第1話:母の布面積が少なすぎて、転生早々アラサー陶芸家の目が死にそうです。
意識が戻った瞬間、私は自分の置かれた状況に頭を抱えたくなった。
いや、正確には「頭を抱えたい」という強い意志に反して、私の両手はぴくりとも動かなかったのだけれど。
手足は自分の意志で一ミリも動かない。何か言葉を発しようとしても、口から出るのは「あぅー」とか「ばぶっ」とかいう情けない音だけ。どこをどう切り取っても、私は完全にただの無力な赤ん坊になっていた。
(……待って。私、個展の搬入中に過労で倒れたはずよね? ここはどこ?)
前世の私は、朝から晩まで泥にまみれ、ひたすら器に命を吹き込み続けてきた、自他共に認める頑固なアラサー陶芸家だった。寝食を忘れて作陶に没頭し、ようやく掴んだ念願の個展。その初日に力尽きた私の魂は、どういう因果か、巷で噂の「異世界転生」とやらに強制エントリーされてしまったらしい。
人間、死んでしまったものは仕方がない。だが問題は、私の目の前にいる「新しい両親」が、どう考えても普通ではないということだった。
「お〜、よしよし、俺の可愛い天使ちゃん! 今日もパパに似て世界一可愛いなぁ〜!」
私をベッドからだらしなく抱き上げたのは、無駄に彫刻みたいに整った顔立ちのイケメンだ。
この男、名をレオン。耳をすませて会話を聞いていると、どうやらこの世界で最強と謳われ、世界を救うはずだった『元・勇者』らしい。
「ちょっとレオン、あなたじゃ抱っこが雑よぉ?……んもう、私のかわいい女の子なんだから、ママのところへいらっしゃい?」
次に私の視界にぬっと覗き込んできたのは、頭に艶やかな漆黒の角を生やし、背中に小さなコウモリの羽を持つ絶世の美女。
名をリリス。元魔王軍四天王の一角にして、妖艶なるサキュバスその人である。
って、いやいやいや、お母さん! ちょっと待って、その格好は何!?
家の中だからって、いくらなんでも限度がある。彼女に抱っこされるたび、あり得ないくらいグラマラスで柔らかな肌が至近距離に迫ってくるのだ。
(ひぇっ! ちょっとお母さん、お願いだからちゃんと服を着て! 同じ女性だけど目のやり場に本当に困るから!)
私は毎日、声にならない悲鳴を脳内で大爆発させていた。
それにしても、だ。元勇者の父親と、サキュバスの母親。出会った瞬間に殺し合うべき二人が、なぜこうして山奥の隠れ家で仲良く夫婦をやっているのか。
理由は呆れるほどシンプルだった。
我が父レオンは、魔王討伐の旅の最中、敵として立ちはだかった母リリスにまさかの一目惚れをしてしまったらしい。
『世界とか平和とかどうでもいいから、俺と結婚してくれ!』と熱烈なストレート特攻をかました勇者。それに絆されたリリス。二人はそのまま全ての職務を放り出して、この山奥へと駆け落ちしてきたというわけだ。おかげで残された魔王軍は崩壊したらしいが、この親馬鹿夫婦にとってはどこ吹く風のようだった。
(それにしても……本当に身体が動かない。このままじゃ寝たきりでおしまいじゃない……)
ただ寝て、お乳を飲んで、出されたものを垂れ流すだけ。前世で、朝から晩までひたすら土と向き合い、自分の手で何かを生み出し続けてきた職人の身としては、この「何も生み出せない時間」が何よりの苦痛だった。
あの手に吸い付くような土の感触、思い通りの形に歪んでいく小気味よさ。それらの記憶が鮮明であればあるほど、この動かない小さな手がもどかしくて仕方がない。
「あぅ……」
(手が……私の手が、本当に恋しいわ……)
焦っても仕方がない、と自分に言い聞せる。今の私は、まだ歩くこともできない非力な赤ん坊なのだ。
目の前では、だらしない元勇者の父親が、母親の細い腰に手を回してデレデレとイチャつき始めている。お母さんも嬉しそうに飛び込んでいる。赤ん坊の前だぞ、少しは自重してほしい。
先行きは不安とツッコミどころしか存在しないけれど、この小さな手がいつかまた、本物の土を掴んで自分の作品を作れるようになるその日まで。
今はただ、このおかしな家の中で大人しく、手のかからない「良い子」を演じてやることにした。




