【柔らか無哭】
戻りしな、ガルドが先ほどの装飾品の露店前を通れば、女性店員ににこりとされた。
「ん……」
――顔でも覚えられただろうか。
大きな身体と、睨みつけるような表情。悪目立ちをするのは元々だったが……店員には、片眉だけで返事をして、中央広場へ戻った。
秋にしては、陽光穏やかな日。
中央の広場から旅宿通り、その先の西部広場にある冒険者ギルドへ向かう。
旅宿通りは軽食の屋台や露店が多く、ちょっとつまむのによさそうなものばかり。
ここいらで飯でも買って、その辺のベンチで食うのも悪くなさそうだ。
……そんなことを思いながら、ひたすらに歩を進める。
冒険者ギルドの大扉を引けば、こちらも昼前の穏やかな喧騒に包まれていた。
再び姿を現した無哭に、けれど特に慌てるでもなく、受付やその奥にいた職員が会釈や目礼を以て反応する。
なんだ、今日はやけに――、ガルドの眉間に皺が寄った。
(……なんだ、なんか顔にでもついてんのか俺……)
小さく頭を振りながら、……それか何か顔にでも出ているか、と視線を階段へと向ける。
そう思えど、心当たりはない。――うん、ない。……いや……。
二階への階段に足をかけ、登る。きもちゆっくり。
――朝から、あいつのことしか考えていない。ことくらいしか、心当たりがない……が。
別にそれは、いつものことだし、珍しくもない。……ぞ……。
二階の廊下、書庫へと向かうその通路ですれ違った書記官が、ガルドを見てぺこりと会釈をひとつ。
それにも目線だけで返事を――しようとして、ガルドが振り返る。
「おい」
「へ、あ、はい!」
「……今、俺どんな顔してる」
「へっ?」
唐突に話しかけられ、しかも問いまでかけられ、書記官は目を丸くした。……どんな顔、と言われても、と……瞬きをふたつほど。
"無哭のガルド"は、職員の中でも知らぬ者はなくて、昔からいろいろな街を転々としているから、勤続年数が長いほどに顔を知っている職員も多い。自分もそのうちの一人。
赤く鋭い双眸、大柄な体躯、腹の底から湧き上がるような威圧感、そして人嫌い。そんな人物だった。
――だった。
「ええと……あくまで自分個人の所見ですが、……柔らかい表情をされてるかと……その、昔よりかは……」
「…………」
……そういうことか、と、……ガルドが少々、渋面になった。
「……ありがとよ」
「はっはい!」
ぼそりと返し、肩をすくめる書記官を背に、ガルドが再び書庫へと身体を向ける。
廊下に残された書記官は、きょとんとしながらも、その背を見送って頭を下げた。
"柔らかい表情"など……言ってしまってよかったのかとやや不安にもなったが、今のぶっきらぼうな返答は、怒ってはいなかったように思える――たぶん。っていうか俺「ありがとう」って言われた……??
わずかに首を傾げながらも踵を返す書記官の頬には、ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
ギルド二階の廊下を進んできた、先。
片方だけ開け放たれた重厚な扉からは、書庫の静けさが漏れていた。
そこへ身を滑り込ませれば、出入り口付近のカウンターにいた書庫職員が、再び肩をびくつかせる。
手元の目録リストに思わずペンが滑り、書式を斜めに横断していった黒い線に、「アッ」と小さな悲鳴すら上がっていた。
「…………」
その手元をガルドが横目で見下ろす。……俺のせいか、という視線だがしかし、受付や書記官ならまだしも、"無哭"に慣れていない書庫の職員には睨みにしか見えない。
「……わりぃ」
「いっ、いえ」
小さくそんなやりとりがなされ、ガルドが視線を書庫の奥へと投げた。陽光の筋が差し込む読書区画に、淡紫の姿がある。
緩やかな背で、椅子に腰かけ背筋を伸ばし、手元の書物に視線を落としたまま、指先で静かにページをめくり。
恐らくこちらの一瞬の会話など聞こえてすらいなくて、ガルドが書庫に戻ってきた気配にも気づいていなくて。
けれどその横顔を見ただけで、ガルドの胸の奥で、何かが溶けたように静まった。
歩み寄りながら視線を巡らせれば、他に人もいない。
静かな書庫の中、よほど充実した時間でも過ごしていたのだろうか。
「……来たぞ」
椅子の背に手をかけ、ガルドが一言、そう声をかける。
小さく肩を揺らしたルシアンも、読書の手を止めて振り返るように見上げてきて、……微笑んだ。
「あ、おかえり。早かったね」
「……ああ」
ぱたりと、その手の中で本が閉じられる。この銀の瞳が向けられるだけで、自分の表情が"柔らかく"なるのも、――仕方のないことだ。抗う余地もない。
ルシアンが立ち上がれば、護衛は一歩身を引いた。
街中を散歩でもしてきたのだろう、外套の裾に落ち葉が一枚だけついている。
読みかけの本と、机の上に置いていた一冊を手にする間も、急かすことなく静かにそこにある大きな影。
カウンターで何やら修正液と戦っている職員に、ルシアンが手持ちの本を差し出す。
「失礼、貸し出しの手続きをよろしいでしょうか」
「あっ、はい、ただいま!」
慌てたように職員が台帳を広げるのを、静かに見つめる二つの影。
何一つ急かされてなどいないのに、早鐘を打つ職員の心臓。あと震える手元。
「どこに行ってきたんだい?」
「……工房通り見てきた」
「そう。今度案内してね」
「……ああ」
そんな穏やかなやりとりすら、果たして自分が聞いてしまってもいいのだろうかと思うほどの緊張。
二冊の本を受け取り、ルシアンが丁寧な手つきで革鞄にしまい込んだ。
「ありがとうございました」
「ま、またどうぞ!」
言いながら、いや本を借りたんだから返しには来るのに"また"は違ったか……!と……、職員が胸中で頭を抱える。
しかしそんなことなど気にもせず、にこりとひとつ柔和な笑みを落として、ルシアンが書庫を後にする。……その後ろをガルドが。
何がかは知らないが何とか事なきを得て、職員が胸を撫でおろす。
――このふたりが昨日、顔役に"お目通り"をさせられて危うくお怒り寸前だった、という真偽の不明な話を同僚から聞いて、書庫職員が胃を押さえたのは――この日の夜の話だった。
「んで、依頼覗いていくのか」
階段をギルドホールへ向かって下りながら、はた、とルシアンが隣を見上げていた。
――依頼。そうだ、そもそもそういえば、そんな話だった。
「ガルドが書庫だなんて言うから……」
「なんだ、俺のせいか」
微笑み交じりの睨みに横目で返しながら、ガルドもひとつぼやく。
一階のギルドホールまで降り切れば、時間帯の都合か、掲示板周りは人がまばらだった。
レストロワの冒険者ギルドの掲示板は、他の支部とは規模が違う。
特に需要の高い、輸送護衛や街道随伴、街道の安全調査や倉庫群の見回り補助など、交易都市特有の依頼が数多く、これだけですでに掲示板が一枚埋まり切る。
並んでもう一枚あり、そちらには一般的な討伐依頼や調査依頼、採取や保全系の依頼が貼り出されてはいたものの、……護衛系がこちらへ少々溢れてきている始末。
「……すごいね」
「まぁ……輸送中の襲撃がどうたらってのばっかだ」
紙束の海を物珍しげに見上げながら、銀の瞳がその一通りを滑っていく。
ふと視線を流せば、受付カウンターからこちらの様子を窺う仕草がちらちらと。……、この護衛のお眼鏡に適うかどうかが気になる、といったところだろうか。
ふふ、と目元だけで笑うルシアンの隣では、ガルドが腕を組み、依頼書のいくつかに目を通していた。
綺麗な景色やら何やらが絡む依頼は、……まぁ、滅多にない。
常設の護衛や警備系を除けば、今日は討伐や調査の依頼が多いようだった。
「……ん」
「うん?」
「……こっから半日。遺跡の調査補助」
ルシアンがその視線の先を追えば、小規模遺跡の遺構内の安全確認や記録作業の依頼書。高い位置にあったそれを、ガルドが引き抜き、こちらへ差し出してくる。手に取ればまだ紙も新しく、ここ数日のうちに張り出されたようなものだった。
文面をなぞっていた眼差しが、ひとつ頷いて隣を見上げる。
「いいね、明日行ってみようか」
「ああ、だな」
依頼書を携えたルシアンが受付カウンターへと向かえば、業務の傍ら様子を窺っていた受付嬢が、ぴしりと背筋を正す。
……昨日、顔役との面談で一時ギルドを騒然とさせたふたり。話の内容などは職員には共有されておらず、応接室に至るまでの様子から職員間でふわふわとした噂がなされているだけ。
"無哭"が顔役からの頼みを一蹴しただとか。
この……"無紋"が顔役に喧嘩を吹っ掛けただとか。
「こんにちはっ、ご用件をお伺いします!」
「依頼の受付をお願いします」
――しかし、ふわりと柔和な笑みを向けられたその瞬間に、受付嬢やその後ろにいた職員が動きを止める。
"喧嘩を吹っ掛けた"……?この美麗な魔術師が……?
カウンターの奥で書類の処理を行っていた書記官たちでさえ、小さく目配せをする。ありゃデマだな。ああ、デマだ。ちょっと……美人特有の圧があっただけで。……そんな表情だった。
手元の動きが止まった受付嬢に、ルシアンが小さく首を傾げる。不思議そうなその眼差しに、すぐに受付嬢も浅く息を呑み、慌てて台帳を引っ張り出した。
「あっ、失礼しました、お待ちくださいっ」
おぼつかない指先を抑えつつ、それでも業務としての受付嬢の動きは慣れたもの。受け取った依頼書に、ガチリ、と受付判を押す。
それを見据える柔らかな微笑みと、やや頬を染める受付嬢。ガルドからすれば"それ"は仮面でしかないのだが、……知る由もないか。
思わず鼻を鳴らしかけるのを堪え、軽く顎を引く。
受付嬢は手続きを終えると、押印された依頼書を丁寧に渡してきた。
「っご出発は、明朝でしょうか」
「ええ、そのつもりです」
「でしたら、朝、北門前に現場行きの馬車が待機しております。そちらと合流のうえ、遺跡へ向かってください」
「ありがとうございます」
過不足なく返ってきた礼と視線に、――受付嬢及び職員連中がまたも閉口する。
災害への対処訓練はしている。有事の際の住民の避難経路も、頭に叩き込んである。
周辺都市のギルドとの緊急連絡フローも、街の衛兵隊との連携順序も、そりゃあもう基礎知識として入っている。
――だがしかし……こうも麗しい男への耐性は、全く別問題である……。
(……こ、こんなのが常に隣に……)
(さすが無哭……)
(俺は耐えられない……)
職員から一方的に何かしらの視線を浴び、ガルドが訝しげな顔をするが――隣でくるりと向きを変えたルシアンに、こちらもすぐに踵を返した。
遅れて食堂のほう、冒険者連中からも視線が集まっていたことに気がついたが……今さら何ということもない。ふたり、肩を並べてギルドホールを突っ切る。
ギルド正面の大扉を抜けて街の喧騒を浴びれば、やっと腹の奥まで空気を吸い込んだ気がした。
ガルドが、緩く首を回す。
「……なんか、疲れたな」
ぼそりと漏らした呟きに、隣で淡く笑うような気配が返ってくる。
顔を見るまでもなく、その微笑の気配だけで、肩の力が抜けていった。
――【柔らか無哭】




