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鏡の中のカティアは、自分で思っている自分ではないようだった。
普段、家で鏡として使っているものは、金属を良く磨いて姿を映すものだ。はじの方では歪んで映る。
それが、全身を、まるで自分を他人の目から見たかのように眺められることに本当に驚いた。
鏡の中の自分も驚いて身じろぎしている。
モナが選んでくれたワンピースは、柔らかな生成りの生地のものだった。
襟ぐりにはレースが施され、五分袖の先の方に向かうほどオレンジ色の糸で刺繍された模様が濃くなっていく。
スカートの裾にむかっては、最終的に刺繍の糸と同じ色になるよう、グラデーションに染められていて、そしてそのオレンジ色はカティアの髪の色に近かった。
決してドレス、というほどのものではない。品のいい外出着。
それを着ると、まるでいいところのお嬢さんのように見えた。
「良くお似合いです」
女店主は微笑み、モナも満足そうに頷いた。
お直しの必要もないとのことで、モナはこのまま着ていく、と言ってカティアが着てきた服を包んでもらってしまった。
カティアが鏡の中の見慣れない自分を眺め続けている間にお会計も終わっていたようで、にこやかな女店主に見送られて店を出た。
その次に向かったのは靴屋で、今着ているワンピースに合う、女の子らしいブーツを選んでもらい、それもそのまま履いていくことになった。
そしてその次は小物の店。
そこでは可愛らしい髪留めをいくつか買ってもらい、そのうちの一つを着けたまま店を出た。
その頃には、カティアはどこからどう見てもいいところのお嬢さんで、華やかな見た目に町行く人が振り返ってみているほどだったが、余裕のないカティアは気付かない。
その次は、町の食堂だった。
店の前に、見慣れた人を見つけて、カティアは嬉しくなって駆け寄った。
ラルフが私服で人待ち顔をしていたのだ。
「ラルフ兄さん!どうしたの?こんなところで。今日はお仕事は?」
「ふえっ?お、お前カティアか?なんだ、見違えたなあ…」
ラルフが遠慮のない視線を寄越すけれども、不快ではない。
「そうでしょうとも。この私の見立てですものね!」
ふふん、と鼻を鳴らす勢いで、追いついたモナが言って、三人で笑い合う。
「今日は『待機』の日なんだ。だから、そんなに長居はできないけど」
そう言って先頭に立って食堂に入っていく。
騎士団員の休みは10日に2日。
そのうちの一日はどこで何をしてもいい本当の休みだけど、もう一日は待機、といって有事の際すぐに駆け付けられるようにしていなくてはならず、すぐに居場所の分かる、連絡の取れるところに居なくてはならないんだとか。
「だからまあ待機の日にはたまった洗濯物を片付けて部屋の掃除をしたら、あとは大体寝てるなあ」
…ラルフ兄さん、職場が男の人しかいないのだから、そんなことではお嫁さん候補を見つけられないのでは?
カティアはそう思ったけど、食堂のお運びのお姉さんや、若い女性客がラルフのことを気にしてチラチラと見ているのに気が付いて、余計な心配だった、とそのことを口にするのをやめた。
それに、メニューから好きなものを選んで注文して食べる、なんていう経験は初めてで、かなりキャッキャと浮かれてしまった。
最後のデザートのお皿には、カティアの分にだけ、飴玉が付いていた。
持ち帰れるようになっていて「なんで私のだけなんだろう?」と不思議がっていたら、ラルフがいいから貰っておけ、というので、モナの鞄にしまってもらって店の外に出た。
「ぷ。くくく…。あの飴玉はな、あの店の独自のサービスで…」
笑いながら言うラルフがもったいをつけるので、「サービスで?」と少し嫌な予感がしながら先を促すと。
「幼体のお子様に限り貰えるもんなんだよ」
やっぱりか!
ぷうっと膨れたカティアに、ラルフは「まあまあ、貰えるもんは貰っとけ」そう言ってなだめる様に私の頭を撫でまわし、それから「そろそろ戻らないと」と顔を引き締めて帰って行ってしまった。
「私…大人ではないかもしれないけど、子どもでもないのに…」
思わずそう呟いてしまった。
モナは落ち込むカティアの手をそっと握って、「さあ、次に行きましょ!」と明るい声を出した。
その次に向かった先は、着いてみるとパン屋だったので、お腹いっぱいなのにどうして?と首を傾げた。
店内に入るといい匂いが充満している。
「いらっしゃい!…ってあら、モナ!」
カウンターで接客をしていた女性がそう声をかけてきた。
表情で、待ってて、と伝えてくると、お客さんの切れたところで、もう一人のカウンターにいた女の子にちょっと外すわ、と声をかけて、カティア達を店の裏へと案内してくれた。
「こんにちは!あなたがカティアね?はじめまして。話だけは聞いていたのよ。私はリル。モナとはいとこなの」
優し気な雰囲気が確かにモナに少し似ている。
「私達に娘ができたって知らせたら、会わせて、と手紙をくれていたのよ。私も引きこもりがちで滅多に領都に出ないから遅くなっちゃったけど」
出されたお茶に口をつけながら、モナが安心させるように笑いかけてくれる。
「うちは子どもができなかったから…そうね、こうして子どもを持つという手があったのだったわね…すっかり失念していたわ」
リルが肩をすくめる。
その後は二人の近況報告などが始まり、カティアは二人の仲よさそうな様子を眩しそうに、でも大好きなモナが楽しそうにしているのが嬉しくて、黙って眺めていた。
夕方、名残惜しそうに見送ってくれたリルがたくさんのパンをお土産に持たせてくれた。
カティアの服などと相まって大荷物となったけれど、帰りの馬車はそんな人たちばっかりで、行きの馬車よりもさらにぎゅうぎゅうとなっていた。
でも、もう怖い思い出はよみがえっては来ず、今度はあのお店にも行きましょう、と楽し気に話すモナの話に相槌をうった。
家に帰ると、「ああ!カティア、なんて可愛いんだい?うん、やっぱりどこへもお嫁になんか行かなくていいんだからね!」
そういってマイクに抱きしめられ、カイトにはにこにこされながら頭を撫でてもらったのだった。