一 最初の一片(ひとひら)
※※ファンタジー小説企画【ティル・ナ・ノーグの唄http://tirnanog.okoshi-yasu.net/】参加作品です※※
その日は朝から鈍色の雲に覆われていた。午後一番に、白いひらひらが舞い落ちてきた。最初それが何なのか、街の人々は解らなかった。最初の一片が小さな子供の鼻の上に舞い落ちて、その子が「冷たい!」と叫んだことからそれが何なのか合点がいった人々が数人いた程度である。
その白い一片は雪だった。
氷の結晶であるそれは、氷点下の環境下でしか見られないので、常若と謳われたティル・ナ・ノーグの街ではまずお目にかかれない。だが稀に、常温でも降る雪がある。それが奇跡の雪と呼ばれていた。
「雪だぁ~!」
年甲斐もなく目を輝かせて窓を開けた青年がいる。雪を知っているこの青年は外から来た冒険者だ。灼熱に焼けるように赤い髪を持つ彼の名は、アールという。ティル・ナ・ノーグの街の外から来た冒険者であり、冒険記を記し一攫千金を夢見る記者でもある。彼は暫くここに逗留しているが、雪を見たのは初めてのことだ。それもその筈。この街は、常春と呼ばれるほどの温暖な気候だからだ。
「珍しいな。ティルナに雪が降るなんて」
彼は久しぶりの雪を見て、子供のように期待と冒険心を露わにした眼差しを雪の白さに向けていた。
「でも、何でこんな温暖な地に雪なんか……?」
降雪という現象を考えた時、この地に雪が降るはずもないと思い至る。その思考はごくごく自然なもの。通常、上空に上った水蒸気が冷たい空気に触れて冷やされ、氷の結晶となる。それは微粒子なために大気中に留まり、雲となって陸地に流れ行く。そして地表よりの暖かい空気に触れて、氷の結晶が液体――水となって地表に降り注ぐのが降雨現象である。地表の気温が氷点下ならば、氷の結晶は液体化せずに寄り集まって、地表に降り注ぐのである。それが降雪現象だ。
だが、今降っている雪は、常温で降っている。この世界では常識に囚われることなく降る雪がある。それが、奇跡の雪、と呼ばれていた。アールは、その若さ故に、その奇跡の雪を未だ見たことはない。聞きかじったことは、ある。伝説として。だが、実際にその眼に焼き付けたのは生まれて初めてだった。
世界でも指折りの、この異常現象は街の人々を感嘆させるに十分だった。アールのみならず、街のどの人も目を見張っていた。
「すごい! すごいぞ! 俺の旅行記にもってこいだ!」
アールは顔を上気させて外に飛び出して行った。
アールが興奮するのも無理はない。この街にいる、ありとあらゆる人々が興奮していたからだ。
「これはいったい、どういうことですか?」
城内の奥深く、特別に誂えられた室内で訝しんでいる男がいた。
「魔法ではない。だが、強い魔力を感じる……」
彼の目は見えない。否、正確にいえば、視力を捧げて魔法を手に入れたのだ。彼の魔法は強力な魔法故に、精霊との契約で大きな代償が必要だったのだ。彼の魔法は、周囲のありとあらゆる魔法や魔力の流れを把握するものだった。そして、彼の代償は視力だけではなかった。城内からも出ることは出来ないのだ。
「フォルト、どういうことだい?」
赤い、上質なガレのマントを纏った男が、盲目の魔術師に向かって呼びかけた。
「解りません、ノイシュ様。ただ、精霊の魔力のようなものを感じますが、魔法では無いようです。今はそれしか……」
「君の魔法をもってしても、解らない、そう言うんだね?」
「はい。確たることは解りません」
「確たることは……ってことは、推測はできるってことか」
「推測の域は出ませんが」
盲目の魔術師、フォルトゥナートは精霊が強き想いを得て実体化し妖精と呼ばれる存在になることもある、と言い置いて、憶測を述べた。
現在、この街には雪が降っていますね? その雪は魔力を帯びたものです。実際この街に、雪が降ることは無い。しかも、常温で降ることは。それが降っている、ということは魔法である可能性が高いのです。その魔法はいったい誰が起点となっているのか。……起点となっている者など誰もいないのですよ。つまり、魔法を使っている者は、いない。それは魔力の流れを見れば解ります。しかし、魔法の雪が降っている。これは、精霊、もしくは、妖精が降らせている、とう可能性が推測できます。
今、フォルトゥナートが述べた事実が何を意味しているのか。ノイシュには俄かには理解できなかった。
「それは……つまり……?」
「精霊、もしくは妖精が、何らかの想いを吐きだしている、ということです」
「厳密には、魔法ではないんだね?」
「はい。精霊に、魔法は使えません」
街は騒然としていた。
当然である。降るはずの無いものが降ったのだから。
外から来た者も、街から一歩も外へ出たことの無い者も、皆一様に大口を開けていた。
その中を、赤髪の少年が疾走していた。何の銘も無い小剣を腰に佩き、後ろ手に回している。横向きなのは、いざ戦闘になった時に直ぐに抜けるようにしてあるからだ。それでも利き手と逆なのは、彼が剣をぞんざいに扱っている証拠だ。実際、刀身も柄も手入れをした形跡がない。買った当初からずっとだ。切れなくなれば買い替えればいい、そんな風に考えているのだろう。実際、どこにでもある普通のショートソードなのだ。それが腰でカチャカチャ音を立てて揺れている。鎧など装備せず、いたって軽装だ。それでも一応、関節部分を皮鎧で固め、防具を着ているふりをしている。利き腕だけ鎖帷子なのは、メモをとる時のためだ。彼は、物書きとしての側面が強いのだ。
彼は息も絶え絶えに大通りを疾走していた。目的は一つ。彼のライフワークである旅行記のネタを探すためである。雪が降った、その真実を突き止める為にひたすら突き進んでいた。時々通行人にぶつかりそうになり、慌てて避けて怒声を浴びながらも、それを背に駆け抜けていく。
好奇心は迷うことは無いが、何処へ向かえばいいのかは解っていない。ただ、ひたすらに走るだけが彼の出来る最大限だった。




