最後の放課後③
「よ、っと」
体の向きを横に変えて、壁と背中を合わせながら、ずりずりと極限に細い道なき道を抜けると、そこには全体の様式こそ同じだが見覚えの無い店や聞き慣れない喧騒など、知らないネサラの街が石畳の道を通じて続いていた。
「方角的には街の南側だと思うんだけどなぁ。大きな道通ってここまで来れないかな」
中央の学習院から紆余曲折はあったものの、なるべく普段あまり来ない南方を目指して進んできたので、位置的にはこの辺りではないかと脳裏であたりをつける。
時刻は昼間の三時を過ぎた頃。まだまだ散策の時間は優に残っているので、後を気にせず登笈は前へ前へと歩みを進めた。
「———だから、私は学習院に用事があって来ただけで、怪しい者なんかじゃないんだってば」
「ん?」
食べ歩きにもってこいな、野菜たっぷりなハンバーガーの屋台や、見るだけで肩が重たくなりそうな鎧が展示してある建物など、また見知った区画とは一味違う店舗が軒を連ねる仮称南部通りを歩いていると、何やら三人の騎士に囲まれた———というか職務質問的なことをされている人物の姿が目に入った。
スリージ聖王国の騎士は、誠実の象徴とされる青を基調とした鎧に身を包んでいるのだが、あれは中々に威圧的だろう。背も高いし。何より、囲まれているのはルーンやスイヨとそう変わらないように見える少女だ。それが理由かは定かでないが、なんとなく登笈はその、不審人物とそれを呼び止める騎士という、ネサラにいればよく目にする光景に足を止めていた。
「申し訳有りませんが、名前だけでも教えていただかないと……最近はネサラも物騒ですから、我々も警備体制を強化せざるを得ない状態なのです」
少女を囲む三人の中で最も背の高い騎士がそう言うと、彼女は腕組みをして考える素振りを見せる。
それを遠目で眺めているのも何だか怪しい気がして、登笈は聞き耳を立てるのではなく、真正面から正当に尋ねるために騎士達の方へ行き、一人の背中をとんと叩いた。
とはいえ、今は制服も着ていないので、不審に思われないよう、代わりに生徒証を振り返った彼にかざして、
「すみません、何かあったんですか?」
と、ごくごく自然な通りがかりの学習院生を演じてみせる。演じるも何も、偶々(たまたま)立ち会ったのは事実なのだが。
登笈にそう聞かれると、騎士は生徒証を確認してから、ああ、と爽やかな笑顔を作った。
「学習院の生徒さんか。大丈夫だよ。ただ、近隣の方から、剣を持った不審者が彷徨いているという知らせを受けてね」
「そうなんですね。いつもお疲れ様です」
この広い街の中を全域に渡って見回りをしてくれているのだ。それも一日中。よくない噂を聞く機会も最近は多くなってきたが、それでもこうして一人でぶらつけるのは彼らのおかげと言っても過言ではない。
しかし、そんな彼らに不審者扱いされる人物とは果たしてどんな顔をしているのか。遠目では自分とほぼ変わらない年端も行かぬ少女に見えたが、とあれこれ考えながら登笈が騎士の背中からひょっこり顔を出すと、そこには素朴だが可憐な顔立ちの女の子が立っていた。
一言で表すなら純朴。貴族の子のように特段に品があるわけでも、目を奪われるほどの美貌を持っているわけでもないが、かといってどこにでもいそうかと言われればそうでもない。
目力のある大きな瞳に、色白の肌と薄い唇。薄柿色の髪は陽射しが当たれば桃色にも見えて、彼女の幼さが残る顔立ちにとても似合っていた。
そんな少女の腰には、鞘に納められた片手持ちの剣が差してある。それには黒一色の鞘身に金の装飾と、何かの花のような印が刻まれていた。これを見れば、なるほど確かに通報も止む無しだろう。
仮に事件でも起こそうという心算ならば、あまりに堂々とし過ぎているが。
あまりジロジロ見るのも心のリアーネに叱られる気がして、そろそろ目を逸らそうとすると、不意にその少女と視線がぱっちり交差する。それまた逸らそうとしたところ、彼女は何かに気付いたようにパッと手を挙げた。
「ねぇねぇ。きみって学習院の生徒なの? 私、そこにいるレイドって人に用があってここまで来たんだけど、迷っちゃってさ」
「あぁ、うん。……うん?」
そうだよ、と応えようとしたところで、かなり聞き覚えのある名前に脊髄反射で聞き返す。
「え、レイド? レイドってあのレイド?」
「そうそう、レイド=ギアス。あ、知り合い? 友達かなぁ。ははぁん、あの堅物根暗に友達がねぇ……」
そうかそうかと感心する少女剣士。会話から置いてけぼり気味の騎士達の視線が気にはなるものの、彼らも一人ならともかく三人も揃って特に危険性も無さそうな女の子に構っているのは時間の無駄だろうということで、なるべく引き受けられる部分は引き受けられるよう会話を続けた。
それに、どうやら彼女は親友の知り合いらしいので。
そこまで思考していると、先程少女に話をしていた背の高い騎士が一歩後ろに下がり、ふっと顔の力を抜く。
「よくわかりませんが、仕方ないでしょう。問題は無さそうですから、この子のことは君に任せますね。
ただ、念のためです。学生寮に戻ったら、グリザリオ=ロティスに顛末を話してください。私達は彼伝いに聞きますので」
彼はそう言ってから他の二人にハンドサインで見回りへ戻るよう指示を下し、自身もまた、その場を離れていく。
若干どころかほぼ確実に面倒事を放り投げられた可能性はあるが、首を突っ込んだのは自分だということもあって、登笈は何となく口を噤んでいた。
「……とりあえず、学習院まで送るよ。レイドなら外出してないだろうから、部屋にいると思う」
「君、怖くないの?」
「え?」
「いや、ほら。私のこれ」
不意の言葉に聞き返すと、彼女はとんと左手で腰の柄を触って、自身が簡単に人を殺傷出来る武器を持っていることを強調した。
女性が子供の手を引っ張ってそそくさと離れていくのを視界の端で捉えながら、登笈はそんなこと、と息を吐く。
「もう真剣を使った訓練も始まってるから、武器そのものを怖がることは無いよ。何を持っているかより、誰が持っているかの方が大事だって、先生の言葉」
喋りながら、登笈はふと空を仰いだ。
嘘ではない。面と向かって矛先を向けられれば話は違うが、剥き出しでないのなら、そんなのは今更だ。先ほどの騎士だって、全員が腰に剣を携えていたのだし。
グリザリオによる指導のもと、実戦を想定した講義は今年から始まっていた。最初は真剣での素振りから、次は腰に剣を差した状態での長距離走、木剣を持った攻撃側と真剣を持った防御側に分かれた訓練など順序良く、彼曰く騎士になるために必要な技術を存分に叩き込むための授業が。
登笈がそう話すと、彼女は意外そうに、へぇ、と声を漏らす。
「いいね。男の子って感じかも」
「男だよ。悪い?」
登笈が軽く反抗期的なノリでそう返すと、少女はいやいやと手を横に振った。
「いやぁ、私の周りには女しかいないから、結構貴重な機会なんだ。こうやって男子と喋るのってさ」
「そうなんだ? でもレイドとは仲良いんでしょ?」
「あはは、知り合いではあるけど立場は違うからね。私にとっては上司の息子って感じだし、仲良いだなんて不敬だよ」
「……?」
さっき根暗とか堅物とか言っていたような、と。軽く小首を傾げてみたが、どうやら気にしたら負けらしい。
「あ、ねぇねぇ。自己紹介がまだだったね。私はラヲ。ラヲ=アナカ。短い間かもだけど、よろしくねっ」
一先ず彼女を学習院まで連れていくかと足を踏み出したところで、しかしそれを呼び止められる。
仕方がないので振り返ると、彼女———ラヲ=アナカは白い歯を見せて、春を迎えた枇杷桜のように華やぐ笑顔を見せていた。その腰に剣が差してあるとは思えないほどに、ただの女の子の笑顔を。




