男というものは
「まあ、そこで自信満々で横柄なら、ノーラじゃないね。それに、他の奴にノーラの可愛らしさをわかってもらう必要もないから、いいけどね」
そう言うと、エリアスはようやくノーラを抱く手を緩める。
すかさず離れて歩くノーラを見て、エリアスが苦笑するのがわかった。
「それじゃ、ノーラにわかりやすい表現にしようか。……容姿も身分も財力もある俺ですら、ノーラに惚れているんだよ? また同じような奴が出てきても、おかしくないだろう?」
自分で容姿も身分も財力もあると言うのには少しばかり引くが、なにぶん事実なので否定もできない。
だが、その説明にノーラは納得してうなずいた。
「なるほど。世の中は広いので、酔狂な人がいてもおかしくないということですね」
「……ノーラ。それだと、俺が酔狂ってことになるんだけど」
「その通りじゃありませんか」
不満そうな顔をしていたエリアスは、ノーラの一言でふと眉を下げる。
「酔狂でも何でもいいよ。ノーラがそばにいてくれれば」
また、美貌を省みることなく恥ずかしいことを言っている。
困った人だなと思いながら隣を歩いていると、急にエリアスが黙り込んだ。
「ねえ、ノーラ。……俺がカルムを捨てたら、どうする?」
急な質問に、ノーラは目を瞬かせる。
「捨てる? 勘当でもされたんですか?」
「まさか、違うよ。仮の話」
何だ、仮か。
それにしても、ちょっと不穏な話だが。
一体どうしたのだろう。
「そうですね……。顔はいいし、色々博識ですし、普通に商人あたりでやっていけそうな気がします」
油断ならない部分が上手くかみ合えば、大商人になってもおかしくないと思うが……何だか絵面が似合わない。
「それじゃ、俺がカルムを継いだら?」
「立派な侯爵になると思います」
無駄な美貌で大商人にのし上げるところも多少見てはみたいが、やはりしっくりくるのは貴族だろう。
「……そうしたら、ノーラは俺の隣にいてくれる?」
「え?」
何を聞かれたのかわからず、思わず足が止まる。
空色の瞳は暫しノーラを映すと、優しく細められ、そのまま額に唇が落とされた。
「もう家に着くね。おやすみ、ノーラ。――大好きだよ」
「おかえりなさい、姉さん。お疲れ様。紅茶でも飲みますか?」
帰宅したノーラを出迎えたペールは、本を読む手を止めてソファーから立ち上がる。
「ただいま。……じゃあ、いただきます」
ノーラの返事を聞いたペールは、そのまま台所に向かった。
誰もいなくなった部屋で静かにソファーに腰かけると、ノーラは小さく息を吐く。
エリアスが侯爵になるとして、その隣というのは――侯爵夫人だ。
そうだ、アランにも言われたではないか。
エリアスとの将来を考えるというのは、そういうことだ。
だが、ほとんど平民のような状態のノーラが、侯爵夫人になれるものだろうか。
そして、そうなれば恐らく今までのように歌い続けるのは難しくなる。
それでもいいと、心から思えるだろうか。
……エリアスに相応しい女性云々以前に、ノーラには覚悟が足りない。
エリアスを選ぶのならば、それ以外を捨てるという覚悟が――ノーラには、まだない。
「……どうしたらいいのでしょうね」
ぽつりと呟くのと、ペールがティーカップをテーブルに置くのはほぼ同時だった。
「何? 喧嘩ですか?」
ノーラの呟きを拾ったペールが、自分のティーカップに口をつけた。
「違いますよ」
喧嘩ではない。
まだぶつけるほどの意見を、ノーラは持っていないのだから。
「じゃあ、惚気ですか?」
「違いますよ」
何故そうなるのかわからないが、ペールの表情からするとからかっているわけではないらしい。
「それなら、どうするかなんて簡単です。エリアス様に甘えてください」
「何ですか、それ。全然解決していないじゃありませんか」
呆れながらティーカップを手に取り、一口紅茶を飲む。
いつも通り若干薄めの紅茶が、じんわりと体を温めていくのが心地良い。
「だって。何か悩んでいるんですよね? それなら、エリアス様に言えばいいんです。それで『困っている、どうしよう』って言えばいいんですよ」
「ええ? 丸投げとか、酷くないですか?」
それでは選択肢も決定権も、すべてエリアス任せということではないのか。
「まあ、どうでもいい相手ならうっとうしいです。でも姉さんに言われたら、きっと喜びますよ」
「今、うっとうしいって言いましたよね?」
「だから、どうでもいい相手なら、ですよ。姉さんは別です」
ペールは恐らく、ノーラとエリアスが恋人になったので大丈夫と言いたいのだろう。
だが、うっとうしいことをしてくる相手ならば、どうでもいい相手に格下げされる可能性があると思うのだが。
不満を隠すことなく顔に出していると、ペールがティーカップをゆっくりと置いた。
「いいですか、姉さん。男というものは、好きな女性に頼られたら嬉しいものなんです。憶えておいてください」
「はあ」
何だかそんな雰囲気のことをフローラにも言われたような。
確かにエリアスに頼ってしまえば、身分云々もマナーでも何でもフォローされる気はする。
「でも、そんな風に利用したり依存したりしたくありません。一人の人間として、相対していたいです」
明らかな身分の差、容姿の差があるからこそ、そこは妥協したくない。
でなければ、ノーラは物言わぬぬいぐるみと同じになってしまうだろう。
ノーラの話を聞いていたペールが、ため息と共に肩を竦めた。
「そういうところが姉さんの面倒臭いところで、いいところですよね。……いいんじゃないですか? エリアス様もそのあたりはさすがに気付いているでしょうし。好きにいちゃついてください」
「――な、何でいちゃつくなんて話になるんですか?」
頼るとか頼らないとか、そういう話ではなかったか。
だが、ペールはしれっとしてティーカップを片手に立ち上がる。
「要はそういうことですよ。……あーあ。俺も可愛い恋人が欲しいです」
笑いながら立去るペールの後ろ姿を、ノーラは呆然と見送るしかなかった。





