Prologue : 全てが焼けた日にて
「まぁ、なんだ。登笈も、これからかがやく毎日を過ごすんだぞ。お父さんとの約束だ」
幼い頃。まだ僕が一〇歳にも満たない頃。父は、大事な仕事があるからと言って、僕と母の元から離れていった。
物心ついた時から、父が家にいることは少なかった。だから、今回もまた何週間か経てば帰ってくるのだと思っていた。最後に父が頭を撫でてくれた時も、鬱陶しいとばかりにその手を振り払ったような気がする。
そして、その日以降、父とはもう会えていない。
△▼△▼△▼△
冬の朝だった。
日の暮れる頃には雪が降るだろう。街行く人々はそう呟いて、空を見上げていた。
「じゃあ、いってくるね。おかーさん」
口から白い息が漏れる。慣れた手付きで足に草履を履かせ、黒髪の少年は立ち上がる。
玄関の戸をがらりと開いて一度振り返ると、そこには竹皮の包みを持ってとたとた歩いてくる母親の姿があった。
「いってらっしゃい、登笈。きっと帰りは冷え込むから、なるべく早くに帰ってくるのよ」
「うん。おかーさんも暖かくして過ごしてね」
母の手から包みを受け取り、少年———登笈は外に遊びに出かけた。
「……ほぅ」
ざりざりと音を立てて歩きながら、そんな風に息を吐いた。
真っ白な吐息が珍しかったからだ。ふぅ、より、はぁ、の方がより綺麗な白い息になる。
「しろいいき、吐いてるの?」
そんなことをしていると、登笈の右後ろからひょこっと姿を現す少女がいた。
登笈と同じ黒髪で、肌は外で遊んでばかりだからかちょっと日に焼けている。彼女の名前は、奈島姫愛。登笈と同じ年頃の女の子だ。
「ひめちゃん。おはよう。そーだよ、どんな風に吐けばもっと白くなるかなーって考えてた」
「おはよ。そーなんだ。でもあんまりよくないよー。ためいきつくと、しあわせが逃げちゃうって、おばあちゃんがいつも言ってるもん」
「たしかに!! やめといた方がいいね。ありがとう、ひめちゃん」
「ううん、いいの。それよりはやくいこ。かさぎくんが待ってるかも」
そう会話をしながら、登笈と姫愛はてってけてってけ走り始める。
「———ん? おー、きたか」
登笈の家から西に少し行った場所には、侍を目指す人が通う学校がある。
その敷地の隣。教員らの目の届く範囲に小さな公園が併設されている。特に大きな遊具があったりするわけではないが、幼い子供が集まって遊ぶには最適な場所。そこが、登笈ら三人の遊び場だった。
すぐ近所に住んでいて、年齢も同じ三人。登笈、姫愛。そして、三人目の少年は、木材の上で間抜けそうに欠伸をしていた。
式守火鷺。寝癖でツンツン跳ねた赤茶髪の髪が特徴の彼は、二人を視界に収めると、ぴょんと跳び降りて。
「よし、みんな揃ったなー。……つって、何もねーけど」
「何して遊ぶの? ぼく、しりとりとかしたいなぁ」
「わたしは……かくれんぼ、とか? でも今日ちょっと寒いし、あったまる遊びがしたいなぁ」
「んじゃあおにごっことかか。うごかねーとさぶいしな」
親の手伝いや用事が無い日には、こうして三人集まって遊んでいた。
いつかは学校に通って、嫌だけど勉強をして、運動もして、成長したら何かの職業に就く。そうして大人になっていくのだと。登笈たちは、そう思っていた。
「———そういや、知ってるか?」
「なにが?」
ひとしきり遊んだ帰り道。
登笈と姫愛が汗を拭ったり、手で風を扇いだりする中、どこか遠くを眺めながら火鷺がぽつりと呟いた。
「俺も聞いた話だから、あんまよくわかんねーんだけどさぁ」
「うん」
「なにかあるの?」
「……あの山の向こう」
二人に顔を覗き込まれながら、火鷺は小さな手で、屋根より高く遠い山を指差した。
霧でぼやけているが、山頂には薄く雪が積もっているのが確認出来る。この枇杷の国で一番高い山だと言われるそれは、湖成山。
「そこで、すっげー数の人が死んでんだとさ」
「……それって、せん———」
「あら、姫愛。帰ってきていたのね」
目を細めて語る火鷺に、姫愛が何かを言おうとした時だった。
進行方向の先にある小さな民家から、竹箒を持った老婆がひょっこりと顔を出したのだ。
「あ、おばあちゃん!!」
「そろそろご飯が炊きあがるわ。中に入って、暖まりなさいね」
ひっしり抱きついてくる孫に、姫愛の祖母は優しく微笑んでいる。
登笈と火鷺の二人はそれを見て、なんとなく、早く家に帰りたく感じた。それと同時に、お腹もヘンテコな音を鳴らす。
「……あ、おなか空いたみたいだ」
そんな登笈の言葉を聞いて、火鷺がふっと笑い、
「じゃあ、俺らも帰ろーぜ。はー、俺も腹減ってきたなぁ」
と、言いながら、ようやく祖母の胸元から顔を上げた女友達の方を向く。
その視線に気付いた姫愛は、恥ずかしさに赤面しつつ、手を振った。
「またね、二人とも。かさぎくんも、とーくんも」
その隣では、柔和な笑みを浮かべる彼女の祖母も、ふりふりとゆっくり手を振ってくれている。
「うん。ばいばい、ひめちゃん」
登笈も手を振り返し、火鷺とともに帰路につく。
空はいつしか茜色に染まっている。そこかしこから食欲を誘う夕餉の香りが漂っていたためか、二人は足早に家へ帰っていった。
△▼△▼△▼△
「———だったの。それでね。今日は白菜がよく浸かってると思うのよ」
「うん。すっごくおいしいね」
ワカサギの天ぷらをかじり、奥歯で噛む。
今晩の夕餉は、魚の天ぷらと白菜の畳漬け、それと納豆だった。小鮎にするつもりだったようだが、思ったよりワカサギが安かったらしい。
白菜の方は自信作だと母が言っていた。
「ねぇ、登笈。今日も火鷺くんと姫愛ちゃんと、三人で遊んでいたの?」
畳漬けの絶妙な味を堪能していると、母が顔をぐっと覗き込んでくる。
「そうだよ。おにごっこをしたんだ。最初はひめちゃんがおにでね。ぼくすぐに捕まってさ、そんでね」
話しているうちに、登笈は箸を置き、身振り手振りで楽しそうに話し始めた。
そんな息子の姿を、母は嬉しそうに眺めている。しかし、彼女は何か言いたいことがあったようで、少し申し訳なさそうに、手で登笈の言葉を遮った。
「おかーさん?」
「……何か、変な音がするわ。それに、少し焦げ臭い」
様子を見てくる。と、母が椅子から立ち上がった直後だった。
ド———ッ。と、大きなものが砕け散ったような、巨大な破裂音が響く。
同時に、足元を揺らす振動。その時点で、登笈は椅子から床に叩きつけられ、転がり込むように助けに来た母の腕に抱かれていた。
地震とは違い、一度の大きな揺れ。だが、それが何度も、何度も、何度も。破裂音が聞こえる度に同じだけ、登笈らを———いや、この街を襲っていた。
「……大丈夫よ。大丈夫だから」
最初の揺れから何秒、何分経っただろうか。登笈は、ただただ非日常なこの瞬間に恐怖していた。
幸いにも、落ちてきて怪我をするようなものは家に無い。建物が倒壊でもしない限りは、このまま揺れがおさまるまで耐えていればいいはずだ。
だが、そんな希望は呆気なく崩れ落ちる。
直前の母の言葉。そして、登笈の鼻腔を突く、煙と焦げ付いた木材の臭い。
気付いた時には、視界が真っ赤に染まって———。




