勇者のこころえ3
並ぶのは、様々な土地の名産品。香り高いフルーツから、色とりどりの織物。それを売る商人も、この土地にはない肌の色の黒いものたち。紛れ込んだ異国の気配。それを眺めるのは決して嫌いではなく、僻地にいながら世界を見渡せるようで心躍る。心は躍るが、それにしたって。
どうして女性は、こんなに買い物が長いんだ。
ぐったりと、疲労をためた体で、重い荷物を抱え込む。ライザの持つ荷物は上に上に積み重なって、バランスをとることに苦労した。
ってか常識的に考えて。冒険者が服とか、服とか、服とか、こんなにいらないだろう!!!!
長い長い買い物からようやく開放されて、ライザとリグレットは市場から少し離れた広場に腰を下ろしていた。中央に据えられた噴水を眺めて、ライザは荷物持ちに疲れた腕をさすった。
「あー、楽しかった!」
しかし、ライザの苛立ちに反してリグレットは実に晴れ晴れとした顔をしていた。
店先で買った揚げ菓子を手に、彼女はご満悦。先ほどまでの、何か考え込む様子ではない。
荷物を持たされたことや、買い物に付き合わされたことは散々だったが、彼女の笑顔が戻ったなら、それはそれでよかったのかもしれない。
「ねえ、おねえさん」
「ん?」
「聞いてもいい?」
「うん、もう、大丈夫。いいよ」
覚悟を決めたような表情で、彼女は頷いた。
「………………勇者は生まれつきなんじゃないの?」
「まさか。そんなわけないじゃない」
リグレットは言い放った。
「確かにカインヘルドはそうだったけど。……アーベンルーシュは、違うわ」
「アーべ……? 何?」
一瞬、どこかで聞いた名前に似ていた気がしたが、気のせいだろう。
正直長くて覚えられない、ご大層な名前である。
「アベルの本当の名前。アベルもね、本当はあなたと同じ、『誰か』の息子にすぎなかったの。アベルは、勇者じゃなかったの。むしろアベルは、本当は、勇者と一番遠いところにいたの」
リグレットは視線を遠くへやる。思いは、手の届かない過去へ。
「だけど、アベルはね、勇者になりたかった。なれないって分かっていたけど、それでもアベルは勇者になりたかったの」
一息ついて、彼女は言った。
「だから、努力した」
「……努力?」
「アルフレイム帝国の西に、神殿があるのを、知ってる?」
ライザは頷いた。その存在は知っている。いや、知らない方がおかしかった。神殿は、あらゆる人間たちのあこがれだ。なぜなら。
「神殿では、あらゆる職業に転職できる。戦士、僧侶、魔法使いに、武道家。踊り子から、遊び人、賢者まで。ありとあらゆる職業に」
『大きくなったら、神殿に行って戦士になる』
それは、あらゆる子どもたちの憧れ。しかしその大抵が、神殿までたどりつけず、あきらめの中、平凡な人生を送る。それが、常だった。しかし,少女のこの言いようでは、もしや。
「……まさか、神殿で、勇者になれるの……?!」
「そうよ」
リグレットは大きく頷いた。
「アベルは、神殿で勇者になった。勇者って言うのは、生まれつきだけでなく、後天的にもなれるの」
「?!!! 本当?!」
「だけどね、勇者になるには資格が必要なの。条件が、必要なのよ」
「……なに、それ」
リグレットは、ライザを見つめた。彼女の緑色の瞳に、影が差す。しかし、それも一瞬のこと。リグレットはライザに言い放った。
「神殿でなることができる、職業。全十五種類の職業全てを完全にマスターすることよ」
「え…………」
「転職するとね、レベルは自動的に1に戻ってしまう。そこから、再び自身の体を鍛え上げる。もちろん、使う武器も技も全て違うわ。だけど、アベルはその全てを、通常一人の人間が、一生を使って一つの職業をマスターすることを、十五度やり遂げたのよ」
それは、気が遠くなるような鍛錬の道。血反吐を吐くような、修羅の道。
そこで、ようやく分かった。
どうして、アベルがレベル1なのか。彼は、転職したばかりだった。彼の終着点である、勇者という職業に。
レベル1の勇者? それを嗤ったのは、誰だったか。その行為さえも愚かしい。
無理だ。
ライザは嫌でも悟った。
職業一つを完璧に習得することさえ、難しい最中、十五の職業を完遂する? ありえない。常人には、とてもではないが、無理だ。
ライザは青ざめて、途方もない道筋を見る。勇者アベル。彼がたどってきた道筋を。
「ねえ、ライザ。勇者になるって、そういうことよ」
大きく見開いた目と口は。驚愕と動揺に置き去りにされたライザに向かって、リグレットは憂いをこもった瞳を向けた。
「ふふっ、はじめから逆だったら良かったのに」
「え?」
「カインは……カインヘルドは確かに生まれたときから勇者だったけど、あの子はそんなこと望んでなかった」
「……嘘」
「本当。気が弱くてね。優しい子だった。あの子の子供の頃の夢、教えてあげようか。お花屋さんになりたい、よ。お花屋さん。かわいい夢よね」
リグレットは頭を抱えた。彼女は指を噛む。噛み締められた人差し指からは、血が滲んでいた。彼女の抱えた重い苦悩。にじみ出たそれにライザが息を呑んだとき、その苦悩は涙を伴って吐き出された。
「その、かわいらしい夢を踏みにじったのは、あたしたち人間」
僧侶リグレット。勇者カインヘルドの幼馴染を名乗る少女。彼女の頬に伝った涙はやがて、悲鳴のような嗚咽に変わった。
*
時間は流れる。少女の涙を止めるには、半刻を要した。彼女は、ひとしきり泣き終えると照れたように笑った。
「ごめんね」
「ううん」
ライザは首を振って、リグレットの顔を伺う。真っ赤にはらした目が痛々しい。
「ごめんね、泣いちゃって。『三年前のあれ』から涙もろくなっちゃって。昔はぜんぜん泣かなかったのに」
「三年前?」
「そう、三年前」
「『血の、祝杯』?」
「……そう」
「まさか……俺と、同じ?」
「そう、あたしもあの事件で、大切な人をなくした。おそろいね、ライザ」
そこで、言葉が途切れた。
しかし、沈黙は重くはなかった。胸に傷を負った少年と少女。二人には三年の時を経た今なお、悲しみと悼みを必要とした。
その後。リグレットはそれからまたしばらく泣いて、鼻をすすっていた。そして、落ち着くと彼女は顔を上げた。
「ねえ、ライザ、飲み物を買ってきてくれないかな」
その間に、この顔なんとかしておくから。
けなげに笑うリグレットに、ライザは大きく頷いた。
*
再び市場に訪れたライザは、果物屋でジュースを手に入れた。
果物屋の場所は、先ほどの長い買い物で覚えていたので手間取らなかった。手早く飲み物を手に入れて、後はリグレットのもとに戻るだけ。の、はずだった。
しかし、そのとき。ライザは思いもよらぬ人物に声をかけられた。
「ライザ?」
「へ?」
振り返った先。人混みの中、ライザを見ていたのは、茶色のマントを身に着けた旅装の男だった。心当たりがなかったので、思わず凝視すると男は顔を輝かせて近づいてきた。
「やっぱり、ライザじゃねえか!」
壮年の男だった。彼はライザのすぐ傍まで駆け寄ると、満面の笑みを浮かべて、ライザの頭に手を乗せた。
「でかくなって……は、ないな。何だ、お前全然変わらないじゃねえか」
「えっと……」
ライザが戸惑っていると、男は笑って言った。
「何だ、忘れたのか。三年前までお前の家の裏手に住んでた、呑んだくれのレイだ」
「レイおじさん?!」
随分と痩せていたので、分からなかったが、確かにその顔は見覚えがある。
父の飲み仲間で友人だった、鍛冶屋のレイだ。
三年前の『血の祝杯』の後、確か被害の大きかった生まれ故郷に戻り、復興のために尽力しているはずだった。
「どうしたの、久しぶりだね、大丈夫だった?」
懐かしさに、ライザの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
三年間の隔たりを確認するように、ライザは男を眺めた。ぶくぶくと太ったレイしかしらなかったので、痩せた姿は不思議だ。とても同一人物とは思えず、ライザは思わず凝視してしまった。よくよく見れば、職業欄は、『鍛冶屋』ではなく、『武器屋』。転職の苦労で痩せたのかと、そうして見つめた先――ライザは目を見張った。
マントの下――男には右腕がなかった。
「腕……」
「ああ……三年前の、あのあと。結局切らないと壊死するってことになって、きっちまったんだ」
「そんな……だっておじさん」
男は刀鍛冶だった。両腕がなくて、どうして仕事が出来るだろうか。
「まあ、刀は打てないが、今は実家の武器屋継いで上手くやってるよ」
腕がなくなっても、酒は変わらず旨いしな。にっと男は笑う。そこに悲嘆した様子はなかった。
「……腕がなくなって腐った時期も確かにあったが、今は生きてる事に感謝している。……まあ、その。なんだ。……娘が生まれたんだ」
驚いたライザは咄嗟におめでとうと叫ぶと、男はだらしなく顔を緩めた。満ちる幸せのオーラ。その顔は、満たされた人間のそれだった。
「え? いつ生まれたの? いくつ?」
「おととしの春だから、もうすぐ二歳だ」
思わず、ライザの気分も明るくなる。そうして、微笑んだとき。今度は男の顔が、くしゃりと崩れた。
「…………全部、お前の親父さんのおかげだ。あのとき、親父さんに助けてもらえて、俺はいまここにいる」
往来であることも憚らず、男はライザに向かって深く頭を下げた。
「本当に……感謝している」
涙の滲んだ声。下げられた頭を見下ろして、ライザは何も言うことが出来なかった。
レイが村に来た理由。それに思い当たって、ライザは凍り付いた。
生まれ故郷に帰り、ある程度復興も落ち着き、家族も得て幸せを掴んだ彼は、謝礼と――『贖罪』に来たのだ。
頭を下げた男は、ライザの言葉を待っている。
何か言葉にしなければと思えば思うほど、言葉は喉に張り付いて、かすれた息が口から漏れた。
「…………」
ライザは黙ったまま答えない。そんな少年にむかって、男は顔を上げた。
「無神経かもしれないが、俺は礼が言いたかった。それで、ここに来た」
レイは涙を滲ませた真摯な顔つきで、言葉を続けた。
「ライザ、お前の親父さんは、本当に『英雄』なんだ」
そして肩を掴もうとした手を、ライザは無意識に避け――拒絶した。
「………………」
「…………ライザ………その……」
ライザに避けられた手は、行き場をなくして宙を浮く。二人の間に距離が出来て、沈黙が、その場を支配する。
その場に満ちる空気から、ライザがレイを歓迎していないことは明白だった。
「ライザ…………」
「…………」
「……ん? もしかして、誰か待たせてるのか? 友達か?」
重すぎる沈黙を、打ち破ったのはレイだった。
彼は、ライザの持つ二つのジュースに気がついたようだった。
逃げる口実を手に入れて、ライザがようやく、発する言葉は短かった。
「…………うん」
リグレットについて詳しく説明することも変だったので、ライザは咄嗟に答えた返事を利用した。それにレイも自身を納得させて頭をかいた。
「そうか……引き止めて、悪かったな。じゃあ、俺はお前の母さんに挨拶に行ってくるから。……突然悪かった。今日はお前の家の宿屋に泊まるから……夜にゆっくり話そう」
友達は大切にしろよ。そう言って、父の『友人だった』男は踵を返した。去っていく男を見送って、ライザは顔を曇らせていた。
レイが、憎いわけではない。彼を妬む心もない。
しかし、彼の謝罪に向かい合う事はできない――三年経った今も――ライザは父と向かい合うことができずにいた。
少年は、唇を噛んでその場に立ち尽くした。




