「…………」
幼馴染の作った大切な杖? 『カインの杖』? 戸惑いと疑惑の入り混じった表情で見つめると、リグレットは観念した様子で真実を話しはじめた。
「あたしね、実はカインの……勇者カインヘルドの幼馴染なの。この杖は、カインの、カインヘルドの杖」
「…………?!」
はじめは驚きすぎて、声を出すことも出来なかった。ぱくぱくと動かした口は、魚のようでマヌケだ。
「…………………………ど、どどどどどど」
どんな人。勇者って、どんな人だったの。
あふれ出る質問は山のよう。その中で、まずは先立って、ライザの問いかけはそう続くはずだった。しかし。
「くっだらねえ、話してんなよ」
そのとき、それまで沈黙をまもっていたアベルが動いた。彼は眉間にこれ以上ないほど皺を寄せて、苛立ちを隠さずに口を曲げていた。
「そんな杖いつまでも抱えて何になる」
アベルは、リグレットをにらみ付ける。
「胸糞わりい」
吐き捨てるようにそう言うと、アベルは二人に背を向けた。足取りは速く。呼び止めるリグレットとセスの声を振り払って、彼の姿はあっと言う間に路地に消えた。
「ちょ、兄ちゃん。」
「……大丈夫よ、アベルがいなくなることは、よくあることだから」
そう言いつつも、どこか傷ついた様子の少女の姿に、ライザはかける言葉が見つからなかった。
「きっと、女の子がたくさんいるお店に行ったのよ。あのスケベ、朝っぱらから何してんだか」
ちょっと歩こうか。そう言って、リグレットは歩き出した。先を行く少女の背中は小さくて、慌ててライザはその背を追った。
「ねえ……おねえさん。勇者って」
勇者ってどんな人だった。そう続けようとしたところで、リグレットの声がライザの問いをさえぎった。
「ねえ、ライザ」
「ライザは、勇者になりたいんだっけ」
「!!!」
「アベルに聞いたわ」
「?!!!」
『ま、お前の、はずかちい馬鹿げた夢は、誰にも言わないでいてやるよ。男の約束だ』
…………男の約束とかいっておきながら、破ったのかあいつ。言い触らしやがって。
苛立ちが募る。
勇者アベル。
およそ勇者らしいところがなく、目の前のこの人を傷つけて、平然としている。あのエセ勇者が許せなかった。むかつく。
「そうだよ。勇者になりたかった。だから、あんなのが、カインヘルドと同じ勇者なんて、信じられないし、許せない」
「え?」
「だって、そーだろ。生まれたときから勇者なんて、ずるい。あいつは、それに相応しいことなんてしてないじゃないか。LV.1の弱小勇者! レベル上げもサボって、あんなのが勇者なんて、不平等だ……!!」
ライザが苛立ちとともに鬱憤を吐くと、リグレットは目を丸くした。
「……アベルが、言ったの?」
「え?」
「生まれつき、勇者だって」
「…………え、う、うん」
「…………そう」
「おねえさん?」
リグレットは考え込むように、指をかんだあとで深く目蓋を閉じた。
「おねえ、さん?」
「ねえ、ライザ。みて」
次に目をあけたとき、少女は視線の先を指差した。
「市場」
「ああ、うん」
定期市だ。そういえば、一昨日商隊が村に到着していた。今は彼らが開く定期市が開催され、僻地では手に入らないような、珍しいもの、名品や日常雑貨まで、様々なものが市に出されていた。それが、何だというのだろう。戸惑うライザに向けて、リグレットは言った。
「見に行こうよ」
会話を叩ききるように打ち切られて、ライザは困惑の中、市場に誘われた。