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僕らの特別  作者: 壬生一葉
落ちるまでの、七日間
9/31

【2】

千景を人数合わせに誘った女や他の女達が、椎木に聞こえない様に千景を非難したが、椎木が

「又、今度誘ってね?」

と一言笑顔を振り撒けば、女達は「ぜひー」と体をくねらせ高嶋達と二次会へと流れて行った。


「あーもー最悪、明日から私、ナニ言われるか解んない」


理想の男と二人っきりになってしまった事で、逸る心臓を隠す様に不躾な態度を取る千景。椎木はそんな千景を見つめ、小さく笑いながら

「そういうの、気にするタイプだった?」

と訊いた。千景は言葉に詰まり、思わず椎木をねめつけた。


千景の反応が自分の思う通りで椎木は益々上機嫌だ。




椎木は駅から少し歩き、一本路地を入ったビルの地下へと続く階段を下り、その先の木製のドアを押し開けた。

PAUSAパウーザ、其れが店の名前だ。

ライトダウンされた店内の数ヶ所に小さな水槽が置かれ、青白く光っている。椎木は、後ろを歩く千景を気に留めながら、空いていたカウンターに迷いなく進んだ。

女性バーテンダーがシェイカーを振りながら、椎木に向かって薄く微笑んだ。椎木がこの店の常連である事を覗わせる。

椎木は千景の為にハイチェアーに腰掛けやすいように回して「どうぞ」と言った。


その慣れた所作に千景は苦い顔をしつつ、其処へ腰掛ける。


「何、飲む? 好みの味とか有れば、彼女が美味しいの作ってくれるから」


誰かの為に作られた綺麗な色をしたカクテルが、店内を歩く店員に依って何処かへ行ってしまう。


「さっぱり系。あんまり強くない奴」

「畏まりました」


千景の横柄な態度にも、女性バーテンダーは表情を崩さずリキュールのボトルを手に取った。数分して千景の前に白いやや黄色がかったカクテル、椎木にはウィスキーのロックが置かれた。

「ライチ・スプモーニになります」

二十歳と数ヶ月、バー等入った事が無かった千景はこの店の雰囲気も然る事ながら、本物のカクテルに感動を覚えた。タンブラーを両手で包み込み、右隣に座る椎木を見ると彼はロックグラスを少しだけ掲げて見せた。

千景のオーダー通りのさっぱりとした飲み口の其れは美味しかった。

「美味しい」

ぼそりと零したその言葉に椎木の唇が弧を描く。



「何で、誘ったんですか」

千景はそんな事を椎木に問うた。勿論、甘い言葉等期待していない。

「んー美味しいお酒が飲みたかったから」

「理由としては不足ですね」

手厳しい返しに椎木は苦笑いしながら、足りない言葉を付け足した。

「可愛い女の子と会えたしね、一人よりは君と飲めたらなと思ったんだ」

「可愛い女ノットイコール私」


椎木は千景のその答えに嬉しくなった。媚びない、けれど決して不貞腐れていない姿勢に好感が持てた。


千景は自分の容姿が中の少し上位だと思っている。この重苦しい前髪は、人より少し広いおでこを隠す為だし、コンタクトも必要なら使用するがお金がかかるので眼鏡愛用者だ。このフレームのデザインは凄く気に入っている。メイクをあまり施さないのは、ものぐさなだけだ。

必要な時は、アイライン、マスカラ、チーク、ルージュ。上手いとは言えないが一通りやれる。


椎木が”可愛い” と言ったのは、幹事の隣に座っていた全体的にふんわりした女の子の事だと千景は解っていた。椎木の様な男は、女の子らしい女の子が好きなのだろうと踏んだのだ。

だから、ノットイコールと言った。卑屈になった訳でない。


「美波ちゃん、誘えば良かったのに」

「俺と高嶋、好みが被るの。人数合わせの俺が持ってったら悪党でしょ?」

「その気もないのに、バーに女を連れて来るのは悪党じゃないの?」


椎木はウィスキーを舐めながら、眦を下げ小さな笑い声を上げる。


「君の捉え方次第じゃないの?」


千景との言葉の遣り取りを楽しむ椎木は、カウンターに立てた右腕の末端である指の背に頭を乗せて彼女を窺い見た。アルコールのせいか身体の熱を持て余している千景は、椎木を『大人』だと感じた。


学生の中にも、育った環境や性質やらで、大人びた人間は居る。

けれど、椎木の其れは正に積み重ねた結果故の言動だ。二十歳そこそこの女等、掌の上で簡単に転がしてしまうだろう。

自分の魅力を熟知し、どう笑えば女が喜び、何を言えば女が自分に落ちるかを彼は解っている。


出逢って未だ数時間だと言うのに、千景はすっかり椎木に魅せられている事が、やはり、癪だった。


もう一杯ずつ飲んでホテルに流れ込む事も可能だろう。其れは千景の捉え方次第(・・・・・)なのだろうが。

ホテルは場末のラブホテルなんかじゃなく、シティホテル辺りに行くだろうし、椎木はロックグラスを持つその綺麗な指で千景を悦ばせる事が出来る。


でも。それだけだ。

きっと椎木にとっては、合コンで知り合った若い女と一度寝た。それだけだ。特に感想はないに違いない。


千景の中に『椎木』と言う男が色濃く残る事は否めないのに、椎木にとって『千景』は一夜の情事の相手なのだ。癪ではないか。椎木の中に、『千景(じぶん)』の痕を残せないなんて。


「…子供相手に駆け引きなんて、悪党と言うよりは…子供っぽ過ぎじゃないんですか?」


千景が椎木に倣う様に首を傾げながら、椎木を見つめ返す。レンズを通している筈なのに、物怖じしない千景の意思の強そうな瞳に、椎木は吸い込まれそうだと思った。


「子供? 二十歳は立派な成人でしょう?」

「三十歳の椎木さんからすれば、私は子供でしょう?」




椎木は、暫くこの子で楽しめそうだな、と思った。




その日二人は最初のオーダー分が終わると店を出た。彼女の足代として五千円札を出されたが、彼女は其れを断固として拒否した。バーの代金さえも未払いなのだし、受け取る義理も無い。

「代わりにと言っちゃナンだけど」

椎木はそんな風に切り出して、千景の携帯番号を手に入れた。






   ◇




「…昨日の今日で、何なんですか」

「デート」


昨夜椎木と別れた千景は、家に帰り着いたのとほぼ同時に椎木からの初めてのメールを受け取った。今日は有難うから始まり、明日二人でランチに行こう、待ち合わせは何時にどこどこで…と締め括られていた。

椎木は昨日とは打って変わり、カジュアル色が強い服装をしている。杢グレーのカットソー、ベージュのパンツに足元はワークブーツ。中性的な顔立ちのせいか二十代前半にも見えた。

千景は特に自分のスタイルを変えるでもなく、ライトブルーのコットンシャツにスキニーデニムに大振りのトートバッグを肩から下げている。

けれど不慣れなグロスに、椎木が気付かなければ良いと心の中で願っていた。


「グロス、今日はしてるんだ」


千景は苦虫を噛み潰した様な顔をし、椎木は千景の可愛らしい一面に嬉しくなって笑う。


「…椎木さん、社会人ですよね。今日、木曜日だって知ってますか」

「俺の会社ね、結構融通効くの」

「じゃぁ何かしらの用事が有り、有給申請をしていたついでと言う事ですね?」

待ち合わせは池袋駅東口入り口、昨日二人が分かれた場所で、違うのは今は春の太陽が眩しい日中と言う事だ。


千景は椎木の突然の誘いに『行きません』とメールをする事も可能だった。『行けません』ではなく『行きません』だ。このニュアンスの違いは大事だと、文学部の千景は思う。

椎木の思い通りに ―― チェスのピースの様に ―― 動かされるのは我慢ならない。椎木に己の痕跡を残したいと思った。だから、『行けません』と断れば恐らく、椎木は眉の一つくらい動かしただろう。けれど、動いただけだ。結局、千景は約束の場所に行く外無かった。


千景が目の前に現れた事に嬉しそうに笑う椎木が居る。千景は、複雑な心境だ。

椎木は自分を翻弄したいのだろう。大人の男が自分の様な至って普通の女等、本気になる訳もない。だが、椎木の言葉や彼が齎す優しさに勘違いしそうになる。


昨日千景は椎木に、今日は一限だけで終わりで、夕方からはバイトだと話していた。だから待ち合わせ場所が千景の大学がある此処で、千景に負担の無い様に慮ってくれている。




千景は、懸命に椎木に興味の無い態を見せる。けれど其れを隠し切れず、端々から零れ出すのだ。




椎木は二ヶ月程前に付き合っていた彼女と別れた。互いに仕事が忙しい時期が重なって何となく疎遠になった。ドライな関係だった様に思う。会える時に会い、酒を飲み抱き合った。

椎木はそんな都合の良い、心地の良い関係ばかりをもう何年も続けている。


椎木は千景に対し、何時もの様な女との付き合いを強いるつもりは毛頭ない。相手は二十歳の子供で、そんな芸当が出来る女でもない。

だから、恋愛ごっこを千景と楽しめたら良いと安易に考えていた。

女の反応を楽しみ言葉を操って、駆け引きをして自尊心を満たす。






椎木は、何処か屈折していた―――――。








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