月と花に蝶
花宮 玲は信じられないことに男だ。
何が信じられないって、二十歳過ぎても麗しい姿形をもち、尚且つ素でいい匂いが漂うという男にはありえないほどメルヘンな体を持っている。皆は彼を「花さま」と呼ぶが、何一つとして違和感がないのが逆に怖い。
鈴原 揚羽はもっと信じられないことにその花宮の彼女だ。
何が信じられないって、彼女はごく普通の容姿とごく普通の感性しかもっていない。それがあの「花さま」と付き合っているという噂は、嫉妬と同量の哀れみすらもたらした。美しい花は、時に甘く痺れる毒をもつ。
最近、このアンバランスなようでいて絶妙にバランスを保っている二人の仲に入り込もうとしている男がいるらしい。
花さまと同様に整った顔立ちは、冴え冴えと澄み渡る月のように人々の目をひく。どうやら彼は花さまに恋をしているとの噂。
その信じられないような、花には限ってはごく普通にあり得そうな、その話の種の名前は月山 旭。
* *
「失礼。貴女が鈴原揚羽?」
「そうだが、貴方は?」
「重ね重ね失礼。私は月山旭」
「月か。いい名だ。それで私に何か用でもあるのだろう?」
「否。用は済んだ」
「さて。何をした覚えもないが」
「否。名を」
「名を交換した、か?まさか用とはそれだけか?」
「是。ではまた会おう」
「……なんだったんだ、一体」
後日。珍しくも彼氏以外の人に困惑させられた女が1人、大学の構内で立ち尽くしていたという噂。
「は?お前、月山と話したのか?っていうか会話成立したのか?」
「いや、正直言って私にもよくわからないが。彼は一体なんなんだ?その、かなり個性的なようだが」
「素直に変人と言えよ。まあ、あれだな。いわゆる紙一重でぎりぎり馬鹿じゃないほうだ」
「つまりは天才、ということか?」
「らしいな。学部が違うからオレも詳しくは知らないが。一体何の用だったんだ?」
「それが私にもよく分からない。多分、挨拶だけして帰っていった」
「なんだ、その多分って」
「だから私にもよく分からないんだ。まあ、何か用があればそのうちまた話しかけてくるんじゃないか?」
「……ふーん」
後日。何だか難しい顔をして違う学部をたびたび覗いていた男がいたという噂。
「貴方が花宮玲?私は月山旭」
「ああ、知ってるよ。お前有名だからな。揚羽がお世話になったらしいし」
「否。鈴原揚羽とは名の交換のみ。世話はしていない」
「……噂に違わず変わってるな。その喋り、ほんとに素なのか?」
「素?……語彙不明。気分を害したのなら謝罪を」
「なるほど。素か。それで?オレにはどんな用だ?名前の交換だけ?」
「否。申し出を」
「なに。とりあえず聞いてはやるから言ってみな」
「友達に。私と」
後日。不覚にも十秒ほど固まったらしい男が我に返ったときには、その側に誰もいなかったという噂。
「鈴原揚羽。挨拶を」
「ああ、おはよう月山。それにしても一々フルネームで呼ぶのも面倒だろう?普通に呼べばいい」
「……普通」
「そうだ。鈴原でもなんでもいい」
「では揚羽」
「いきなり下の名を呼び捨てか。まあいいが」
「月と」
「ん?ああ、自分の事を月と呼べと言っているのか?」
「是。いい名だと」
「うん。言ったな、確かに。じゃあ遠慮なく月と呼ばせてもらう」
「是。嬉しい」
「……もしかして今、笑ったか?」
後日。意外な顔を見てしまった女が、どうして女の私より綺麗な男ばっかりいるんだ!と苦悩していたという噂。
「花宮玲。揚羽。挨拶を」
「ああ、おはよう。最近よく会うな、月」
「……おい。何でお前呼び捨てし合ってるんだよ」
「揚羽がそうしろと」
「ほう。揚羽、人が知らない内に随分仲良しになったようだな?」
「違!いや、違わないが私から名を呼び捨てにしろといったわけじゃないぞ!?だからその顔をやめろ!怖すぎるっ!」
「是。仲良し。花宮玲も花と呼んでも?」
「ああ?ざけんな。オレを呼び捨てにしていい相手はオレが決めるんだよ」
「是。ならば花さまと」
「「……」」
後日。毒気が抜かれた男から怒りが解けたのはいいが、続かない会話からどうやって逃げようかと唸る女がいたという噂。
「花さま」
「月山か。っていうか本当に何がしたいんだ、お前。よくわかんないんだけど」
「友達だと」
「ああ、はいはい。友達になりたいんだっけね、オレと。しかしまた何でオレ?有名な自覚はあるけど、話したことはなかったよな?」
「是。一方的に観察を」
「観察ってオレは朝顔かなんかか?それでオレのどこが気に入ってお友達になりたいと思ったんだ。顔か?」
「生態系」
「……本当に朝顔観察レベルだったのか?」
後日。一応念のためと呟きながら、辞書で「生態系」という言葉の他の意味はないか確かめる男がいたという噂。
「あ、月。このところ本当によく会うな。偶然か」
「否。確率的思考論」
「ああ?なに言ってんだ、月山。もうちょい分かりやすく話せ」
「是。花さまと揚羽の行動様式の統計により、一定確率で行動を補足することが可能に」
「全然分かりやすくなってないけど、つまりは俺たちの行動パターンを読んでわざわざお前が会いにきてるってことか?」
「是」
「何しに?お前どっちにしろあんま喋んないでどっか行くじゃねえか」
「ただ会いたいから」
「……どうしよう。月が非常に愛らしく見えるのだが」
「はあ!?おい、ちょっと揚羽お前何言ってるんだ!正気に戻れ!!」
後日。女の私より綺麗だがあれだけ可愛ければ許せるなと呟く女と、実に嫌そうな顔でその考えを阻止しようとしている男が1人いたという。
* *
花の香は月までは届かない。蝶も月までは飛べはしない。
それでも月はいつも見ていた。
昼間に笑うその美しい世界を。
夜にだけ光り輝く孤高の月は、ずっとずっと、見ていた。




