不穏な影
***
「あぁーっ、やっと終わったー……」
「まだ午後からもあるけどね」
「ーーうっ……」
午前中の授業が終了して今から昼休みに入る。ディランにとっては地獄のど真ん中から解放されるやすらぎの時間である。
その夢を壊すような発言をしたゼロが、机の上に倒れ伏したディランを見てやれやれと首を振っていると、
「よおディラン、ゼロ。一緒に昼飯食いに行こうぜ」
後ろの方から名を呼ばれて振り返ってみると、少し乱れた制服を着こなす黄土色の髪をしたクラスメイトが近づいてきた。
「ディラン、サウスがお昼一緒に食べよって誘っているよ」
「ん、サウス?」
机の表面にぴたりとくっついた顔をもぞもぞと動かして確認してみると確かにいた。
ディランがクラスでゼロとメリーに次いで親しい仲にある生徒、ーーサウス・トルマクトが。
「何だよディラン、もうギブアップか?」
「違げーよ。俺には合わないだけだ」
「言っておくが今までのお前が異常だっただけでこれが普通だからな。」
ディランが思わず見栄をはってしまうほどまで親しく接せる仲。吐き捨てるように呟いたディランは気怠るそうに目を細める。
「お前そのうち勉強に殺されてしまいそうだな……」
「……」
反論しないということは、少なからず本人も自覚はあるらしい。
「えーっと、そろそろお昼にしない?」
会話が途切れたのを見計らって、ゼロが指先で頬を掻きながら割って入ってきた。二人の微妙な空気の重さに困っているのではなく、呆れているのだ。
これは喧嘩でも皮肉でも何でもなく、ただの二人の挨拶にすぎない。
今や日常と化してきたやりとりにも慣れてきたが、普通に話せないのかと、ため息が出てしまうのはしょうがない。
「そうだな。じゃあいつものとこでいいか。俺はちょっとトイレに行くからお前らは先に購買寄って広場で待ってててくれ。あぁ、あと俺のもついでに頼む」
ディランはポケットから硬貨を五枚ほど取り出して放り投げると、確認せずそのまま小走りになって教室を出ていく。
「結構我慢していたのか……」
「そうみたいだね」
空中に舞った硬貨をそれぞれキャッチしたゼロとサウスは、苦笑いを浮かべたまま購買へと向かっていった。
***
「……朝から何か調子が悪いと思っていたらとうとうきやがった……」
突如襲ってきた腹を締め付けるような痛みにディランは廊下を疾走ーーしたくてもできなかった。
極力身体のブレをなくす早歩き。それが今のディランが出せる最善、最速の移動方法だ。
ーーよし、もうすぐだ。
視界の左奥、手荒い場を示す標識を発見しほんの少しだけスピードアップする。歯を食いしばって前に進むディランがその途中にある階段の横を通り過ぎたところで、
「あれーー」
他愛もない会話を交わしながら上り下りする生徒達の中にライニッツが混ざっていることに気付いた。
「ライニッツさ……」
人が多すぎて様々な声が入り乱れているため全くこちらに気付いていない様子。上がっていくところを察するに、学長室に用があるのは間違いない。
追いたい。けどお腹が痛い。でも気になる。
「……やっぱ無理だ」
ディランは負けた。腹の痛みにーー
ライニッツがどういった理由で訪れているのかは大体の検討がつくが、今あとをつけて扉の前で張り込んでいたら、それこそいろんな意味で学園生活がフィナーレを迎えてしまう。
もうかなり下まで侵攻してきた悪魔と戦いながら何とか持ちこたえたディランは、この上ないとろけるような表情でゆっくりと男子トイレのドアを押した。
***
「何者だ」
「ここは村人以外の人間は許可なく立ち入ることを禁止されているはずだ」
ディランがトイレの個室で己の中に潜む悪魔と格闘していた同時刻、ヒッタイ村という西はずれにある水資源の巨大な湖が近くに存在していることで有名な自然豊かな村では、二人組計四人の若者が言い争いをしていた。
「うるせえなあ、ちょっと一回りしたらすぐ帰るつってんだろ」
「だからそれが無理だと言っている。中にハイりたければちゃんと名前と所在地を
告げるんだ」
「名前はウラヌス、ケメネス村に住んでる。何回言わせりゃ気が済むんだよ」
「ケメネス村はもう何十年も前になくなっ
ている。分かり切った嘘をつくな」
二ペアのうちそれぞれ一人は互いの顔を近づけあいながら同じ会話を延々と繰り返していた。
「お前もやめろリク。これだけ言っても無駄なんだから、無理にでも引き返してもらうしかないだろ。少々手荒になってもな」
「……そうだな。見たところただの不良だ。恐らく蒼術も使えんだろう」
相棒の一声で頭が冷めたリクという男は自らの手に炎を出現させる。
ヒッタイ村の護衛を任されているヘブンズ・クラム卒業生の、リクとソーラ。力尽くで不審な訪問者を追い返すことにした。
「蒼術も使えない……か。こりゃまた随分と舐められたもんだなーーなあリュウ?」
大きくて鋭い目つきが特徴のウラヌスは、隣にいる自分より身体が一回り小さい白パーカーを着る男に目を向ける。
「別に舐められようが僕としてはどうでもいいんだけどね。それよりも君たちに一つ面白いことを教えてあげようか?」
それまでずっと黙っていた者とは思えない威圧感。一度口を開いただけでこの場を支配するかの如く、全員の注意を自らに引きつけた。
「ヘブンズ・ゲートってさ、悪の心を持つ者は入れないって言うけど、それって真実なのかな?」
「何が言いたい」
ソーラは少しも動じず訊ね返す。
「君たち三年間ヘブンズ・ゲート内にいたわけだけどさ、そもそもそういった人たちは近づいてすら来なかったよね」
「だからどうした。仮にだ、もしヘブンズ・ゲートに何の効力もなくて侵入者が入ってきたとしても、それだけだ」
「エフリーナ・フェンリルがいるから、だろ?」
「そうだ。今この世にあの人より強い蒼術使いは存在しない」
「ーーいや、いるね」
「何だと」
確かな瞳で断言するソーラを速攻で否定したリュウに対して、反抗的に威嚇したのはリク。
「それは僕たちの親、覇王様だよ」
「ハオウ……?」
聞いたことのない名に首を傾げるリク。
「誰だそれは」
「悪いがそれは言えねえな。どうしても知りたければ学園に行ってエフリーナ・フェンリルに聞けばいい」
「そういうことだから、じゃあ僕たちはそろそろ行くよ。思ったより長居しすぎてしまった」
本来の目的よりも優先すべきことができたリュウとウラヌスは互いに目配せすると村に背を向ける。
「あっ、そうそう、一つ言い忘れてたけど実はヘブンズ・クラムには既に……」
「ちょっと待てよ」
「……何だい」
自分の言葉を遮られたというのに、不適な笑みを浮かべながら振り返ったリュウ。
「散々訳の分からんことを言っときながらただで返すわけねえだろ」
「おい、リクーー」
【火炎】
周囲の急激な温度の上昇を感じ取ったソーラが止めるよりも早く、膨れ上がった炎がリュウとウラヌスに襲いかかり、
「残念だけど僕と君では格が違う。相手をしてほしかったら、せめて今の火の五神帥レベルの強さまで達しとかないとダメだよ」
ーー瞬間、無風の大地に突風が地面から沸き上がる。
【蒼炎】
二人の間を完璧に遮断する炎の防壁は、波が打ち寄せるようにして段々と広がって いきーー
「な、何だこれは……」
「……っ、威力がまるで違い……」
瞬く間に蒼い炎が二人の生身の人間を飲み込んだ。




