花は風と 蝶は月に
花宮 玲は美しい男だ。信者から「花さま」と呼ばれるほど、その美貌と存在感は際立っていた。誰よりも華麗に咲き誇る、まさに大輪の花。皆はその香に引き寄せられた。
鈴原 揚羽はその花宮の彼女だ。彼女、だった。
麗しい花さまの隣で、平凡に楽しげに幸せな光景を繰り広げている、その相手は彼女の筈だった。
そして月山 旭。彼も最近になってこの二人の側に、ひっそりと佇む姿が日常となりそれは違和感なく二人の空気に溶け込んでいた。
しかしそこに現れたのが朝野 風子。彼女はその名の通り、風のように突如あらわれ全てをかき回した。月の従妹であるという彼女。鮮やかに、華やかに、風は花の花弁を散らし蝶を巻き上げる。
……ただし、月だけは風に揺らがない。
* *
「風子」
「旭。本当に珍しいわね。あなたから話し掛けてくるなんて、ここ五年ではなかったことよ。気付いていた?それが立て続けに2日も。明日はきっと雪ね。それで、用件は何かしら」
「風子は花さまが好きではないだろう。なのに何故」
「あら、失礼ね。ちゃんと好きよ。まあ確かに『好き』なだけだけど」
「ならばどうして二人の間に」
「人を悪役みたいに言うのは止めてくれる?私はただ花宮くんが辛そうだったから、楽になれる道を用意してあげただけよ」
「辛そう?花さまが?」
「そう。厳密に言えば違うけれど、私と花宮くんは同じ闇を抱えている。誰も手を出せない奥深くにね。そしてそれは旭と揚羽さんには見えない部分なの」
「見えない?どうして風子と花さまは」
「分かるのよ。視線を見れば、そこに宿る色に気付いてしまえば、ね。だって鏡の前で飽きるほど見てきたものだもの。花宮くんは、今にも泣き出しそうに見えたわ」
「花さま、が」
「だからね、旭。今回の場にあなたの出る幕はないの。ねえ、お願い。お願いよ、旭。あなたは黙って見ていて」
後日。柔らかくも気丈な女が、それこそ泣きそうな顔で笑った表情は、1人の男を留めるに充分な威力を持っていたという噂。
「花宮くん」
「……ああ、朝野か。どうした?」
「嫌だわ。仮にも『彼女』に向かってそんな口調。それに風子って呼んでって言ったじゃない」
「そう、だな。お前は俺の彼女なんだっけな。はは、そうか。もう揚羽はいないんだったな」
「花宮くん。後悔してるの?」
「後悔なんて、いつだってしてるさ。それでも俺はこの道の方を選んだんだ。あさ……風子はどうなんだ?お前こそ後悔してないのか?」
「私の方こそ今更よ。後悔なんて欠片もしていないわ。いいのよ。私のほうは失って怖くなるほどのものを得たことがないんだから。何をしても、ね」
「そうか。……それも、辛いな」
「辛いわよ。でも不幸自慢をする趣味はないから暗くなるのはやめてよね」
「お前は強いな。強すぎて、脆い」
「あなたは弱いわ。弱すぎて、綺麗なのよ」
後日。『彼氏彼女』が二人で向き合い、諦念とした微笑を浮べあっている様子は誰も近寄れないぐらい世界がそこで止まっていたという噂。
「揚羽」
「……ごめん、月。何も聞かないで欲しい。何も言わないで欲しい」
「是。揚羽の意思を尊重する」
「ありがとう」
「だからこれは独り言」
「つ、き」
「いつも見ていた。美しい世界。完成されても完結はされていない空気」
「な、に言ってるんだ」
「そして気付いた。二人だから。二人揃っていたから」
「月。やめろ」
「その世界は、とても綺麗だった」
「月!」
「綺麗だったんだ」
後日。問う前に答えを出すが故に言葉を失いがちな男が、拙い言葉で語った台詞はいつもよりずっと届いたという噂。
「花さま」
「いまさら、何で俺に話しかける。友達ごっこは終わりだって言ったろう」
「是。聞いた」
「じゃあ、あっちへいけ。今はお前に構ってる余裕はねえんだよ」
「否。行かない」
「……ああ?」
「行かないといった。花さま。ここにいる」
「は、なら俺が消えろってか?ふざけんな」
「否。花さまの側にいる。邪魔はしない」
「それが邪魔だって言ってるのが分からないのかよ!」
「何処にもいかない。友達だから」
「まだ、言うのか……!?」
「花さま。私は、いなくなったりしない」
「…………」
「消えたりしないから」
後日。美しい男は毒がある。美しい男は甘い蜜をたらす。そして空に浮かぶ月はしなびれた花に水を与
えたという噂。
「なあ、月。どうして人は1人では生きていけないんだろうな」
「……」
「1人で生きていけたら、もっと強く羽ばたける気がするのに。それともそれはただの幻想かな」
「……」
「私は月が羨ましいよ。その潔さに憧れる。でもね、どんなに焦がれたって自分が1人では生きていけない人間であることぐらい、ちゃんと分かっているんだ」
「……」
「私と、花とは違う。花は、きっと1人でも生きていけるからね。そう。分かっていて手折ったのは私だ。そして今になって怖気づくのも私。はは、おろかだね」
「……」
「うん。愚かで馬鹿で、どうしようもないけど。惨めにならないうちに、勝負をつけてくるよ」
「……」
「私はきっと、甘い蜜を吸いすぎたんだ」
後日。平凡でごく普通のはずのその女の笑顔が、胸につきささるほど痛々しくそして美しいものにみえたという噂。
「どうして俺はこんなことをしているんだろうな」
「……」
「欲しいものはいつだってはっきり分かっていたはずなのに」
「……」
「昔からそうだ。俺は自覚しながら、それを放棄する。駄々をこねるほど欲しいのに、横目で知らないふりをするんだ」
「……」
「餓えて飢えて、ぎりぎりまで見ないふりをして。我慢できずに振り返ったら、それは誰かのものになっている」
「……」
「欲しいものは分かっている。手に入れる方法だって分かっている。それでも絶対手に入ることがない。なあ、何だと思う、この変な連鎖」
「……」
「たぶん、俺は怖いんだ。自分のものになって、それに飽きるかもしれない自分が、怖いんだ。あんなに欲しくて焦がれてたまらなかったくせに、いつか何でもないような顔して捨て去る未来が怖くて触れられないんだ」
「……」
「純粋に想っていたころの気持ちを壊されるのが、怖い」
「……」
後日。いつも凛と咲き誇っている男が、儚げに風にゆれるような様をみたという噂。
* *
欲しくて、焦がれて、たまらないものがある。
でもいつかそれに慣れすぎて飽きて簡単に捨ててしまう未来があるなら、いっそ最初から届かぬ夢がいい。
届かぬ想いは、褪せない輝きのまま己の中に閉じておける。
いつか、を恐れるほどすごく好きだから。
……それでも身を焼くほど欲しいから、我慢できずに少しだけと言い訳して。
ちょっとだけ触れて。ちょっとだけ一緒にいて。ちょっとだけ笑って。
そうしたら、もう離せないほど囚われている。
なあ。どうしたらいいと思う?
今この手を離すのと同じくらい、いつかこの手に飽きる未来も怖くて仕方がないんだ。
泣きそうなほど幸せなのに、吐きそうなほど怖い。
なあ。どうしたらいいんだろう。




