第7章:ポテント・デーモン(潜在の悪魔)
またしても、世界は私に一歩を踏み出すことすら許さなかった。
屠殺した灰色の悪魔たちの灰が舞い落ちるよりも早く、地獄の重苦しい空気が暴力的に歪んだ。周囲の熱が跳ね上がり、空気そのものが、未知の巨大な存在の重圧によって息苦しいほどに重くなる。着地の衝撃ではなく、クレーターの縁に「それ」が具現化したという圧倒的な密度だけで、大地が震えた。
私は視線を向けた。焼け焦げた岩の間に、一つの影が立っている。灰色の悪魔のような巨体でもなく、私の赤の形態のようなスマートさもない。それは、絶えず形を変える不安定な黒い物質で構成された人型のシルエットで、虹色の光の脈を打っていた。顔はなく、ただ滑らかでのっぺりとした表面が、周囲の炎の光を吸収しているようだった。
これがボス戦というやつか? 私は無言で計算を始めた。
即座に、アカーテスの声が脳内に雪崩れ込んできた。いつもの滑らかな冷静さは完全に失われている。それは、真っ赤なサイレンを鳴らすかのような、パニックに満ちた警告だった。
【分析中……】
【警告。あなたの新たな敵は『ボス』の称号を持つ、現在ランク『A』の個体です。注記:統計上は地獄で最も弱いボスですが、この領域のあらゆる存在の中で最高の成長「潜在能力」を秘めています。】
【緊急警報!緊急警報!危険な脅威が接近中!退避してください!退避!現在の能力での勝率は……計算中……計算中……0.001%】
私は完全に立ち尽くしていた。脳内で警報が鳴り響いているにもかかわらず、「無感情」の特性が心拍数を完全に平坦に保っている。待て、なぜだ? 今の私のランクはいくつだ?
【あなたの現在の総合評価はランクBです。この領域において、1ランクの差は圧倒的な力の壁を意味します!】
だとしても、 私はシステムに反論した。ランクB対ランクAの勝率が、数学的に0.001%まで落ち込むのはおかしい。普通に考えれば、35%前後に落ち着くはずではないのか?
【否定します。あなたはこの個体の固有特性を考慮していません。この『ボス』はあまりにも異常な潜在能力を秘めているため、戦闘を継続すること自体が不可能です! 戦いが進むにつれ、あなたの行動に対抗するため、力の差は指数関数的に拡大していきます!】
【起源を分析中……】
【あなたの目の前に立つ『ボス』は、誕生からわずか1分の悪魔です。これは、あなたが初期降下を生き延びたため、難易度『エクストリーム』のプロトコルによってあなたを排除する目的で人工的に生成されました。】
【種族:唯一存在。『ポテント・デーモン(潜在の悪魔)』】
私は、形を変え続ける顔のない怪物を見つめた。1分前に生まれ、私が生き残ったというただそれだけの理由で、私を殺すためだけにシステムに設計された存在。
なるほど、 戦術的なシナリオを頭の中で走らせる。奴が適応し成長する前に、全力を叩き込んで瞬殺することは可能か?
【否定。基礎ステータスが、あなたの最大出力を遥かに上回っています。】
逃げ切ることは?
【否定。逃走する標的に合わせて、追跡速度も指数関数的に上昇します。】
なら、私にどうしろと言うんだ?
【何もできません。あなたは今、死の淵にいます。】
AIは事実上、匙を投げた。計算を終え、結果をシミュレートし、私の存在がここで終わると断定したのだ。
「やれやれ。残念だ」 私は声に出して呟いた。数学的に確約された死刑宣告に直面した普通の人間が抱くであろう絶望は一切なく、その声は完全に平坦だった。
私は何気なく肩を回し、首の筋を伸ばし始めた。動きながら、肉体に変化を命じる。どす黒い深紅の肌が明るさを取り戻し、肥大化した筋肉が凝縮されていく。
【スキル『フォーム』発動。基本形態『赤の悪魔』へ移行します。】
圧倒的な剛力が抜け落ちる代わりに、羽のように軽く、爆発的な機敏さを持つ純粋な速度の形態が戻ってきた。自分のリソースを把握しておく必要がある。アカーテス、現在のパディティション残量は?
【現在のパディティション:1420 / 2120】
全力攻撃を仕掛けるには、少々心許ない量だな。 ポテント・デーモンが大地を揺らす最初の一歩を踏み出すのを見据えながら、私は計算した。逃げることも、一撃で仕留めることもできないなら、時間を稼ぐしかない。まずは赤の悪魔の速度で時間を稼ぎ、残りのエネルギーを温存する。そして完璧な隙が生まれた時に、『グレート・デーモン』の形態を使う。
生存確率は0.001%。恐怖を知らぬ悪魔にとって、それは戦いを組み立てるのに十分すぎる数字だった。




