番外編 アラン・カルムの失恋
「……まあ、もうひとつの失恋は、少しは影響しているかもな」
アランの答えが意外だったらしく、ノーラは目を瞬かせている。
紫色を基調にした優美なドレス姿なのに、肩には鍬を担いでいるのだから意味がわからない。
「え? アラン様、失恋を重ねていたのですか?」
この驚き方からして、アランの言う失恋の相手が誰なのか、わかっていないのだろう。
「ああ。ある意味結婚目前だったのに、俺が手放して。あとから、気が付いた」
「うわあ。切ないですねえ」
案の定、完全に他人事としてアランに同情の声を上げている。
その姿を見たアランは、苦笑するしかない。
『紺碧の歌姫』ノーラ・クランツとアランは、一時婚約者同士だった。
成り行きで双子の兄のエリアスへの嫌がらせをし、結果的に婚約していただけなので顔を合わせたことすらなかったのだが。
アランはカルム侯爵家の生まれであり、自分で言うのも何だがそれなりには優秀だった。
だが、エリアスはその遥か上を行く優秀さ。
常に横でそれを見せつけられていたアランの心に劣等感が蓄積されたのは、自然な流れだったと思う。
ノーラはエリアスが幼少期に知り合った相手だ。
何でも迷子になった時に助けてくれたらしく、歌が上手いのだと何度も何度も聞かされて耳にタコができたのを憶えている。
そのノーラを見つけたエリアスは、すぐに婚約のための手はずを整えていった。
爵位を辞退してまで両親を説得し、クランツ男爵にも了承を得て、婚約の書類を提出した時には踊り出さんばかりに喜んでいた。
長年一緒の兄弟として応援する気持ちが皆無というわけではない。
だが、ちょうど「双子のどちらでもいい」という縁談がきて、エリアスが辞退すると破談になるということがあり、アランの苛立ちもピークに達していた。
侯爵家に生まれた以上、自由に結婚相手を選べなくても仕方がないと思っていたし、それは跡継ぎとされていたエリアスだって同じだったはず。
それなのにエリアスだけは好きな女性と結婚するというのが、どうにも腹立たしかった。
跡継ぎとして望まれているのはエリアスだとわかっていたからこそ、面倒を押し付けて逃げられたようで納得がいかなかったのだ。
そこに偶然……いや、実際には故意だったわけだが……とにかく、ノーラの婚約者がアランになるという不慮の事態が発生する。
エリアスは慌てて婚約解消を要求してきたが、コンプレックスがこじれきっていたアランは、それを拒否した。
ノーラに興味はないし、もちろん婚約も結婚もするつもりはない。
ただただ、エリアスに一泡吹かせるためだけの行動だった。
アランにとってノーラという存在は、エリアスが執着しているというだけのもの。
幼少期は知らないが、成長した今、名門侯爵家の令息であるエリアスにプロポーズされたのだ。
さぞ浮かれていることだろうと半ば軽蔑していたのだが……実際のノーラはまったく想像とは違っていた。
まず、エリアスになびくどころか警戒していて、甘さがないどころか打ち解けてすらいない。
アランにも媚びることはなく、どちらかと言えば面倒くさそうにしている。
身分にも容姿にも興味を示さないノーラが新鮮で、段々と気になっていって。
そして『紺碧の歌姫』の歌声を聴いて……惹かれていったのだと思う。
「じゃあ、俺にするか?」
エリアスと喧嘩をしたらしいノーラに言ったあの言葉は、自然と口からこぼれたものだ。
ノーラが自分を選ぶとは思っていなかったが、それでも選んでくれたらと期待する心はあったのだと思う。
だが、エリアスの運と間の悪さを知り、長年のコンプレックスがゆるゆると溶け。
二人の仲を見守っている今を、アランは気に入っていた。
「その方は、今はどうしているのでしょうか」
アランの言う失恋の相手が自分だとは露知らず、ノーラが問いかけてきた。
いっそノーラだと言ってしまおうかとも思ったが、それはやめておく。
言ったところでノーラも困るだろうし、それで揺らぐような相手でもない。
「今は、愛されて結婚間近」
ノーラの困ったような表情から察するに、まだ相手に気持ちがあるのではと心配でもしているのかもしれない。
……あると言えば、ある。
だがそれはもう、恋慕とは違う感情になりつつあった。
「でも、いいんだ。俺はあいつが幸せなら、それでいいと思う」
アランを変えてくれたノーラと、大切な兄弟のエリアス。
この二人が幸せになってくれるのなら、それでアランも幸せなのだ。
口元が綻んだアランを見て、ノーラもまた眦を下げる。
「本当に、大人になりましたねえ」
微笑みと共に頭を撫でられ、慌ててその手を払いのける。
「やめろよ、恥ずかしいだろう。それに、エリアスにでも見つかったら面倒だ」
幼少期の初恋をしつこく引きずって叶えた双子の兄は、ノーラが思う何倍も面倒くさい。
あのままノーラと婚約して、結婚していたらどうなっていただろうと考えたことは何度かある。
きっとノーラはアランを尻に敷くのだろうが、それはそれで悪くない。
だが、そうなるとエリアスが悟りを開いてくれない限りは、ただの恐怖の大魔王と化してしまう。
……やはり、あの何でもできるのに運と間が悪い兄は、ノーラに引き取ってもらうのが一番平和だ。
「アラン様も、幸せになってくださいね」
「ああ。ありがとう」
菫色の瞳を細めるノーラに、アランはうなずく。
ありがとう、ノーラ。
大切な兄をよろしく。
――少しだけ……好きだったよ。
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