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図書室の文通相手は…  作者: しゅり
彼女Side
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第6章 前編 「近づく距離」

水曜日の朝。


教室に入った瞬間、いつもと同じ光景が広がっているはずなのに、どこか空気が違って感じた。


黒板の前で話しているグループ。

窓際で笑っている声。

机の上に置かれた教科書や筆箱。


全部、昨日までと同じなのに。


――あの人がいる。


それだけで、空気の感じ方が変わる。


私は自分の席に向かいながら、できるだけ自然に視線を巡らせた。

そして、すぐに見つけてしまう。


教室の少し後ろの方。

数人に囲まれて、何かを話している姿。


明るくて、中心にいるような人。

でも、どこか少しだけ距離を取っているようにも見える。


文通相手。


手紙の中では、あんなに静かで、落ち着いていて、言葉を選ぶ人なのに。


目の前にいる姿は、少し違う。


でも。


ふとした瞬間に見せる表情や、言葉の間の取り方が、

やっぱり同じだとどこかで確信してしまう。


私はすぐに視線を逸らして、椅子に座った。


胸の奥が、妙に騒がしい。




一時間目の授業中。


黒板の文字を写しながらも、意識はどこか別のところにあった。


視界の端に、あの人がいる。


ページをめくる指先だけが、やけにくっきり見えた。


ペンを走らせる手。

ノートに書かれる文字。


その一つひとつが、どうしても気になってしまう。


――同じ字。


昨日見たノート。

そして、手紙。


頭の中で、何度も重なる。


「……」


私は小さく息を吐いて、意識をノートに戻した。


ちゃんと集中しないと。


そう思っても、どうしても気が散る。


こんなこと、今までなかったのに。




休み時間。


私は次の授業の準備をしていた。


教科書を机の上に出して、ノートを開く。


そのとき。


「これ、落とした?」


ふいに、声がした。


驚いて顔を上げる。


そこにいたのは――あの人だった。


一瞬、時間が止まったみたいに感じる。


差し出されたのは、小さな消しゴム。

私の机の横に落ちていたらしい。


「あ……ありがとう」


かすれそうな声で、なんとか声を言った。

喉が少し乾いている。


「うん」


短く返事をして、彼は軽く笑った。


それだけで、胸がぎゅっとなる。


――やっぱり、同じだ。


手紙で感じていた、あの柔らかい空気。

言葉は少ないのに、ちゃんと伝わる感じ。


それが、目の前にある。


「……」


何か言わなきゃ、と思うのに。

言葉が出てこない。


直接話すのは、これがほとんど初めてなのに。

それなのに、私はもう知っている。


あの人の言葉も、考え方も。


だからこそ。


逆に、何を言えばいいのか分からなくなる。


「じゃあ」


彼はそれだけ言って、自然に自分の席へ戻っていった。


その背中を、私は少しだけ見送る。


——目が合わなくて、少しだけ安心している自分に気づいた。


合ってしまったら、何かが変わってしまいそうで。


胸の奥が、じんわりと熱い。


ただ消しゴムを渡された。

それだけなのに。


どうしてこんなに、特別に感じるんだろう。


指先に残った感触が、なかなか消えなかった。




翌日の放課後。


私はいつものように図書室へ向かった。


この場所に来ると、少しだけ落ち着く。

教室で感じていたざわつきが、静かにほどけていく。


でも、今日は少しだけ気持ちが違う。


教室で、あの人と話した。

ほんの短い会話。


それだけで、心の中に何かが残っている。


扉を開けると、静かな空気が広がる。


この場所に来ると、少しだけ落ち着く。


現実と、少しだけ切り離されたみたいな空間。


私は腕章を整えながら、本棚へ向かった。


あの場所。

手紙を挟んだ場所。


そこに手を伸ばす。


――ある。


指先に触れた封筒を取り出すと、自然と息が深くなる。


今日は、昨日よりも緊張している気がした。


教室で会ってしまったから。

顔を知ってしまったから。


それでも。


手紙は、手紙。


ここでは、今まで通りでいい。


そう思いながら、封を開く。




『おかえりなさい、という言葉をもらえるとは思っていませんでした。』


最初の一文で、胸が温かくなる。


ちゃんと伝わった。

あの一言が。


『少し照れました。』


思わず、小さく笑ってしまう。


あの人が、照れている。

教室ではあまり見せない一面。


でも、手紙の中では、ちゃんと見える。


それが嬉しい。


『今日、少しだけ話しましたね。』


その一文に、指が止まる。


やっぱり、そうだ。


あの短いやり取りも、同じように感じていた。


『たぶん、偶然ではない気がしています。』


ドクン、と心臓が鳴る。


偶然じゃない。

気づいている。


全部ではない。

でも、この関係が特別だということを。


『でも、あの距離も悪くないと思いました。』


静かな言葉。

否定しない。

急がない。


それが、あの人らしい。


『教室と図書室で、少し違うままでいられるのは、安心します。』


私はその一文を、ゆっくりと噛みしめる。


――同じ気持ちだ。


近づきすぎるのが怖い。

でも、離れたくはない。


だから、この距離がちょうどいい。


『無理に変えなくても、いいですよね。』


その言葉に、そっと頷く。


――壊れるのが怖い。


誰も見ていないのに。

それでも、自然と。




手紙を読み終えて、私はしばらく動けなかった。


教室での距離。

図書室での距離。


その両方を、大切にしようとしている。


同じ気持ち。


それが、何よりも嬉しかった。


私は新しい便箋を取り出す。

ペンを持つ。


少しだけ考えてから、書き始める。


『――教室では、少し驚きました。』


素直な気持ち。

でも、全部は言わない。


続けて、ゆっくりと書いていく。


教室でのこと。

ほんの少しだけ。


でも、確かに感じたこと。


言葉を選びながら、丁寧に。


この関係を壊さないように。

でも、ちゃんと近づくように。


書き終えたあと、そっと封筒に入れる。


胸の奥が、少しだけ軽くなる。




図書室を出ると、夕方の光が廊下を染めていた。


オレンジ色の光が、長い影を作っている。


その中を歩きながら、私は思った。


この距離は、いつか変わってしまう気がする。


——でも、それを少しだけ望んでいる自分もいた。


いつか、どこかで変わる。


でも、今はまだ。


このままでいい。


教室では、ただのクラスメイト。

図書室では、文通相手。


その二つが重なって、少しずつ近づいていく。


その過程が、こんなにも大切に感じるなんて思わなかった。


私は少しだけ空を見上げた。


柔らかい光が、目に入る。


胸の奥が、静かに満たされていく。


――また、明日。


その言葉を、心の中でそっと繰り返した。

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