哲学エッセイ『復讐のプロ』
最高の復讐とは、なんだろう。
人は生きていれば、必ず「嫌いな人」に出会う。
そして同じように、「好きな人」にも出会う。
けれど不思議なことに、多くの人は「好きな人」より、「嫌いな人」を強く記憶してしまう。
好きな人に対しては、
「自分だけが好きなだけかもしれない」
「自分なんかに好かれても迷惑かもしれない」
と、不安になる。
だが、嫌いな人に対して、
「自分だけが嫌っているだけかもしれない」
「自分なんかに嫌われても迷惑かもしれない」
などと考える人は、ほとんどいない。
人は、好意には臆病で、嫌悪には驚くほど素直なのだ。
では、最高の復讐とは何か。
それは――
「相手にしないこと」である。
もちろん、簡単なことではない。
自分を傷つけた相手。
故意に弄び、人生を濁した相手。
その人間が何事もなかったように笑い、平然と生きていると思えば、怒りが消えないのは当然だ。
許せない。
忘れられない。
どうすれば苦しめられるか考えてしまう。
けれど、その瞬間に気づかなければならない。
自分は今、
「好きな人」のことではなく、
「嫌いな人」のことを真剣に考えている。
限りある人生の時間を、大切な誰かのためではなく、憎い相手のために使っている。
それは、よく考えると、とても不気味なことだ。
嫌いな人を、まるで運命の相手のように考え続ける。
「あいつを不幸にしたい」
「あいつより上に立ちたい」
「あいつを後悔させたい」
気づけば、自分の人生の中心に、その相手が居座り始める。
すると人は、自分の幸せのためではなく、“嫌いな相手を倒すため”に生き始める。
それはもう、復讐ではない。
支配だ。
しかも、支配されているのは、相手ではなく、自分自身である。
だからこそ、最高の復讐とは「相手にしないこと」なのだ。
よく、「いつか見返してやる」と言う人がいる。
けれど、その言葉も危うい。
なぜなら、“見返す”という行為そのものが、まだ相手を人生の中心に置いているからだ。
「あいつを見返すために頑張った」
そう考えた瞬間、自分の努力や成功にまで、嫌いな相手の影が入り込む。
相手より金持ちになる。
相手より偉くなる。
相手より美しい伴侶を得る。
それ自体は悪いことではない。
だが、その根底に「どうだ、参ったか」
という感情があるなら、まだ相手に支配されている。
本当に自由な人間は、もう相手を見ていない。
そして、もっと怖いことがある。
「誰かを屈服させる快感」に慣れてしまうことだ。
一人を見下して満足すると、次は別の敵を探し始める。
やがて人は、本当は悪くもない相手にまで敵意を向けるようになる。
「自分に逆らうなんて気に食わない」
「自分の方が上なのに」
そうして気づかぬうちに、かつて自分が憎んでいた人間そのものになっていく。
だから、一番の復讐は、見返すことではない。
屈服させることでもない。
忘れることだ。
もっと正確に言えば、
“大切なものに時間を使うこと”である。
今、自分を支えてくれている人。
大切な人や好きな人。
熱中できる楽しい物事。
心から笑えた時間。
そういうものに、ちゃんと目を向ける。
怨嗟の反対は感謝である。
だから、感謝する習慣を身につけると良い。
感謝の中で生きている時、人は、誰かを呪い続けることができない。
逆に、怨嗟の中で生き続ければ、少しずつ、自分の心が壊れていく。
人生は短い。
嫌いな人のために使うには、あまりにも、もったいない。
【あとがき】
この文章は、「憎しみを捨てろ」と言いたいわけではありません。
理不尽に傷つけられた時、怒りや憎しみを抱くのは当然です。
許せないのも自然です。
忘れられない傷だってある。
時には逃げることも、拒絶することも、戦うことも必要です。
現実には、“相手にしない”だけでは終わらない悪意も存在します。
だから、この文章で言いたかったのは、「憎しみを抱くな」ではありません。
“嫌いな相手に人生の主導権を渡し続けるな”ということです。
人は、強く憎んだ相手ほど、長い時間を使ってしまう。
考え続ける。
比較し続ける。
勝ち負けに囚われ続ける。
けれど、その瞬間、自分の人生の中心には、「大切なもの」ではなく、「嫌いな誰か」が座っている。
それが、苦しい。
だからこそ、最後には、自分の時間を、自分の幸せのために使えたらいい。
好きな人のために。
安心できる場所のために。
自分を支えてくれているもののために。
そうやって少しずつ、自分の人生を取り戻していく。
この文章は、復讐を否定したいのではなく、“復讐に人生を支配される苦しさ”について書いた文章です。




