打ち込む生徒たち
「では、今日はここまでとする。来週はアテリア王国の現代についての授業だ。サボらず来るんだぞ」
単位が欲しけりゃな、というロアの言葉が耳を通り過ぎると、行儀良く座っていた生徒達は思い思いに教室から散り始めた。
スクールバッグに資料を入れながら、ふと隣を見ると、眠り姫がすやすやと寝息を立てていたので、いつものように机をノックして起床を促す。
「……ふあ。あれ、おわったの?」
目を覚ましたルーンは、前髪を手櫛で整えつつ、長い睫毛をぱちくりとさせる。
彼女の居眠り癖にはもう慣れたものだった。大体、授業の要点を抑えた辺りでふらっと夢の世界へ旅立つので、呆れながらも要領の良い身体してるなぁと半ば感心することもしばしばである。
「今週は課題無いってさ。はぁ、ルーンを見てると僕まで眠たくなってくるよ」
ぐぐっと腕を伸ばしながら、登笈は呆れたように言葉を吐いた。
寝息を立てる異性の隣で、緊張一つせず集中して講義を受けることが出来るようになったのは果たして成長と呼んでいいのかどうか。心の中でリアーネに尋ねると、なわけないでしょ、と返ってきた気がした。
「ルーン。あなた、また寝ていたのね?」
と、椅子から立ち上がったところで、背後から言葉が投げかけられる。この鈴の音のように凛とした声色は、ルーンの親友であり登笈にとっては友達の友達……くらいの間柄の女の子のものだ。
二人で一緒に振り返れば、そこにはやはり彼女の姿があった。
くびれの辺りまで伸びた、浅葱色の長髪が特徴的な少女。引き締められた唇と凛々しい目元は、彼女の性格を体現していると言っても過言ではない。体の線は細く、髪色も相まって清廉な雰囲気を感じさせる。
彼女はスイヨ=アルバーナ。ここより遥か南にあるギリアという島国の生まれらしい。
「う……ごめんなさい。どうしても、スクレード先生の声って眠くなっちゃうんだよねー」
後頭部を摩りながらルーンが謝ると、スイヨはやはりため息をつく。だが、そんなことは日常茶飯事だとでもいうように、ふっと笑みをこぼし、こちらに視線をやってきた。
「宮城くん。この子、次の教室に連れていくわね。お昼は大食堂でとるから、用事があればその時に」
「スーちゃんとのお昼ごはんたのしみー。何食べよっかなー。チキンカレーかな……ビーフカレーかな?」
「モチベーションを保つのは良いことだけれど、残念なことに講義はまだ残っているわ。お昼はまだ先ね」
考えておきなさい。と言いながら、スイヨは喉を鳴らす親友をずるずると引きずって、教室を出て行った。
一人、また一人と去っていく教室の片隅で、登笈もようやく立ち上がる。寮を出た頃は涼しいくらいの気温だったが、今は陽が差してきていて、仄かに暖かみを感じられた。なるほどルーンが寝るわけだと、欠伸をしながら次の授業へと足を運ぶ。
△▼△▼△▼△
「———ふっ!」
カァン。と、小気味の良い音が連続して響いている。
場所は第一校舎の最上階にある格技場。昼を控えた少し暖かい時間帯に、ここでは現役の騎士の指導の下、実戦で使える剣術の指南が行われていた。先程から道場で鳴っているのは、木剣と木剣が打ち合う音である。
「そこまで。一旦、休憩にしよう」
そう広くない室内を見回しながら、中性的な容姿の青年講師は右手を頭上に掲げてそう告げた。
同時に音が止み、十数人の受講生が息を吐きながら汗を拭う。その集団に紛れて、登笈も前髪をかき上げ、壁にもたれて座り込んでいた
息をつく暇もない、とまではいかないが、とにかく体力と筋力を奪う訓練が課されていた。
彼らが受けているのは、剣術指南と名称のついた講義。スリージ聖王国から正式に派遣された騎士を指導役として雇い、生徒は実戦的な剣の扱い方を学んでいくというものだ。講義とは名ばかりで、実態はスパルタ全開の鍛錬である。
講義時間九〇分を目一杯使って、腕立て伏せや腹筋、素振りなどの基礎トレーニングから、二人一組で行う稽古や、多対一を想定した訓練など、足腰がパンクしそうになるほど濃厚な時間がここで過ぎていくのだ。
ちなみに、講師はグリザリオ=ロティスという若い青年騎士。生徒達とそう変わらない年齢だが、将来を期待されている若手らしい。
これが実際、途轍もなく強い。毎回必ず、講義中のどこかで受講生全員が彼と直で稽古を行うようになっているのだが、これに打ち勝った者は未だゼロ。どころか、三〇秒打ち合えれば良い方で、大抵は数秒で木剣を弾き飛ばされる。
そうして彼は言うのである。ぼくに勝てればすぐに単位あげるよ、と。
この講義は少し特別で、入学から三年間、通しで続く。なので、あと一年半はこうしてバシバシやりあうことになる。
最初の一年目はこの道場が汗の臭いで埋め尽くされるほどの人数がいたものだが、半数以上が勝てないと見切りをつけて出て行った。おかげで風通りは良い。
「大丈夫か?」
死にそうになりながら天井を仰いでいると、隣にどかりと木剣が置かれたので、そちらを見ると、見覚えのある少年が壁に顔をくっつけていた。
「いや、君が大丈夫?」
眉根を寄せあげてそう言うと、彼はずずず、と床に倒れていく。本格的に心配になるが、この講義では日常茶飯事のような光景なので敢えて手を差し伸べはしなかった。水もタオルも、自分用で一杯一杯なのだから。
ごくり。と喉を水で濡らしていると、彼は起き上がって首元の汗を腕で拭った。
「あぁ。……直前にロティスにぶっ飛ばされてな。アドレナリンどばどばなんだが、無理やり身体休めてるだけだ」
「あ、そう。そりゃ仕方ないね」
基本的にグリザリオに勝てる者はいない。のだが、三〇秒、長ければもっと耐える猛者はいる。だが悲しきかな。耐えれば耐えるほど、全力の騎士の剣戟を受け続けることになるので、それだけもっていかれる体力の量も増える。最早、彼には気力しか残っていないのだろう。あーめん。
そんな抜け殻みたいな少年の名は、レイド=ギアス。勢力争いに敗れた穏健派の帝国貴族ギアス家の生まれで、追っ手から姿を晦ます形でここに入学した、ご事情だらけの面倒野郎である。
黄檗色の髪に、同色の瞳。眉は薄く、道を歩けば女性が振り返るような美少年。それが彼、レイドだ。
そんな彼との交流、実はあまり無い。レイドとはライアを通じて知り合ったので、友達の友達みたいな感覚なのだった。先ほどのスイヨもそうだが、ここでは共通の知り合いを介して仲良くなることが割と多い。
「次、俺とやるか」
「え?」
「一対一」
一度聞き返すと、レイドは自身の木剣をこんと突き立てて、そう言った。
「もちろん。絶対負けないからね」
「ふっ、それは俺も同じだ」
そろそろ再開だと、元の位置に戻ろうとする生徒達の流れの中で、二人もまた、視線を交差させながら立ち上がる。
ほどなくして、グリザリオが再開の号令を発した。
△▼△▼△▼△
「せ、っ!!」
「……ァッ!!」
一合。木剣同士が互いを削り合う。ごりごりとした引っかかりを感じながらも、登笈は得物を振り抜いて、次の打ち合いに備えた。
体勢を整え、なるべく無駄の無い足運びを意識しつつ、右後ろへ後退して相対者との距離をとる。
「退がるのか?」
空いた間隔を指で測り、相対者レイド=ギアスは、乾ききった唇を舌で撫でる。
「まぁ、色々やってみようと思って———ね!!」
「そうか」
言葉の直後。ドン———ッと、力の限り踏み込む。木造の床に振動が伝わる中、登笈は姿勢を低く落として斬りかかった。
さながら四足獣のように、勢い良く。そして、その攻撃をレイドは右に跳んで躱し、そのまま軸足を切り替えて反撃に移る素振りを見せる。
———攻撃がくる。
回避されたことは想定の範囲内。元より、同い年といっても登笈とレイドではその基礎運動能力にかなり明確な差が存在している。今は勝てないのだ。だからこそ、あらゆるパターンを試して、自分の得意な形を見つけ出す必要があった。
今の一撃も、おそらく登笈にスピードが無さすぎたことが失敗した理由だろう。なら足の筋力をもっと鍛える。息が切れるのなら、もっと肺活量と体力を鍛える。そうして試行錯誤を続けて、結果。
———。
「負けた……」
ごふ。と、喉の辺りまでのぼってきていた胃液を押し返してから、登笈は降参を宣言した。
頭のすぐ左隣には振り下ろされたレイドの木剣。鮮やかも鮮やか。彼が攻撃に移った瞬間、登笈の木剣は宙を舞っていたのだ。もう少し耐えてくれよ筋肉と嘆きたくもなるが、そこはそれ。積み上げてきたものが人それぞれ違うのだから仕方がない。
レイドは南の帝国の生まれで、幼い頃から剣を習っていたと聞いていた。対して、こちらはのんびり草むしりの毎日。これでは差が出て当然だった。いつか埋められる溝だろうが、今はまだそれが響いているというだけのこと。
だが悔しくないと言えば、それは嘘になる。
「今のは失敗だったな」
二人の試合が終わっても、あちらこちらで木剣の打ち合う音がしている。尻餅をついていれば、他の受講生の動きが振動となって床から伝わってきていた。
時折起こる大きなどよめきは、グリザリオによるものだろう。見れば、今しがた背の高い男が薙ぎ飛ばされたところだった。
「にしてもレイドはすごいや。僕じゃまだまだ足元にも及ばないね」
「当たり前だ。……と言いたいが、結構こっちも必死なんだよ。俺からすると、追われる立場ってほどの実力差でも無いからな」
立ち上がりながらそう言うと、レイドは言葉の通り真正直な表情で、額から伝う汗を拭いている。
それから三〇分ほど。登笈たちは、熱気の篭る道場でひたすらに木剣を振り続けた。