幕間:包み込むような
きっと、まだ青いまま。
みんなのアイドルは、一人とは限らない。
温かく、湿っているのに澄んでいる空気。
魔法世界の最先端、少しの危険もない巨大な浴場にて、サキは洗濯場のソフィに身体を洗ってもらっていた。
「サキちゃん、めっちゃボコられてなかった?」
「・・・はい。かなり、しごかれました」
まだサキは自分の身を汚れから守る術を知らないために、傷は治せても汚れを隠すことはできない。
真夏の炎天下の中で動き回り、体力を使い続けた彼女は渋々ティアの言うことを聞いてソフィに洗ってもらっている。
「いいな〜・・・あんなに着いて行けるの。
アタシなんて陛下のドローン攻撃、あまりに避けられなさすぎて服が大変なことになっちゃったんだから」
家族でない他人に世話をしてもらう経験など少ないサキが緊張するなかで、ソフィはいつも通りの仕事をしながら、グレイアやティアの世話をする時のように話題を切り出していく。
しかし、今回は相手が相手。
普段の仕事じゃ言えないことも、口に出したって怒られはしない。
「私は・・・まだです。
避けるだけじゃない、もっと先を目指さないと」
「え、じゃあ聞いていい?」
「はい」
ざばあと髪を洗い流したソフィは、滴る水を避けたくて俯くサキの耳元に顔を近づけ、囁く。
それは戦闘や魔法が苦手な彼女にとって、喉から手が出るほど欲しい情報でもある。
「ここだけの話、どう?
あの攻撃さ、どうやって避けたの?」
現在のフェアリアおいて、土塊や武器を媒介にしてドローンを用いる攻撃を扱えるのは、グレイアとティア、二人の身内にあたるニアとグリム、そして側近にあたる立場にあるオルディとリーレのみ。
そして、ドローン攻撃の上位互換にあたる媒介を用いない虚空からのレーザー攻撃を放つことができるのは、グレイアとティアの二名に限定される。
「避け方・・・ですか」
「そそ。ほら、ね? 避けられたしさ・・・こう、言葉にできない?」
避けられる人間というのも、そう多くはない。
慣れればサキはカウントされるが、当該の攻撃を使えない人間のなかで一定以上の水準で回避が可能なのは、ソフィの妹であるリリィや炊事場担当のルーシー、清掃担当のラヴァン、貴族の中ではフィット家のフォルなど。
しかしいずれも「目視または魔力探知を用いた認知」からの回避に限定されるため、サキのように素の感覚で回避ができる事例は存在していないと言っていい。
当代の王室夫妻という例外を除いて。
「・・・言葉にしにくいですけど、動きが見えるんです。
私には見えない位置で、魔力の塊が移動するのが確かに」
そして、当代の王室夫妻とサキ、この両者は同時に「例外」たる存在であるが、その「例外」たる所以は明確に異なる。
「頭の後ろにも目があるような・・・感覚で・・・・・」
サキは特異的な空間知覚能力を有していることから、普通なら鍛錬を積み重ねた者がようやく「起こり」として読めるようになるはずの魔力の流れを、個人の山勘、肌の感覚だけで捉えることが可能。
つまり、何も意識していないニュートラルの状態で、脳は第六感に近い感覚を捉えることができるということ。
「どう・・・したんですか」
「いやあ・・・・・やっぱ殿下の弟子だね」
「弟子って、グレイア様からは言われてませんけど・・・」
「いいのいいの。たぶん弟子って扱いになるから」
ひととおり身体を洗い終わった二人は石造りの浴槽に浸かり、広い水面を眺めながら話を続ける。
切り出したのはソフィ、話題の方向性は愚痴に近い。
「だいぶ前、私が殿下にドローン攻撃の対処法を聞いた時、殿下はなんて言ったと思う?」
「・・・わからないです。グレイア様はなんと?」
言うなれば、当代の王室夫妻───もとい、グレイアとティアが有している天才性は至極単純であり、誰から見ても明確なものだ。
ソフィの場合、聞く相手が悪かったと言える。
これがもし、質問の相手がティアだったとすれば、彼女はきっと納得のいく答えを得られたことだろう。
「魔力の動きを見ろ・・・だってさ。文脈みたいにって。
そんなこと出来たら苦労しないのにねぇ〜・・・・・」
当代の王室夫妻は「天才による極度のショートカット」と「秀才による理解からの模倣」というアプローチの違いこそあれ、行き着く結果はいずれもグレイアが述べた「文脈を読むように」という例えに等しい流れとなる。
具体的に述べると、この二人は五感のうち視覚、聴覚、触覚の三つの感覚から総合的に情報を処理しつつ、死地を抜ける中で掴んだ「魔力の起こり」の感覚を並行して計算することで、極度の空間知覚能力を獲得していた。
つまり、まるでマニュアル運転をオートマ運転のようなスムーズさで行う運転手のように、二人はその馬鹿げた負荷を自分の身体に最適化しているのだ。
それこそ、寝起きでも運用に支障をきたさない程度に。
「それにさ、サキちゃん。
これに同意してる陛下も陛下なんだよ?」
「・・・そう、ですね」
無論、サキはこんなことを教えられているわけがないし、本人とて自分の特性を完璧に理解できている訳でもない。
しかし、異常性だけは理解の範疇に鎮座する。
そこから僅かに醸し出す血の匂いに、彼女は反応を鈍らせた。
「控えめに言っても化け物でしょ、あれは。やばいって」
化け物という評価は、グレイアとティアを評する上で避けることができない、あるいは当初の動きによる影響力が大きすぎたせいでとうに飛び越えてしまった評価だと言える。
だが、そんな評価を、本人ならば無駄だと切り捨てる言葉を、二つの意味で看過できない存在がひとり。
「・・・・・あっ」
「ソフィさん?」
やっちまった、と。
冷や汗を垂らして強ばるソフィの背後から近づく、二人分のぺたぺたとした足音。
そのうちの一人、デカすぎる乳房を抱えてゴミを見るような眼差しをしたメイド長───リーレは、清掃魔法をさっと全身にかけて皮脂を洗い落とすと、ソフィの後ろに立って口を開く。
「ソフィ・ネルム」
「あ〜っと、その・・・・・」
「陛下に向かってその言い草、看過できませんわね」
「メイド長、これはその、口が滑ったといいますか・・・」
怒りに満ちた声色、ひどく萎縮するソフィ、どうすればいいかわからなくてオロオロするサキ。
冗談とはいえ上司を、それも国の象徴であり元首を化け物呼ばわりしたことから、メイド長でありティアの側近であるリーレはひどく怒った様子。
しかし、ここは慈悲深いことで有名なティア。
長身で幅も広いリーレの乳房の横あたりから顔を出し、あざとく水を刺しに行く。
「じゃあ尚更ダメじゃない?」
「へっ、陛下?」
本人としては化け物呼ばわり自体はどうでもよく、むしろ規則とはいえ場の空気が冷えることの方が危惧すべき事態。
元より、彼女は幼少期に施されたありとあらゆる教育を除けば、外聞的には「血筋だけ」の女王に等しい。
ここ半年強より以前は復讐に生きた人生だったことや、本人の気質からしても化け物という評価は「言われたことはないけど、否定できるほどの材料はないし許容できる」程度の認識であり、リーレが危惧するほどのことではない。
ということを、この場の誰も知らない。
「まあ否定はしないけどね。でも、ちょっと傷ついちゃうかな」
「それは・・・えっと、ごめんなさい」
生憎、彼女もグレイアの影響を僅かに受けている。
細かい事柄や共有するべきと判断していない事柄、つまり個人的な感情や判断については、グレイアに共有するのみで側近にも積極的に伝えることはなかった。
そこに生来のからかい好きな気質も相まって、彼女はソフィが萎れて罰を覚悟する様子を見て、思わず笑みを零してしまう。
「ふふっ。かーわい」
「・・・〜っ! からかいましたね!」
「ソフィがこういうの弱いから悪いの〜」
普段こそ慈悲深い一面とのメリハリがあり、多少ばかり身内に甘い程度で規則には厳格な傑物───という評価が妥当な人間である。
まさか普通の女の子らしい要素があるとは思わなかったのだろう。
グレイアとのやり取りを知っているリーレや、雰囲気から親しみを感じていたサキは微笑むだけで済んでいたが、普段は女王としてのティアとしか関わりがないソフィは激しい安堵と羞恥を滲ませている様子。
「それに、第二成人すらしてない女の子に化け物なんて、私が相手じゃなくても不敬なんだから」
「・・・えっ?」
浴槽に浸かりながら、ティアは場を和ませるために冗談めかして不敬だと告げてみせる。
すると彼女のすぐ隣で、とてつもなく素っ頓狂な声が上がった。
「うん?」
「えっと、ティア様って十七歳だったんですか?」
「うん。そうだけど」
そう、外行きの態度を取っている時はわからないが、ティアはまだ十七歳の思春期真っ只中。
慈悲深く、それでいて厳格な傑物。
これらの評価に違和感を抱くほど、彼女は若い。
「・・・・・えサキちゃん知らなかったの?」
「・・・陛下、まさか教えていなかったのですか?」
ソフィとリーレがそれぞれの相手に問いかける。
するとサキはぶんぶん首を振り、ティアは首を傾けてあざとく、リーレに甘えるように微笑んで口を開く。
「誰かが伝えてるかと思って・・・」
「重要なことを・・・・・と、なれば。
サキさんは殿下の年齢もご存知ないのではありませんか?」
目元を抑え、やれやれと反応するリーレ。
そんな彼女が出した推測は、物の見事にクリーンヒット。
二人して「聞かれたら答える」スタンスであることから生まれた驚きは、ちょっと不満気なティアによって更なる驚愕に変わる。
「知りません・・・けど」
「十八。私は十七、彼は十八」
口を尖らせ、わりと大切なカミングアウトをかますティア。
成人から三年とはいえ、多くの場合は若者として扱われることが殆どの年齢である。
それゆえに、フェアリアとしても前例はなかった。
自由なことで有名だった先々代のセリア女王でさえ、即位したのは三十代半ば。
「最年少の女王と王配なの。いいでしょう?」
「アタシらとしては心配ですけどね・・・」
「ソフィ」
「いやだって事実じゃないですかっ」
いくら十五歳が成人の世界とはいえ、国ひとつを背負う夫妻がこんな年齢であるとは、あまりにも異例中の異例。
心配する周囲とは裏腹に、本人達は楽しげではあるが。
「だから、サキは可愛い妹みたいなものなの」
「陛下の・・・妹、ですか」
普通なら世辞の一環である言葉でさえ、ティアは本心ゆえのもの。
そして、この言葉が本心であるということは、とどのつまり彼女が喪失を乗り越え、ひとつ精神的に成長したという証でもある。
「・・・嬉しいです」
だが、またしてもこの場に彼女の決意を知るものは少ない。
過去から反芻し、察することができたリーレも、暖かい場においては涙を流すことなどするわけもなく。
「・・・・・この笑顔しごいてたの納得いかないんだけどアタシ」
「じゃあソフィがドローンやってみる?」
「遠慮します」
誤解が解け、関係が深まり、更に強固になった関係性。
包み込まれるような空気の中、日常は続く。




