午前零時のキス
聖人先輩に指定されたバーは、なんとも風変わりな店だった。
地下へ続く階段を降り、重たい木の扉を開けると、薄暗い店内には古びた時計やら用途の分からない置物やら、年代も国もバラバラに見える品々が所狭しと並んでいる。
壁には見たこともない文字で書かれた紙が額に入れて飾られ、その隣には何故か子ども向けらしい絵本まで置いてあった。
アンティークバー……でいいのかな?
こういうお洒落な店に縁のない私には、何をテーマにしているのかさっぱり分からない。
待ち合わせより少し早く着いてしまった私は、カウンターの端に置かれていた一冊の古い絵本をなんとなく手に取った。
表紙は擦れて題名もほとんど読めない。
何ページか捲ってみると、黒っぽい男と白い女が出てくる昔話らしいのだが、途中から何を言っているのか分からなくなってきた。
『死と命がふたたび巡り会うとき――』
「……なんのこっちゃ」
その先も読んでみたが、やっぱり分からん。
恋人いない歴イコール現在の私には、こういう意味深な恋物語を読み解く能力まで備わっていないらしい。
早々に諦めて絵本を閉じると、カウンターの向こうにいたマスターと目が合った。
白髪のかなり年配の男性で、この店に負けず劣らず変わった格好をしている。黒い服の上から丈の長い上着を羽織り、袖口も手が半分隠れそうなほど広い。
これも店の雰囲気に合わせているのだろうか。
「難しかったですかな?」
「難しいというか……よく分かんなかったです。これ、マスターの?」
「ええ。古い話でしてね」
「へぇ……」
絵本を元の場所へ戻し、改めて店内を見回す。
やっぱり何の店なんだ、ここ。
そんなことを考えていると、階段のほうから足音が聞こえてきた。
「お待たせ。早かったね」
「あっ、先輩」
ようやく見慣れた顔が現れて、私は少しだけホッとした。
「聖人先輩、今日の裁判すごかったですね」
「いや、裁判はいいよ。問題は終わったあと! 外にいる反社の数って言ったら、マジで俺ビビったもん」
聖人さんは笑いながらそう言うと、グラスを私のものへカチンと当て乾杯した。
五時間前、聖人検事は反社の組長に死刑を求刑した。
裁判所を出た時には、黒いスーツ姿の男たちが何人もこちらを見ていた。聖人さんは笑っていたけれど、私は検事という仕事が本当に人から恨まれるものなのだと、少しだけ実感した。
終電ギリギリになってしまい、バーを出た私たちは駅へ向かっていた。人気の少ない路地をまっすぐ抜ければ駅が近いらしく「こっちのほうが近道だよ」と聖人さんは少し前を歩いている。
その大きな背中を追いかけていると、光を失った路地裏で、突然足を止めて振り返った。
「あの……もしよかったら……今度プライベートでも一度会ってみないか? 今度の日曜とか」
ぬおおお! 来た? 来たんだね? 私にも春というものが!?
地頭が特別良かったわけでもない私は、中学から部活も遊びも、もちろん恋愛も全部無視して勉強しなければ、とてもじゃないけど検事になんてなれなかった。
中一から数えて十三年目!
とうとう私にも初めての春が来たのか……。
ええ、ところでなんて言えばいい……。
「あっ、あの……」
「ダメかい?」
ダメなわけないだろ! 言葉が……言葉が突然見当たらないのだ。どこを探しても一向に見つからない!
「ゴメン、突然言われてもだよね。よかったら返事はLINEで――」
『柿崎聖人、死ねやー!』
「先輩!危ない!」
パンッ――。
私の後頭部に、今まで感じたことのない衝撃が走ると同時に、スマホから終電のために設定したアラームが鳴った。
◇
くちびるが、重なっている?
聖人先輩のくちびる……?
これが……キス……。
キスって……。
息を吹き込まれるものなの!?
目を開けると、紫色に光っている奇妙なローブを纏った小さな女の子が、私とくちびるを優しく重ねていた。
「うわっ!!」
慌てて突き飛ばすと、その子は「いってぇ!」と声を上げながら床に転がった。
「何すんだよ!」
……はっ?男の子?
人生初のキスが男の子だったという点だけは喜ぶべきなのかもしれないが、そういう問題ではない。
そもそも誰だ!?
辺りを見渡すと窓のない殺風景な部屋があり、私は硬い机のような所に寝かされていた。
病院? いや違う……薄明かりだけが灯った小さな部屋だ。
そして……何故はだか?
私は慌てて身体を隠しながら自分を確認すると、胸元にあった立派なものがない。
身体を触ると、どう考えても私は子どもの身体になっていた。
改めて少年を見ると、真っ黒の着膨れたローブに包まれた男の子が、怪訝そうな顔をして私を見ている。
ヤクザの変な趣味につきあわされている? そもそも私、死んだ? 怪しすぎるこの窓のない部屋はなに?
「えっと……どこ、ここ? ヤクザさんの事務所? ……あんた、だれ?」
「――あんた誰って……おかしいな。記憶の混同とかねーはずなのに。それより、なんで一瞬で目が覚めちまったんだ? シャーロン?」
ちょっと待て。私はこんな女の子みたいな少年なんて知らないぞ。
「でも普通は本人が戻ってくるし、生気が戻って目ぇ覚ますまで二、三日はかかる。だから俺も、その頃にはとっくにいねーんだよ。知らねー奴が入ってきて、術が終わってすぐ起きたことなんか一回もねえんだけどなぁ……」
「二、三日?」
「いや、こっちの話」
少年は首を傾げながら、私の顔をジロジロと眺めている。
そのまま私の周りを回り始めた少年を目で追っていると、後ろからうめき声が聞こえ、続けてドサッと人が倒れる音がした。
恐る恐る振り返ると、目隠しされた男が床に倒れている。
はっ? なに? どうなってんの? 死んだ? あの男?
「お前、名前とか覚えてんの?」
少年は私の顔を覗き込むように近づいてきた。
近い近い近い!
さっきまでくちびるくっつけてた相手だからね!?
緊張してんの? 私。
目を合わせられないのよぉ――。
「わ、私はぁ……富永さつき。あ、あなたは? ちっちゃい閻魔さま? ……なんつって……アハッ、えっと……これは……なんかの審判? 罪状認否とか……? ですかね……」
「はあ? とみっ? なんだって? なんでこうなった? お前シャーロンじゃねーの?」
シャーロンと言われても、そんな名前に心当たりはない。
それより裸をマジマジと見られているようで落ち着かず、私は身体を隠したまま辺りを見回した。
その時、肩にかかった髪が目に入った。
手に取って確かめてみても、どう見てもやはり私の髪ではない。
「あのお……どうやら私、違う人に入っちゃったみたいな……? それより服をもらえるとありがたいのですが、いただけませんかね?」
「ん、ああ。そこ」
少年が指差したのは、死体かもしれない男の横にある小さな机だった。
持ってきてくれんのかい!
仕方なく身体を隠しながら机まで行くと、置かれていたのは洋風のお姫様が着るような薄赤いドレスだった。
着かたもわからん……。
「んで、トミなんとかさんは、なんでシャーロンの身体に入ったの?」
「いや、私が聞きたいくらいで――何なんですかねえ。決して悪い人間ではなかったと思うんですけどねえ、アハ……アハハ。それよりちょっと恥ずかしいのですが、これ着るの手伝ってもらえませんかねぇ……」
「はあ? 俺が?」
「だって着かた分からないし……」
少年は露骨に嫌そうな顔をした。
「俺だって女の服なんか知らねーよ」
「そこをなんとか……」
「めんどくせーなぁ」
文句を言いながらも、少年は私の後ろへ回った。
「腕、通せ」
「はい……」
なんだこの状況。
二十五歳にして初めて男の人に服を着せてもらっている。
いやいや、男の人ではない。男の子だ……余計悪いな……
相手はどう見ても十二、三歳くらいだし、私の中身は二十五歳なのだから、別に恥ずかしがる必要なんてない!心の持ちようだ。
「動くなって。留めらんねーだろ」
「ひゃんっ!」
背中に指が触れただけで変な声が出た。
違う。これは恋愛経験がなさすぎるだけだ。
子ども相手に何を緊張しているんだ私は!
「変な声出すなよ、キモいな!」
「う、うるさいですねぇ……」
少年に服を着せてもらいながら、私は日本で検事をしていたことや、裁判所を出たあとに撃たれたことを説明した。
「ニホン? トットリ? チホウサイバンショ? なんだそれ」
「一個も通じないかぁ……。えっと、あなたは?」
「クロウ・ジェイド。お前と同じクラス」
「同じクラス?」
「シャーロン・ベイン。十二歳。それがお前の名前」
富永さつき、二十五歳。
現在、シャーロン・ベイン、十二歳である。
警察からこんな身上調書が上がってきたら秒で突っ返すだろう。
「じゃあ……そのシャーロンちゃんは……?」
「病気でさっき死んだ」
「えっ?」
「そして俺が今生き返らせた」
私はゆっくりと後ろを振り返った。
「生き……返らせた?」
「俺、ネクロマンサーだから」
ネクロマンサー?漫画?ゲーム?いるの?そんなの?
「つまり私は、亡くなったシャーロンちゃんの身体に入っていて……クロウ君が生き返らせたと?」
「クロウでいいよ」
「えっ?」
「同じクラスなんだから君とかいらねーだろ」
「あっ、はい……クロウ」
呼び捨てにしただけなのに、なんだこの妙な感じは。
私は二十五歳、この子は十二歳、中身で考えれば十三歳差。
なのに見た目だけなら同級生。
ややこしすぎる。
「でも普通は本人が戻ってくる。知らねー奴が入ってきたことなんか一回もねえ」
「だったら私、どうすれば……」
「知らね」
「そんなぁ……」
「でも調べりゃなんか分かるだろ」
そう言いながらクロウは私の背中にある最後の留め具と格闘していた。
「苦しかったら言えよ。俺、女の服なんか知らねーから」
「えっ、あ、うん、大丈夫……」
……ん?ちょっと待って。
だったら、さっき後ろで倒れた目隠しされた男はなに?
「あの……あちらさんは……?」
「ん? ああ、お前の親父が連れてきた死刑囚! お前の代わりに死んだ奴だ」
クロウは悪びれた様子もなく答えると、私のドレスを着せ終えた。
「…………は?」
「蘇生するには生きてる奴がいるんだよ」
…………はあ?
こんな子どもに漫然と殺人事件起こさせているの?
どんな世界じゃーー!?
そんなことを一人で考えていると、クロウは私の首に腕を回してきた。
「ちょっ――」
「さつきって言ったっけ?」
「は、はい」
だから近いって!
顔中が痺れてくるような感覚に襲われる。薄っすらと香る心地よい香りに包まれると、身体まで硬直して動かなくなった。
なんなの、これ……。
「よく俺も理解できてねーし、来ちまったもんはしょうがねえ。元いた所に返してあげられるかはわかんねーけど」
「はいっ……できればご協力いただけると……」
「ただ、さつきってバレねーようにしなきゃな。できることはやってやる。あと、俺も調べられるだけ調べといてやるよ」
はっ……? まさかの優しい子?
さっきまで死刑囚が死んだことを平然と話していたのに? 隣に立つクロウを見上げ、私は今さらその顔をマジマジと見てしまった。
黒いローブは身体の大きさに合っていないのか、肩から裾までふくらんで見える。そのせいで最初は怪しさしかなかったけれど、袖から出た手は驚くほど細く、顔だけ見ればその辺の女の子より綺麗なくらいだった。
透き通るように白い肌に、スッと通った小さな鼻。少し長めの前髪から覗く大きな瞳は、睫毛まで女の子みたいに綺麗なのに、口元だけはさっきから生意気そうに曲がっている。
これで黙っていれば、お人形さんみたいなのに……
「なに見てんだよ」
「いや……顔、すんごい綺麗だなぁと思って……アハッアハハ」
「はあ? 意味分かんねー、中身二十五のくせして!」
うん♪ 喋ると全然お人形さんじゃない。
どこにでもいる生意気で立派なクソガキだ!
そんな会話を横に倒れている死刑囚の前でしているから、検事として気になりクロウに恐る恐る聞いてみたくなった。
「あの……死刑囚さんは……お知り合いかな?」
「あ?」
うわー……露骨に嫌な顔しているし、なんなら無茶苦茶メンチ切られてますけどぉ……。
「知り合いなんか犠牲にできるわけねえだろ、バーカ……」
「えっ……」
そう呟いたクロウは一瞬だけ悲しそうに目を伏せると、そのまま私を見ることなく部屋の外へ出ていった。
残された私は、閉まった扉と床に倒れた男を交互に見る。
……やっぱり、よく分からない。
この世界のことも。
ネクロマンサーなんてものも。
そして何より――あの生意気なクソガキのことも。




