ライニッツと白パーカーの男
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ーーまさか【闇極穴】を使える者がいたとは……。
不覚にも吸い込まれてしまったライニッツが行き着いた先は、見晴らしがよいだけで何もない草原だった。
空には入道雲が広がっており、少々薄暗い。ライニッツは一刻も早く村へ戻りたかったのだが、何しろ今いる場所がどこなのか全く分からないで身動きのとりようがない。
「ここは一体……」
「地獄だよ」
「……」
「ハハッ、冗談だって。そんな怖い顔しないでよ。もしかして【闇極穴】をくらったのは初めてかい?」
「二度目ですよ。そういえばあなたも一緒に来ていたんでしたね」
ライニッツは微笑しながらゆっくりと身体ごと振り向いた。
両手をポケットに入れて薄ら笑いを浮かべるのは、もう彼の代名詞と言えようか。いつも通り音もなく現れた白パーカーの男は、向かいくるそよ風を感じるかの如く空を仰いだ。
「僕の目的はあなたをできるだけ遠く、そして長い時間あそこから離すことなんだ。そしてその目的は達成された。いくらあなたでもここから戻るに一時間はかかるよ」
心底困った表情で悩むライニッツの頭の中は、現在様々な数字が入り乱れている。
【光速移動】を使ったときのライニッツのスピードは分速1.5kmで、10分間が限界だ。それを越えると、そのあと3分間のインターバルを必要とする。
つまり13分で15km。一時間あればおよそ80km進める。それがルーブ村とこの草原の距離。
果てしなく続く道のりを想像したライニッツは肩を落とした。
「今更帰ったところで、その頃にはもう決着はついていると思うよ。だから僕達は信じて待とうじゃないの。どちらが生き残るか」
生き残るという言葉に反応を見せるライニッツ。
「やれやれ」口癖の一つである決まり文句を口にしながら、悪い心持ちになる。
「そのような物騒な言葉、こういう形で聞かされるなんて思ってもいませんでしたよ」
「まあそれはそうだろうね。殺人によってこれまでの歴史が覆されたのだから」
「あなたの目的は何ですか?」
「それはついさっき言ったと思うけど?」
ライニッツの質問の意図を理解した上での、男の答え。ライニッツも同じく男の屁理屈を見越した上で、口を閉じ続けた。
力ずくで問いただすことは恐らく不可能ではない。確かに目の前の男の戦闘能力には目を見張るものがあるが、それでも互いの間には大きな壁があることを両者ともに理解しているのは確かだ。
けれども、なぜだか、そうしてはいけないとライニッツの本能が直接身体に訴えていたのだ。
要するに長年培ってきたうえでの勘というやつだ。
だが僅か数秒で、男が面倒くさそうに片手で頭をかきむしりながら沈黙を破った。
「はいはい分かった。もうどうせだし話せるだけ話してあげるよ」
何がどうせなのかライニッツにはよく分からなかったが、とりあえず男の話を黙って聞くことにした。
「まず結論から言うとね、ゼロ君をスカウトしに来たんだ。ちょっといろいろと事情があって闇属性で強い人を探しているんだよ」
ポケットに手を戻し、男は続ける。
「そしたらちょうど、今年のヘブンズ・クラムの主席が闇属性っていうじゃない。それも既に蒼術を操れる。だからユーリッド君達に探し出し連れてくるように言った。けど、そこに一つだけ問題があったんだよ。何だと思う?」
愉快犯のように必死に笑いを堪える男の様を見て、ライニッツの綽然とした顔つきが僅かに歪んだ。
「まさか闇属性を何人も殺めてきた理由って……あなたの……」
待ってましたと言わんばかりに身を縮める男が高々と口を開く。
「そう。僕の情報伝達不足っていうのかな? ユーリッド君とコフ君には一応年齢は伝えておいたんだけどさ、レイミンちゃんとアミハル君には言うのを忘れていてね、そのせいで関係ない人を巻き込んでしまったんだよ。まあ僕が抵抗するようなら力ずくって言ったのも原因の一つなのかもしれないけどね」
「ですが……それだけで普通に人を殺したりはしないはずです」
「さすが、いいところに目をつけるね」
男はライニッツの身体のとある箇所を見つめながら顔を振った。反射的にライニッツの手がそこへ伸び、その指先に触れたものは、
「あのイヤリングですか……」
自分の柔らかい耳たぶの感触を感じた瞬間、ライニッツが呟いた。
「あまり驚かないってことは、やっぱり薄々気づいていたんだね。あの子達の力の源を。あれを付けると通常とは比べ物にならない力を発揮できる。その間使用者は軽く酔った感覚に襲われ、段々とただ快楽のためだけに力を奮うようになり、善悪の区別がつかなくなる」
その説明にライニッツは何も言わず、
「どこで入手したのですか?」
ただ若干息詰まりながら、沸いてくる手汗を握りしめた。
「……残念だけど、僕も人からもらった物だからそれは知らないな」
「なら誰からもらいましたか?」
それもどうせノーコメントだろうと思い切っていたライニッツの予想を翻し、男は躊躇いなしにその名を口にした。
「覇王様」
「……その方の本名は?」
ライニッツの声が震える。埋まりそうで埋まらなかったパズルが一つのきっかけで、一気に完成していくようなーー
「そんなの言えるわけないじゃない。……おっと、そろそろ時間だ。僕はそろそろ帰るね」
ちょっと喋りすぎちゃったなあ、と男が苦笑いを浮かべてため息を吐いた。
男はパーカーの内ポケットから小瓶を取り出すと、コルクの蓋を開ける。
すると中から黒煙が立ち込み始めた。徐々に前進が闇に覆われていく中、ライニッツはその場から動かなかったーー。
男は消える直前、初めて呼んだ。
「じゃあね、ライニッツさん」
決して知るはずのない名をーー。
砂漠のように広がる大草原の中心で、ライニッツは一人呆然としていた。
ーーもしかしたら私はとんでもない真実に辿り着いてしまったかもしれない……。
それからライニッツが村へと移動し始めたのは、十五分後のことだった。




