1 今までの事、昔の事、生まれた時の事
ばちん、と頭で音がなった気がした。
ぐらりと体が揺れて思わず姉の服に手をのばしぎゅっとつかもうとする。
姉…俺に、姉なんて、いなかったはずなのに…
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
土ぼこりをたてる道で男は、幼い弟を連れ、後ろに台車を引く女の前を立ちふさいでいた。
少し鳥がらを思いださせる男は、この辺でも目立つ、しゃれた三つ揃えの茶色のスーツを着込み、腕にはぶらさがるように手をまわしている女がいた。
布を日よけにした出店が並ぶ通りはそこそこの賑わいをみせていて、迷惑そうにみる通行人も、興味がなさそうに商売を続ける者、好奇心を隠しきれずに立ち止まる人の中、男は黙って立っている。
以外にも口火を切ったのは、ぶらさがっている女だった。
「ねぇ、早く行きましょうよ、めずらしいものが売れてしまうわ。好きなもの買ってくれるって言ってたじゃない」
こびをうるような声をだしながら、腕をひっぱられた男はその腕を、軽く外し内ポケットから巾着の財布を取り出す。
「ふん。ずいぶんな格好だな」
そう声なのか吐いた息なのかわからぬ音をだして硬貨を無造作に掴んだ指を、後ろにいる弟を守るかのように身じろぎしない女につきだす。
そう言われても仕方のない格好を女はしていた、綿の色あせたワンピースは繊維がはげていて、てかりが目立ち所々つぎはぎをあてている。
中に着ているブラウスはもう白とはいえない代物だし、着けているエプロンは染色しているかのように、落ちない汚れがついていた。
一方、連れの女は、白いレースがおしむことなく装飾で縫い合わされた若草色のワンピース。
男が付けているネックチーフの色とあわせたようだ。
ふわふわと風がふいていないのにそよぐ薄い橙色の髪をもった連れの女は、
「そんなこと言ったら、かわいそうよー」
と、ひっつめた髪を飾り気もなく頭の上でまとめ、ただまっすぐ見ている女へせせら笑うかのように言った。
「ほら、受け取れよ、お前ら、祭りに来たってなんにも買えないだろうに、一度は婚約した仲だ、恵んでやるよ」
今は、この国の神であるアルミリア神に感謝を捧ぐお祭りの期間だった。
全部で四日間あって、初日の今日は、来ていただくはじまりの日。
中日の明日、明後日は、依り代とされた神輿が、街中を練り歩き、皆その神輿に麦や、教会で買った札を祈りと共に撒く。
最終日は、花火をあげて来ていただいた感謝をささげ祭りは終わりとなる。
女は、目線だけ動かして、男の手を見る。
きれいな手だった。重いものはペンしか持ったことがないような。
ふと女は、土が入り込んで洗っても、もう白くなることはない自分の指先を思い出した。その指を見せたくなかったのかどうなのか、ぎゅっと手に力を入れ、お金が乗ったそれを通り越して男を見上げ息をすいこんだ。
「どうした、受け取れよ、これくらいの助け俺にとっちゃ…」
気をよくしたように続ける男は、しかし次の言葉は続けられなかった。
すぅーっと女が息を吸う空気が揺れた気がした時には、その揺れが衝撃となって、体にぶつけられたような勢いが襲ってきたのだ。
「ビ・リ・ー」
自分の名前を一音一音区切るように言われ、日焼けした浅黒い顔の中で異様に黒光りした女の目にみすえられて、男の体はこわばった。
周りは時が止まったように静かだ。
「あんた!財布から小銭だしてなに気をよくしてるのよ。出すなら金貨くらい出しなさいよ。まったくわざわざ呼び止めたっていうのに、出したのが、銅貨っ!はっ」
小ばかにしたように、女は鼻で笑う。
さてはかわいそうな女が、さめざめと泣く場面かと思った周りの人々は一瞬の静寂の後、どっと笑い声をたてた。
男はぽかんと口を開けたかとおもうと一気に顔を赤くして、吠えた
「なんだと、かわいそうに思って声かけてやったっていうのにその、言い草は!前からずっと、おまえは、かわい気がないっ」
女は男のいうことなんてちっともこたえていないようで、たたみかけるように男にいう。
「かわい気がなくて結構よ、で、かわいそうに思っているんでしょ、そんなちんけな小銭なんてひっこめて、ちゃんとした施しってのを出しなさいよ。このお祭りの最中に失礼じゃないの?」
わなわなと男は震えるが、女はあごをくぃっと指示をだすようにうごかす。
男が動かないと、さっきよりも大きく動かす。
もう一度、財布に手を入れ硬貨をつかんでだした男に、あきれたように肩をすくませ、女は受け取らず肩をすくめ、やれやれとでもいうように頭を横にふる。
その動作につられたのか周りのやじ馬たちも、ざわざわと、好き勝手に話し出す。
大口をたたいた割にけちくさいねぇ、という声すらきこえてくる。
男は呼吸すら忘れたような勢いで掴んだ硬貨を財布に戻し、女に向かってその財布を放り投げ、そして、財布は、女に勢いよくぶつかった。
女のほほに当たった財布は弟の目の前に落ちた。
弟が拾おうか悩む前に、さっと姉はその財布を隠すように足でふんだ。
思わず弟は姉を見上げるが、姉の視線はいまだ男に向かったまま、自分の頬に手を当てる。
「痛い!いくら気に入らなないからって、暴力をふるわなくてもいいじゃないのっ」
急にしおらしく涙声でうったえてきた女に男はおろおろと弁解をする
「あ、当たるだなんて、リタ、俺は当てるつもりなんて、なかった」
動揺したようにいうビリーの声は震えていた。
だが、下からのぞきこんだ弟に見えるのは、悲嘆にくれた声とはうらはらに、なにかを見据えたような女の眼だった。
姉はそのまましゃがみこむ…そして、財布はスカートの中に隠された。
キッと男を見上げ
「信じていた婚約者は、両親が亡くなり、私にお金がなくなると、さっさと別の女の所へ行き…えぇ、それは別に仕方ないことだと分かっているんです。なんの価値もなくなった私のことなんて……。」
今度は両手で顔をおおって泣き始める、さっきよりもそばにきた姉の顔を弟はうかがうように観察するが手のすきまから見える目に、涙は、もちろん流れていない。
周りからは、そりゃあ、ひどい男だねーと、ざわめきが起こり、
うぅと、姉は声をつまらせる。
つまらせる?十分ぶちまけていると思うが。
「ねぇ…」
ねぇちゃんと、声をかけるために姉に寄り添おうとしたのだが、勢いよく涙をぬぐうように顔から外された手と同時に弟の顔に姉の肘が入る。目から火花が見えるって本当だなと思った後、弟は、ばちんと頭で音が鳴った気がした。
ぐらりと体が揺れて思わず姉の服に手をのばし、ぎゅっとつかもうとする。
姉?俺には姉なんていなかったはずなのに…
最後に見たのは、スカートの下に隠していた財布を流れるように俺の服の中に入れて俺を抱きしめる女の姿だった。




