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勝ったら婚約解消のはずでした  作者: 平瀬ほづみ


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11/12

11.手遅れにならなくてよかった

 しん、と。

 世界から、音が消えた。

 蒸気が、ゆっくりと晴れていく。


 足元では、弾け飛んだ炎の名残が、子猫ほどの大きさの虎の形にまとまっていた。それがへにゃりと地面に伏せる。耳を寝かせ、尻尾を力なく垂らし、ぷすぷすと細い煙を上げながら消えていく。


 ぽつり。

 エディスの頬に、冷たいものが落ちた。

 ぽつり、ぽつり。

 雲ひとつなかったはずの空には、いつの間に鉛色の雲が広がっていた。そこから雨粒が降ってくる。それはあっという間に数を増し、ほんの数秒のうちに、バケツをひっくり返したような土砂降りへと変わった。


 水の竜が雨雲を呼んだのだ。

 すぐにピンときた。


「きゃああっ、何これ!?」

「シュトラール様の竜って雨なんか降らせられたっけ!?」

「冷たっ! 濡れる濡れる濡れる!」


 遠巻きに様子を見ていた生徒たちが頭を抱え、蜘蛛の子を散らすように校舎の方角へ駆け出していく。


「試合は一時中断! 全員、屋根のある場所へ!」


 審判役の教師までもが上着を頭からかぶり、生徒たちを追い立てながら走り去っていった。

 ざあざあと降りしきる雨の中。

 だだっ広い丘陵地帯の真ん中に残されたのは、二人だけだった。

 エディスは、まだ、シリルの腕の中にいた。


 前髪から雫が滴り落ちる。騎士服がぐっしょりと肌に張り付いて冷たい。

 なのに、顔だけがやけに熱い。心臓がおかしな跳ね方をする。

 おそるおそる見上げる。

 シリルは口を半開きにしたまま固まっていた。濡れて額に張り付いた黒髪の隙間からのぞく耳が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 それを見ているうちに、エディスの頬も耳も、燃えるように熱くなっていった。たぶん、シリルと同じ顔をしている。


「……ど、どういうこと……」


 ようやく絞り出した声は、弱々しくて、動揺しているのが丸わかりで情けなかった。


「どうって、言葉通りだよ」

「私に婚約解消されたくないから、勝ちたかったの? 私に勝ってどうするつもりだったの」

「そんなの、決まってるだろ。婚約の継続だ。解消なんて認めない」

「なんでよ!」

「なんでって、エディスのことが好きだからだろ!」


 言い返された途端、エディスの膝から力が抜ける。

 いきなりかくんとなったエディスをシリルがあわてて抱え直した。


「じゃあ、なんで、ルクレツィア様とあんなに仲良くするの……あんなふうに意味深にくっついているのよ! 私が誤解してもおかしくない距離だったよね!?」

「それは……俺が、ルクレツィアに相談したからだろうな……どうやったら、婚約者と仲良くなれるだろうか、って」


 シリルがしどろもどろに答える。


「……」


 そういえば勝負を言い出した時、ルクレツィアもいっちょ噛みしてきた。シリルに気があるからだと思っていたが、もしそうだとしても彼女の性格を考えたらあり得ないことなのに……。

 つまり、ルクレツィアにまんまと嵌められた、ってこと!?


「父から君という婚約者がいることは聞かされていたんだ。君も魔法が使える。魔法学校に行く。同じ学校に行きたくて無理矢理こっちの学校に変更してもらった。……のに、君は俺のことを知らない風だったし、あの場にはルクレツィアもいたし、なんというか、その……あんなことが言いたかったわけじゃない。本当は、君に会えることを楽しみにしていた」


「ふぇっ……」


「君と仲良くしたかった。でもなかなか、難しくて、それでルクレツィアに相談を」

「……ルクレツィア様、策士すぎる。私、恥ずかしすぎる」


 シリルの腕の中でエディスは思わず呻いた。


「それを言ったら俺もだな。……でも、俺はこの手を離すつもりはないから」


 シリルが改めてぎゅっとエディスを抱きしめる。


「エディスの本音が聞けてよかった。手遅れにならなくてよかった」


 エディスはおずおずと、自分の手をシリルの体に回した。

 シリルの体が微かに震える。


「うん……私も、なんか、ごめん」


 言ったそばから、ふわっと目の前が明るくなった。

 目を上げると、分厚い雲の隙間から青空が覗いていた。

 雨は小降りになってきた。

 この雨は、もうすぐ上がるだろう。


***


 逃げ惑う生徒たちの流れから外れた観客席の後方に、ひとつだけ、微動だにしない傘があった。

 淡い水色に繊細なレースの縁取り。差しているのはルクレツィア・エーレンベルクだ。

 今朝は雲ひとつない晴天だったにもかかわらず、ルクレツィアは傘を持ってきていた。用意がいいのである。


「ルクレツィア様!」


 ずぶ濡れになった級友が、雨を蹴散らして駆け寄ってくる。ルクレツィアは黙って傘を傾け、彼女をその下に入れてやった。


「ありがとうございます……って、傘!? なんで持っていらっしゃるのです!?」

「備えあれば、というでしょう」


 涼しい顔で答え、ルクレツィアは雨の帳の向こうに目を戻した。

 灰色にけぶる草地の真ん中で、寄り添ったままの影が二つ、石像のように固まっている。


「あれって」


 級友が二人の姿に気付き、声を上げる。


「抱き合ってる!? えっ、どういうこと……」

「行きましょう」


 ルクレツィアはくるりと踵を返した。傘の下にいる級友も、必然的に回れ右をさせられる。


「えっ、なんで! いいところなのに! あの二人ほんっとーうにじれったくてもやもやしてたんですよね! 観察しなきゃ!」

「じれったくてもやもやは同感だけれど、それはあまりにも無作法というものよ」


 ぴしゃりと言い切って、ルクレツィアは歩き出す。

 人の恋路を覗き見する趣味はないのである。

 歩きながら、傘の縁をほんの少しだけ持ち上げる。

 降りしきる雨の向こう、灰色の空の高みを、一羽の鷹が悠然と旋回していた。その目が、眼下の草地をじっと見下ろしている。

 ルクレツィアは小さく頷いた。


 ――ちゃんと撮れているわね。


 覗き見の趣味はないが、二人のじれじれをなんとかしてくれというクラスメイトたちの苦情に応じて今回の一件を仕組んだのだ。ちょうど当事者の一人から「なんとかしたい」と相談も受けたし。

 クラス委員長も楽ではない。これは二人へのプレゼントである。


「あら、雨が弱くなってきたわね」


 いつの間にか小雨になり、雲間から青空がのぞいている。

 傘を下ろしたルクレツィアの口元には、いつもの涼やかな微笑が浮かんでいた。


エディスとシリルにお付き合いいただき、ありがとうございました!

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どうぞよろしくお願いいたします(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ᵖᵉᵏᵒ


次ページはいつものおまけです。

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