一話目
馬車の中で目を覚ました。
途端に記憶が洪水のように押し寄せる。
「……っ」
前世のこと。
神様のこと。
今世のこと。
目眩を感じ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
それで、だいぶ落ち着いた。
情報を脳内で整理する。
今世の自分は、【リンドヴルム皇国】の貴族の娘らしい。
名前は【アイリス・サーヴェ】、三歳。
記憶によると、侯爵家の娘らしい。
彼女は生まれた時、すでに桁外れな魔力を有していることが判明した。
龍皇の一族も、膨大な魔力を持つ一族である。
そんな龍皇の一族を遥かに凌ぐ魔力を持つのがアイリスである。
彼女が、皇子の妃候補となるのは必然であった。
しかし、ここで神様から与えられた情報が溢れ出た。
俺が生きた前世、一周目の世界。
そちらでは、元々アイリスは死産となっていたようだ。
しかし、今回、俺に新しい人生を与えるために神様が、調整をした。
二週目のこの世界でも、アイリスは死産であった。
けれど神様の調整により、息を吹き返した。
これにより、奇跡の娘として神の加護を受けている、と噂になった。
この世に生まれて三年。
アイリスの中に眠っていた、俺が目覚めた。
では、それまでのアイリスの人格はなんだったのかというと、神様によって与えられた疑似人格だったようだ。
俺が目覚めると同時に、疑似人格は消滅するよう設定されていた。
ふと、この世界の【俺】がどうなったのか気になった。
すると、その情報も脳内に浮かんできた。
どうやら、二週目のこの世界の俺は死産だったらしい。
アイリスの生まれた日に、俺は死んだわけだ。
本来、俺の体に入るはずだった魂がアイリスの中に入ったのだから、道理である。
前世の両親は悲しんだだろうか。
その情報はしかし、与えられなかった。
知らなくていいことなのかもしれない。
もう、俺は別人として生まれたのだから。
しかし、では、恋人はどうか?
こちらは元気に産まれ、すくすくと育っているということがわかった。
そのことに、ホッとする。
元恋人は、無事生まれた。
そして、健やかに生きていくことが確定した。
あとは、その人生を守るだけだ。
彼女が俺以外の誰かと恋をして、家族となって、やがて子宝に恵まれる、そんな在り来りで幸せな人生をおくってほしい。
俺は、その人生を守るだけだ。
では、どうやって守るのか??
龍皇と関わらせないのが必然だ。
では、龍皇と関わらせないようにするにはどうすればいい?
一周目の世界では、龍皇はいまから十年後に大陸制覇、統一に乗り出す。
そして、戦利品として各国の姫や貴族令嬢を奪うのだ
俺の恋人も、そうして奪われた。
情報では、アイリスは後の龍皇、現在はただの十五皇子の婚約者候補であるらしい。
そして、今日は現皇子、後の龍皇との初顔合わせの日でもあった。
アイリスは現在三歳。
龍皇……今は皇太子でもなんでもない第十五皇子だ。
末っ子も末っ子。
なんなら皇位継承権すら与えられていない。
脳裏に閃く、神様から与えられた情報によると、現在彼は五歳とのことだった。
今日、皇子――後の龍皇を亡きものに出来たなら、歴史が全部変わるのではないか?
そんな考えが脳裏を過ぎったときだ。
「アイリス、気分でも悪いのか?」
一緒に馬車に乗っていた、アイリスの父親が声をかけてきた。
優しく、娘に甘い、どこにでもいる父親だ。
本当に心配そうに、俺の顔を覗き込んでいる。
「やっぱり、やめておけば良かっただろうか」
アイリスの父親――サーヴェ侯爵はそう呟く。
それを母親――侯爵夫人が窘める。
「皇室からの直々のお誘いですよ、断れるわけないでしょう」
侯爵夫人は気丈に言ってはいるが、彼女の表情はどこか暗い。
龍皇の妃候補筆頭、となればまず、普通の貴族としての人生は望めない。
淑女教育に加え、妃教育もはじまるのだ。
「……お父様、お母様、ちがうんです。
私、とてもたのしみなんです」
どこか舌足らずだったが、俺は言葉を繰り出した。
二人を安心させるために。
貴族であって、貴族らしくない両親を安心させるために、心にもない言葉を続ける。
「皇子様に会うのが、とてもたのしみなんです。
エミリーに読んでもらった絵本では、皇子様はとても怖くて、悪い邪神をたおして、お姫様をたすけだしてたんです!
とてもとても格好よくて!
だから、会うのがとても楽しみなんです!」
エミリー、というのはアイリスの教育係兼乳母である。
エミリーはよく、アイリスに絵本の読み聞かせをしているのだ。
架空のおとぎ話と、現実の皇子は違う。
そんなの百も承知だ。
けれど、この歳の子ならおとぎ話と現実を混同しても不思議ではないだろう。
だから、これくらい言っても不自然ではないはずだ。
「まぁ、そうなの?」
母親が微笑んだ。
しかし、やはり表情はどこか暗い。
「絵本の皇子様のような、カッコイイ方だといいわね」
「ノア様は立派な方だとも。
すでに五つの国の言葉を話しているというし。
とても、聡明な御子であると評判だ」
父親も明るく言ってはいるが、どこか声が落ち込んでいる。
ノア様、というのが後の龍皇であり、第十五皇子の名前である。
ノア・リンドヴルム、というのが彼の名だ。
前世での俺の両親は、早くに病没していて親孝行ができなかった。
今世の両親は、とてもいい人たちだ。
アイリスに惜しみなく愛情を注いでくれている。
俺が今日、仮に、まだ子供の皇子へ害を加えれば、この人たちにもその責任を負わされることになる。
皇室へ危害を加えたものは、いかなる理由があろうとも死罪となる。
それは、とても心苦しい。
この人達は、いい人達だからだ。
なら、どうすればいい??
龍皇は憎い。
俺から、恋人を奪った龍皇が憎くてたまらない。
今でも生々しく、死の瞬間を思い出せるのも、憎しみに拍車をかけていた。
殺すしかない。
そう、考えたときだ。
神様の言葉を思い出した。
――君の願いを叶えるために能力を二つ、渡すね
――
俺には能力が二つ、与えられている。
そう、たしか、一つは……。
その能力について思い出すと同時に、俺の眼前へそれは現れた。
薄い膜というか、【枠】だった。
ガラス板のようにも見えるが、ちがう。
【枠】の中には、文字が並んでいた。
使い方も、一瞬で理解できた。
これが、他者へ相談する能力らしい。
能力名も知った。
【異世界交流】というのが、能力名だ。
こことは違う世界と繋がっている、掲示板と呼ばれる場所。
そこで、全くの他人と文字で交流することができる能力らしい。
「アイリス、どうした??」
父親が、再び心配そうに聞いてくる。
枠越しに、父親を見る。
母親もこちらを見ている。
しかし、【枠】には気づいていない。
否、見えていないらしい。
つまり、これは俺にしか見えていないのだ。
もしかしたら神様にみえていたものも、この【枠】と同じものだったのかもしれない。
「すみません、楽しみすぎて。
皇子様のことを考えていました」
本当に楽しみなんだ、という振りをしつつその場を誤魔化す。
両親は納得してくれたらしい。
二人は、まだ表情はどこか暗かったが、それでも愛娘が楽しみにしているのなら、とそれ以上はなにも言ってこなかった。
俺は枠を見る。
使い方もわかった。
本来なら枠に触れて指を滑らせると動作するものらしいが、そんなことをしていたら両親に怪しまれてしまう。
けれど神様が調整を加えてくれたらしく。
目線と、指を少し動かすだけで操作できるようだ。
これなら、両親が目の前にいる現状でもなんとか使える。
俺は、さっそく使ってみることにした。




