第16話 鎧袖一触
第16話 鎧袖一触
城徳戦を前に、大島はまだオーダー表を提出していなかった。
体育館の向こう側には、黒いジャージが固まっている。
城徳学園。
県大会最終リーグ、最後の相手。
ここまで霞北は筑浦二高に勝ち、兵学館に負けている。
そして城徳は、まだ負けていない。
黒いジャージ。
黒いバッグ。
応援席にも黒。
城徳の言葉は――鎧袖一触。
山口はしばらく、その黒い集団を眺めていた。
やがて大島の横へ寄る。
「先生」
「ん?」
「俺たち、城徳に勝てますか?」
大島はすぐには答えなかった。
向こうを見る。
それから言った。
「団体なら、勝てる方法はある」
山口の顔が明るくなった。
「あるんじゃないですか!」
「……でも、あんまりやりたくないんだよな」
「なんでですか?」
大島は頭を掻いた。
「なんか、嫌な大人になるみたいで嫌だ」
「なんですか、それ」
「勝つために高校生の組み合わせをあれこれ考えてさ。こいつにはこいつを当てて、ここは捨てて、こっちで取って、とか」
山口は一秒だけ考えた。
そして真顔になった。
「先生」
「なんだよ」
「今日だけ嫌な大人になってください」
「お前なあ」
熊谷が吹き出した。
神戸も笑う。
小松崎まで、
「俺も今日はいいと思います」
と言った。
「小松崎まで言うのかよ」
拓真も寄ってくる。
「で、嫌な大人は何するんですか?」
「佐藤、お前まで乗っかるな」
大島はため息をついた。
それから五人を近くへ呼んだ。
「……じゃあ、今日だけな」
山口が嬉しそうに身を乗り出す。
大島は声を潜めた。
「城徳は王者だ」
「はい」
「だから俺たち相手に、わざわざオーダーを変える必要がない」
小松崎が先に気づいた。
「先生、それ……」
「そういうこと」
大島は城徳側を顎で示した。
「城徳で飛び抜けて強いのは、渡会大と田川秀吉。この二人だ」
渡会大。
そして、百九十五センチの三年生、田川秀吉。
城徳の二枚看板。
「で、うちは?」
山口が答える。
「小松崎先輩」
「その次」
「熊谷先輩と神戸先輩」
「だよな」
大島が頷いた。
「じゃあ渡会と田川秀吉に、誰を当てる?」
山口が止まった。
嫌な予感がしたらしい。
ゆっくり自分を指した。
「……俺?」
そして拓真を見る。
「佐藤?」
「正解」
「先生!」
拓真も声を上げる。
「俺ら捨てるんですか」
「言い方!」
「嫌な大人だ!」
「お前がなれって言ったんだろ!」
笑いが起きた。
大島は指を三本立てた。
「その代わり、加藤、近本、田川秀長。この三人に小松崎、熊谷、神戸を当てる」
山口が指を折る。
「小松崎先輩で一勝」
「勝手に勝たせんな」
「熊谷先輩で二勝」
「おい」
「神戸先輩で三勝!」
顔を上げる。
「勝てるじゃないですか!」
「全部うまくいけばな」
拓真が聞いた。
「悪くいったら?」
大島は即答した。
「全滅」
「最悪の大人じゃん」
「だから嫌だって言っただろ!」
また笑った。
けれど、誰も嫌がってはいなかった。
相手は城徳だ。
普通にぶつかっても強い。
だったら五人で勝つ方法を探す。
それが団体戦だった。
大島がオーダー表を書いた。
先鋒――小松崎。
次鋒――熊谷。
中堅――神戸。
副将――山口。
大将――佐藤。
そして城徳。
先鋒――加藤正輝。
次鋒――近本。
中堅――田川秀長。
副将――渡会大。
大将――田川秀吉。
山口が何度も見直した。
「先生」
「ん?」
「全部当たってます」
大島が小さく息を吐く。
「よし」
「名将じゃないですか」
「まだ一試合もしてない」
「嫌な大人、すげえ」
「その呼び方やめろ」
呼び出しがかかった。
五人と大島が揃って、試合場脇の待機位置へ向かう。
ここから先は六人だ。
かなも、栞も、風呂も客席側に残る。
城徳側には島田晋作。
島田は風呂たちのところへは来ない。
小さく頭を下げただけで、すぐに自分の選手へ戻った。
今は霞北OBではない。
城徳学園一軍監督だった。
黒い城徳。
その向かいに、赤い霞北。
霞北の応援席には横断幕がある。
霞北高校 野武士旋風。
先鋒。
小松崎堅介。
加藤正輝。
名前が読み上げられた瞬間、会場の視線は加藤へ集まった。
「加藤だ」
「全中の?」
「去年の個人優勝」
高校空手界のスピードスター。
一年生ながら、すでに全国で知られている。
対する小松崎。
霞北高校三年。
県内では強者として知られている。
だが、全国的にはほとんど無名だった。
「始め!」
加藤が出た。
速い。
だが。
「やめ!」
赤。
小松崎。
加藤が戻る。
もう一度。
加藤が間を変える。
見せる。
誘う。
小松崎は動かない。
本当に入った瞬間だけ動く。
「やめ!」
赤。
二対〇。
三度目。
加藤が角度を変える。
小松崎も位置を変える。
加藤が踏む。
その先に小松崎の突きがある。
赤。
三対〇。
「……加藤、何もできてない」
山口が呟いた。
加藤が遅いわけではない。
むしろ圧倒的に速い。
だが小松崎は、その速さと競争していなかった。
来る場所。
来る瞬間。
そこだけを潰す。
四対〇。
五対〇。
体育館がざわめく。
「あと一つだぞ」
「嘘だろ」
全中個人王者が、六点差寸前。
加藤も意地を見せた。
距離を潰す。
組む。
小松崎の六点目を拒む。
それでも小松崎は焦らなかった。
離れる。
もう一度。
加藤が入る。
小松崎が半歩ずれる。
上段。
「やめ!」
赤。
六対〇。
試合終了。
一瞬、体育館が静まった。
そして爆発した。
小松崎堅介、六対〇。
全中個人王者・加藤正輝を、完封。
「誰だ、あれ!」
「霞北の三年!」
「小松崎!」
「加藤が六―〇って……」
小松崎が礼をして戻ってくる。
山口が目を丸くしていた。
「先輩、やりすぎじゃないですか」
「次、熊谷」
「聞いてないし」
熊谷が立った。
次鋒。
熊谷。
近本。
小松崎の六対〇。
その勢いは確かにあった。
しかし近本も強い。
一対〇。
一対一。
熊谷は追わない。
巨体を大きく振り回さない。
風呂から言われてきた。
大きい奴ほど、小さく動け。
近本が距離を外したつもりでも、熊谷には届く。
赤。
二対一。
残り時間。
近本が前へ出る。
熊谷は半歩だけずれた。
長い逆突き。
赤。
三対一。
終了。
熊谷、三対一。
霞北、二連勝。
「二つ取った!」
「城徳から二つだぞ!」
会場がざわつき始める。
「これ、霞北あるぞ」
「城徳食うんじゃないか?」
ジャイアントキリング。
そんな声まで聞こえ始めた。
中堅。
神戸。
田川秀長。
ここも接戦になった。
神戸が取る。
秀長が返す。
神戸。
秀長。
二対二。
終盤。
神戸が前へ出た。
赤。
三対二。
霞北側が立ち上がりかける。
あと少し。
だが秀長は崩れない。
残り僅か。
神戸がほんの少し下がった。
秀長が入る。
「やめ!」
青。
三対三。
再開。
残り時間はほとんどない。
互いに出る。
決まらない。
終了。
三対三。
引き分け。
神戸が戻る。
「悪い」
小松崎が言った。
「なんで謝る」
二勝。
一分。
霞北は、まだ負けていない。
しかし。
ここからが城徳だった。
副将。
山口郁斗。
渡会大。
山口は立ち上がる。
試合場へ入る直前。
一度だけ高く跳んだ。
小柄な身体が跳ね上がり、膝が胸まで来る。
着地。
「よし」
渡会と向かい合う。
体格も違う。
経験も違う。
技術も違う。
「始め!」
最初から差が出た。
山口が入る。
渡会がわずかに外れる。
返し。
青。
一対〇。
山口が今度は先に仕掛ける。
渡会は待っている。
山口が飛び込んだ瞬間。
青。
二対〇。
「くそっ」
再開。
山口はさらに速く入った。
身体がぶつかる。
「うわっ!」
小柄な山口が弾かれた。
二、三歩飛ばされるように下がり、転がる。
すぐに起きる。
渡会を見る。
「重っ……」
三度目。
渡会が来る。
山口が合わせる。
青。
三対〇。
完全に力の差が出ていた。
そこから山口は戦い方を変えた。
下がる。
渡会が来る。
さらに下がる。
端へ。
渡会が詰める。
山口は身体を寄せる。
組む。
「分かれて!」
離れる。
再開。
また下がる。
また組む。
時間を使う。
渡会に四点目を渡さない。
「山口、逃げるな!」
審判から注意。
山口が一度頭を下げる。
再開。
渡会が来る。
山口はまた下がった。
端。
身体を寄せる。
「分かれて!」
注意。
それでも。
時間は減る。
三対〇のまま。
山口は時計を見た。
あと一分。
このままなら負ける。
でも三点だけで済む。
それでいい。
大島の作戦を考えれば、それでもいい。
山口がまた下がろうとした。
そのときだった。
客席から。
小さかった。
体育館全体には届かなかったかもしれない。
けれど、山口には聞こえた。
「山口――下がるな!」
低い怒号。
山口が止まった。
大島も振り返る。
栞も驚いた。
かなの横で。
風呂英祥が立っていた。
本人も言ってから気づいたような顔をしている。
昔。
赤き野武士軍団を率いていたころ。
何度も試合場へ飛ばしていた声。
今はもう、ほとんど出さなくなった声だった。
山口が風呂を見る。
風呂はもう座っていた。
何も言わない。
山口が前を向く。
「……はい」
聞こえるはずもない小さな返事。
構える。
残り一分。
渡会が少しだけ目を細めた。
山口が、もう下がらない。
「始め!」
渡会が来る。
山口も出る。
身体がぶつかる。
山口が弾かれる。
それでも倒れない。
もう一度。
渡会。
山口。
今度は山口が先に触る。
決まらない。
渡会が返す。
山口はそれを見た。
前の手。
上。
身体が反応する。
その下。
足。
さらに。
渡会が横へずれる。
逆突き。
点にはならない。
だが山口は、その一連の動きを見た。
次。
また渡会。
山口は下がらない。
真正面から行く。
弾かれる。
戻る。
残り三十秒。
「山口!」
大島が叫ぶ。
山口はもう聞いていない。
渡会だけを見ている。
残り十秒。
渡会が前へ出た。
山口も出た。
前の手。
上。
渡会の意識が上がる。
そのまま下。
下段へ。
足払い。
渡会の足がわずかに浮く。
山口は正面にいなかった。
左側面へ流れる。
一つ。
二つ。
動きが途切れない。
渡会が振り向く。
そこへ。
逆上段。
「やめ!」
旗。
赤。
一点。
一瞬。
山口自身が止まった。
会場が沸いた。
「取った!」
拓真が叫んだ。
山口が開始線へ戻る。
残り時間。
ほとんどない。
再開。
山口がもう一度前へ出る。
しかし。
終了。
三対一。
渡会大、勝利。
山口は負けた。
明確な敗戦だった。
三点を立て続けに取られた。
逃げた。
組んだ。
注意も受けた。
それでも最後の一分。
風呂の一声で前を向いた。
そして最後の十秒。
前手で上を見せる。
下段へ足を送る。
相手の正面から外れ、左側面へ回る。
逆上段。
一連の動きが、まるで最初から一つの技だったようにつながった。
山口が戻ってくる。
肩で息をしている。
大島が聞いた。
「山口」
「はい」
「最後の、練習したか?」
「してないです」
「じゃあ、なんだあれ」
山口は渡会を見た。
「あの人が途中で似たようなのやってたから」
大島が黙った。
「使えそうだったんで」
「足払い入れてたろ」
「俺、あの人みたいに身体で押せないんで」
だから変えた。
渡会の動きを見た。
盗んだ。
自分の小さい身体では、そのまま使えない。
だから足払いを入れた。
側面へ抜けた。
そして逆上段へつないだ。
試合中に。
山口はそれをやった。
小松崎が少しだけ笑った。
「お前、変な奴だな」
「褒めてます?」
「たぶん」
山口は客席を見る。
風呂はもう普通に座っていた。
山口が小さく頭を下げる。
風呂は片手だけ上げた。
そして。
大将。
佐藤拓真。
田川秀吉。
田川が立ち上がる。
拓真は思わず言った。
「でか……」
熊谷が言う。
「俺とそんな変わらないだろ」
「先輩は味方だからいいんですよ」
少しだけ笑いが起きた。
拓真は試合場へ出る。
百九十五センチ。
だが、大きいことより。
構えた瞬間に分かった。
遠い。
自分が得意な距離が。
全部、田川の距離の中にある。
「始め!」
田川が動いた。
「やめ!」
青。
一対〇。
何をされたのか、ほとんど分からない。
拓真が先に出る。
右を見せる。
左。
田川が半歩外れる。
返し。
青。
二対〇。
もう一度。
遠くから入る。
田川が下がる。
拓真が追う。
止まった瞬間。
田川が返ってくる。
青。
三対〇。
何もできない。
右を見せても動かない。
蹴りを見せても動かない。
左を隠そうとしても、最初からそこしか見られていない。
青。
四対〇。
さらに。
青。
五対〇。
あと一点。
六点差。
拓真は開始線へ戻る。
小松崎が言った。
「佐藤」
拓真が見る。
「最後までやれ」
「……はい」
再開。
田川が来る。
拓真は下がる。
また来る。
下がる。
これ以上は下がれない。
だったら。
左しかない。
田川が入った。
拓真も出た。
左。
ほとんど同時。
田川の突き。
拓真の左。
「やめ!」
赤。
青。
旗が割れる。
審判が見る。
協議。
得点なし。
取り直し。
拓真が唇を噛んだ。
届いた。
いや。
届きかけただけだ。
一本ではない。
開始線。
「続けて、始め!」
田川が来る。
今度は拓真も迷わず左を出した。
だが。
田川のほうが一つ早かった。
「やめ!」
青。
六対〇。
そこで終了。
田川秀吉、六対〇。
拓真は一点も取れなかった。
完敗だった。
礼。
戻る。
山口が待っている。
「最後、惜しかったな」
拓真は首を振る。
「入ってないから」
「でも――」
「入ってない」
山口はそれ以上言わなかった。
五試合が終わった。
霞北。
小松崎、六点。
熊谷、三点。
神戸、三点。
山口、一点。
拓真、〇点。
十三点。
城徳。
加藤、〇点。
近本、一点。
田川秀長、三点。
渡会、三点。
田川秀吉、六点。
十三点。
二勝。
二敗。
一分。
総得点。
十三対十三。
会場がざわめく。
「全部同じだ」
「代表戦だ!」
団体戦の勝者を決める。
代表者決定戦。
城徳側。
島田が五人を集める。
しかし誰が出るかは、ほとんど分かっていた。
田川秀吉。
霞北も同じだった。
大島が小松崎を見る。
「行けるか」
小松崎はもう立っていた。
「はい」
山口が言う。
「先輩、加藤とやったばっかですよ」
「知ってる」
「田川ですよ」
「それも知ってる」
熊谷が背中を叩く。
神戸も言った。
「頼む」
小松崎は再び試合場へ入った。
城徳。
田川秀吉。
霞北。
小松崎堅介。
今日まで。
全国で名前を知られていたのは田川だった。
小松崎を知っているのは、せいぜい県内の人間。
だが今は違う。
全中個人王者・加藤正輝を六対〇。
霞北高校三年。
小松崎堅介。
「始め!」
小松崎。
赤。
一対〇。
田川。
青。
一対一。
小松崎。
二対一。
田川。
二対二。
速い。
だが、加藤との試合とは違う。
田川は速度だけでは来ない。
止まる。
見る。
誘う。
小松崎が待てば、自分も待つ。
それでも小松崎。
赤。
三対二。
田川。
青。
三対三。
一つ取る。
一つ返す。
どちらも離れない。
小松崎。
赤。
四対三。
霞北側が沸く。
あと一点。
城徳を倒すまで。
あと一点。
田川は慌てない。
小松崎が待つ。
田川も待つ。
小松崎の前足へ、ほんの少し体重が乗った。
田川。
青。
四対四。
残り時間。
山口が呟く。
「あと一つ……」
大島は何も言わない。
島田も動かない。
田川が見せる。
小松崎は動かない。
小松崎が一歩。
田川が下がる。
もう一歩。
田川が止まった。
二人が出た。
「やめ!」
旗。
青。
五対四。
終了。
田川秀吉、勝利。
城徳学園。
県大会優勝。
黒い応援席が爆発した。
城徳の選手たちが立ち上がる。
田川が礼をする。
小松崎も礼を返す。
負けた。
霞北は、負けた。
小松崎が試合場を出る。
そのときだった。
拍手。
最初は霞北の応援席。
次に、その隣。
そして反対側。
一つ。
二つ。
十。
百。
体育館へ広がっていく。
城徳への歓声が収まっても。
小松崎への拍手は、なかなか鳴り止まなかった。
「霞北の小松崎って誰だ?」
「三年だって」
「加藤に六―〇だぞ」
「田川とも四―五」
「すげえな」
そして。
誰かが赤い横断幕を見た。
霞北高校 野武士旋風。
「野武士旋風か」
今度は昔の新聞記事を見て言ったのではない。
今日の霞北を見て。
そう言った。
小松崎が戻ってくる。
「すみません」
大島が言った。
「何が」
「最後、取れませんでした」
「四点取っただろ」
「でも負けました」
大島は否定しない。
「そうだな」
「はい」
「負けた」
「はい」
「じゃあ次、勝て」
「はい」
それだけだった。
向こうでは城徳が優勝を喜んでいる。
島田は霞北側へは来ない。
今は城徳の監督だった。
選手たちの中にいる。
王者は、王者だった。
やがて本部席から放送が入った。
『選手の皆さんは、そのままお待ちください』
大島が顔を上げる。
山口が聞いた。
「表彰式ですか?」
「たぶんな」
試合場の片づけが始まる。
その一方で、本部席では何人もの役員が集まって話をしていた。
予定表を見る者。
時計を見る者。
電話をかける者。
大島も少し気になって見ていた。
最終リーグは終わった。
一位は城徳。
そこまでは決まっている。
問題は、その下だった。
霞北。
兵学館。
筑浦二高。
三校が同じ成績で並んだ。
本来なら大会規定に従い、三校による順位決定戦を行う。
だが。
時計は、予定していた時刻を大きく回っていた。
接戦が続いた。
城徳と霞北は代表者決定戦にまで入った。
予定外に時間が押している。
しばらくして、再び放送が入った。
『本日の団体競技につきまして、第一位のみ表彰を行います』
体育館が少しざわついた。
『同率となりました霞北高等学校、兵学館高等学校、筑浦第二高等学校の順位決定戦につきましては、本日の競技進行が予定時刻を超過したため、後日実施いたします』
「今日じゃないんだ」
山口が言った。
「みたいだな」
大島も初めて聞いたらしい。
役員から各校監督へ紙が配られる。
大島も受け取った。
目を通す。
「先生、いつですか?」
拓真が聞く。
「来週」
「来週?」
「日曜」
山口が覗き込む。
「場所は?」
大島が一度、紙を見直した。
「兵学館高校」
「え」
山口が向こうを見る。
白いジャージの兵学館。
「敵地じゃないですか」
「別に敵地じゃない」
「いや、敵地でしょ」
「大会なんだから」
「白しかいないところですよ」
神戸が言った。
「俺ら赤いから見つけやすくていいだろ」
「そういう問題ですか?」
後から事情も伝わってきた。
県の武道館は、この大会だけのものではない。
翌週にも別の大会や行事が入っている。
三校だけの順位決定戦のために、改めて大きな会場を一日押さえるのも難しい。
使用料。
設営。
役員。
審判。
予算もある。
そこで会場を提供すると申し出たのが兵学館高校だった。
十分な広さの道場がある。
試合場を取れる。
観客席もある。
審判控室もある。
更衣室も救護設備もある。
三校で順位決定戦をするには、ほとんど困らない。
兵学館の設備なら、県武道館を改めて借りるよりずっと簡単だった。
「金持ち学校……」
山口が呟いた。
大島が紙で頭を叩いた。
「そういう言い方するな」
「でも設備いいじゃないですか」
「それはそう」
その横を、柳瀬隆が通った。
聞こえていたらしい。
「会場費、安いよ」
山口が振り返る。
「やっぱり金じゃないですか」
「山口」
「痛っ」
今度は少し強めに大島に叩かれた。
柳瀬は笑いながら行ってしまった。
そのころ。
試合場の中央では表彰の準備が整っていた。
今日表彰されるのは、一校だけ。
城徳学園。
選手たちが前へ出る。
黒いジャージではない。
白い道着。
田川秀吉。
渡会大。
田川秀長。
近本。
加藤正輝。
その前に島田晋作。
優勝旗。
賞状。
拍手。
霞北の五人も拍手した。
山口も。
拓真も。
小松崎も。
城徳は強かった。
最後まで王者だった。
その事実に文句はなかった。
優勝旗が城徳へ渡る。
拍手。
それで今日の県大会は終わった。
二位は、まだいない。
三位も、まだ決まっていない。
霞北。
兵学館。
筑浦二高。
三校だけが、一週間後へ持ち越された。
体育館の外へ出る。
夏の夕方。
思っていたより遅い時間になっていた。
山口がバッグを背負う。
「来週また兵学館かあ」
拓真が言った。
「この前負けたしな」
「だからいいじゃん」
山口が振り返った。
「やり返せる」
熊谷が続く。
「筑浦二高もいるぞ」
「そっちは一回勝ってます」
神戸が言った。
「そういうこと言ってると負けるぞ」
「はい」
山口は素直に返事をした。
それから少し歩いて。
「でもさ」
「何」
「今日、全国決まらなかったんだな」
拓真もそこで気づいた。
城徳は決まった。
一位。
全国第一代表。
でも霞北は違う。
負けた。
けれど終わっていない。
来週。
もう一度、兵学館。
もう一度、筑浦二高。
三校だけで戦う。
そこでまず、二位を決める。
全国大会の第二代表は、その順位だけで自動的に決まるものではない。
今日の最終リーグ。
来週の順位決定戦。
そこでの成績と試合内容。
それらをもとに県から推薦を受け、さらに関東で認められなければならない。
だから、二つ勝てば必ず全国というわけでもない。
逆に。
今日、城徳に負けたから終わりでもない。
大島が前を歩きながら言った。
「お前ら」
五人が見る。
「来週、二つとも取るぞ」
小松崎が答えた。
「はい」
熊谷。
「はい」
神戸。
「はい」
山口。
「はい!」
最後に拓真。
「はい」
風呂は少し後ろから歩いていた。
何も言わない。
山口がちらっと振り返る。
さっきの声を思い出す。
――山口、下がるな。
目が合った。
山口は何も言わなかった。
風呂も何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ顎を引いた。
拓真は自分の左手を見た。
田川秀吉には、〇点。
最後の左も一本にならなかった。
何もできなかった。
その事実は変わらない。
でも。
もう試合は来週だった。
落ち込んでいる時間も、それほどない。
駐車場へ向かう途中。
山口が言った。
「佐藤」
「何」
「来週、兵学館でやるならさ」
「うん」
「俺らまた白い連中の中に赤で行くんだよな」
「そうだな」
「目立つな」
「お前、そういうの好きだろ」
山口が笑った。
「好き」
小松崎が前から言った。
「早く来い」
「はい!」
二人が走る。
一週間後。
会場は兵学館高校。
白の中へ。
霞北の赤が、もう一度乗り込む。
野武士旋風は。
一週間だけ、持ち越しになった。




