第10章「奪い尽くした果て」
異世界ダーク系の成り上がり物語です。
スマホで読みやすいよう一文を短くしています。
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
ヴォルクが、
ドラゴンになった。
天井を突き破って 奈落の外に出た。
夜空の下、 山脈の上に、
黒い巨体が広がった。
でかかった。
山と同じくらいの大きさだった。
鱗が黒くて、 目が赤くて、 翼が広がるたびに 地面が揺れた。
俺は地面に立っていた。
リリィが隣にいた。
二人で、 それを見上げていた。
「でかいな」
リリィが言った。
「そうだな」
「勝てるか」
「分からない」
「また分からないって言った」
「本当に分からない」
リリィが帽子の鍔を上げた。
「行くぞ」
「そうだ」
ドラゴンが動いた。
翼を広げて、 空に上がった。
夜空に黒い影が広がった。
口が開いた。
炎が来た。
「リリィ、後ろ」
「分かってる」
《結界》を展開した。
炎が結界に当たった。
砕けた。
熱量が凄まじかった。
炎魔法Lv.7の火力は、 人間の魔法とは 格が違った。
「《エリートヒール》」
「《サンダーボルト》」
リリィが放った。
電撃がドラゴンに当たった。
鱗に弾かれた。
「効かない」
「そうだ。 鱗が厚すぎる。 目か、 口の中か、 鱗の継ぎ目を狙え」
「分かった」
ドラゴンが急降下した。
速かった。
時間加速Lv.3を ドラゴン形態でも使っている。
《空間把握》を使った。
軌道が読めた。
「右に跳べ」
「っ」
二人で別方向に跳んだ。
ドラゴンが 俺たちの間を通り過ぎた。
風圧が来た。
地面が割れた。
上昇した。
また口が開いた。
今度は炎ではなかった。
黒い霧が来た。
闇魔法だった。
《闇魔法》で 打ち消そうとした。
押し負けた。
Lv.5とLv.4の差だった。
「《ウォーターランス》」
リリィが横から放った。
霧が分断された。
「ありがとう」
「礼はいい」
《索敵》を展開し続けた。
ドラゴンの動きを 追い続けた。
時間加速があるから 完全には読めない。
ただ、 《看破》と《空間把握》を 組み合わせれば、
わずかに先が見えた。
「リリィ、 次に降下したとき、 口が開く前に 《サンダーボルト》を 口の中に向けて放て」
「口の中に?」
「鱗がない。 内側から焼ける」
「……分かった」
ドラゴンが急降下した。
《索敵》が追った。
「今だ」
「《サンダーボルト》」
電撃がドラゴンの口の中に 飛び込んだ。
ドラゴンが 大きく仰け反った。
吠えた。
今まで聞いたことのない 音量だった。
山が揺れた。
地面にひびが入った。
「効いた」
「そうだ。 続けろ」
ドラゴンが怒った。
今度は急降下ではなく、 地上に降りてきた。
地面を歩きながら 攻撃してきた。
一歩踏み出すたびに 地面が揺れた。
「逃げるな。 鱗の継ぎ目を狙い続けろ」
「どこだ」
「首の付け根、 脇の下、 翼の根元」
俺は《瞬歩》で ドラゴンの足元に潜り込んだ。
脇の下の鱗の継ぎ目に 短剣を差し込んだ。
《身体強化》を全力で使った。
入った。
ドラゴンが 利き腕を振った。
《俊足》で後ろに跳んだ。
風圧が来た。
ぎりぎり当たらなかった。
「《ウォーターランス》」
リリィが脇腹の傷口に向けて放った。
水の槍が傷口を抉った。
ドラゴンが吠えた。
傷が入っている。
削れている。
ただ、 相手はドラゴンだった。
この程度では 致命傷にはならない。
「カイ」
リリィが言った。
「何だ」
「あの目を狙えないか。 龍の魔眼を」
「奪えるかもしれない」
「奪ったらどうなる」
「ヴォルクが 俺たちの情報を 読めなくなる」
「やれるか」
「やる」
ドラゴンの目は でかかった。
俺の体より 大きかった。
《瞬歩》で ドラゴンの顔に向かって 一気に近づいた。
ドラゴンが 俺を見た。
目が合った。
右目が燃えた。
龍の魔眼。
今まで感じたことのない 代償が来た。
ドラゴンのスキルの代償は、 人間とは格が違った。
脳の芯まで 焼かれるような痛みで、
視界が、
完全に消えた。
「《ジェネラルヒール》《ジェネラルヒール》」
視界が、 ぎりぎり戻った。
ドラゴンの動きが 変わった。
情報が読めなくなって、 動きに迷いが生まれた。
わずかだったが、 確実に変わった。
「リリィ、今だ。 口の中に向けて 全力で放て」
「《タイダルウェーブ》」
巨大な水の波が ドラゴンの口の中に向かって 走った。
ドラゴンが 口を閉じようとした。
間に合わなかった。
波が口の中に入った。
内側から 水が膨張した。
ドラゴンが 大きく揺れた。
「今度は翼の根元を狙え」
「《ウォーターランス》」
水の槍が 翼の根元の継ぎ目に刺さった。
翼が動かなくなった。
ドラゴンが地面に落ちた。
地響きがした。
山が揺れた。
「カイ」
リリィが走ってきた。
「魔力が、」
声が、 少し変だった。
振り返った。
リリィの顔が 白かった。
「魔力が、 底をついてきた」
「《ジェネラルヒール》」
「ありがとう。 傷は治る。 ただ、 魔力は、 少ししか戻らない」
「どのくらい残っている」
「あと一発、 二発が限界だ」
俺は少し考えた。
あと一発、二発。
《ウォーターランス》か、
《サンダーボルト》か。
「《ウォーターメイデン》は使えるか」
リリィが少し間を置いた。
「一発だけなら」
「それを取っておけ。 最後の一手に使う」
「分かった」
ドラゴンがまた動き始めた。
翼が使えなくなったことで、 地上での戦闘に 切り替えてきた。
一歩一歩が重かった。
翼のダメージが 効いているのか、 さっきより動きが鈍かった。
「行くぞ」
「うん」
俺は《瞬歩》で ドラゴンの側面に 回り込んだ。
脇の下の傷口を 再度狙った。
短剣を差し込んだ。
《身体強化》を使った。
今度は さっきより深く入った。
ドラゴンが 低く唸った。
「《サンダーボルト》」
リリィが口の中に向けて放った。
直撃した。
ドラゴンが仰け反った。
今がチャンスだ。
「リリィ、 《ウォーターメイデン》を使え。 今すぐ」
「分かった」
リリィが 杖を両手で握った。
「集え水よ、 大地より湧き出でよ、 意志を持て——」
頭の中で 魔力を集中させていた。
詠唱破棄で 無詠唱にしようとした。
ただ、
《ウォーターメイデン》は リリィにとっても 限界に近い魔法だった。
声に出した方が 制御が安定する。
「怒涛となれ、 全てを押し流す波となり、 形を成せ—— 《ウォーターメイデン》」
巨大な水の女神が現れた。
ドラゴンを 拘束しようとした。
ドラゴンが抵抗した。
《ウォーターメイデン》と ドラゴンの力が 拮抗した。
「カイ、早く」
「今行く」
俺は短剣を握った。
走った。
ドラゴンの胸に向かって、
今まで傷をつけてきた場所に向かって、
そのとき、
ドラゴンの尾が 動いた。
《ウォーターメイデン》の 隙間から来た。
「リリィ」
間に合わなかった。
音がした。
鈍い、 重い音だった。
《ウォーターメイデン》が 消えた。
俺は振り返った。
リリィが、
地面に倒れていた。
走った。
ドラゴンが また動き始めた。
それでも、
俺はリリィのところへ 走った。
着いた。
見た。
見た瞬間に、
全部を理解した。
上半身だけが、
そこにあった。
ドラゴンの尾が 横に薙いだとき、
《ウォーターメイデン》の 隙間から来たとき、
リリィは、魔力が 底をついていた。
限界を超えた反動が 体に来ていた。
そこに、
尾が来た。
膝をついた。
声が、
出なかった。
息が、
あった。
かすかに、
胸が動いていた。
「リリィ」
「……カイ」
目が開いていた。
焦点が 少しずれていたが、
俺を見ていた。
ちゃんと、
俺を見ていた。
「動くな」
「動けない」
声が静かだった。
痛みで歪んでいなかった。
感情で震えてもいなかった。
静かな声だった。
「《ジェネラルヒール》」
無詠唱で放った。
光がリリィを包んだ。
傷口が塞がった。
血が止まった。
「……ありがとう」
「動けるか」
「動けない。 下半身が、 ない」
俺は、
何も言えなかった。
《ジェネラルヒール》は 傷を塞ぐ魔法だ。
失ったものを 戻す魔法じゃない。
「魔力が、 全部なくなった」
リリィが言った。
「《ウォーターメイデン》を 出したとき、 底をついた。 その反動が体に来ていた。 そこに、 あいつの尾が来た」
「《ジェネラルヒール》」
もう一度放った。
「それ以上使うな。 お前も魔力が 残っていないだろう」
「まだある」
「嘘をつくな」
リリィが 帽子の鍔を 少し上げた。
俺を見た。
「カイ」
「何だ」
「あいつが来る前に、 聞いていいか」
《索敵》に ドラゴンの気配が また動き始めた。
重い足音が、 近づいてきた。
地面が揺れた。
時間がなかった。
「聞け」
リリィが 俺を見た。
「お前のスキルは、 最初からどうやって 増えていったんだ。 ずっと気になっていた。 毎回戦闘のたびに 使えるものが増えた。 誰かに教わったわけでもなく。 どういうことだ」
俺は、
少し間を置いた。
今まで 誰にも言わなかった。
最初の夜から、
ずっと。
言えなかった。
言ったら、 全部変わると思っていた。
ただ今は、
言わなければならない気がした。
リリィには、
知る権利があった。
「話す。 ただ、長くなる」
「短くていい。 時間がないのは分かってる」
「目が合った相手のスキルを 奪える。 奪われた相手は そのスキルを 二度と使えなくなる。 右目に激痛が走る。 それが代償だ」
リリィが、 少し間を置いた。
「最初のゴブリンから?」
「そうだ」
「ずっと、 そうやって」
「そうだ」
「一人で」
「そうだ。 誰にも言えなかった。 言ったら、 全部変わる気がした」
リリィが帽子の鍔を 下げた。
顔が見えなくなった。
しばらく黙っていた。
「……セナのことも、 それで分かったのか」
「そうだ。 記憶読取を使った。 目が合ったから、 記憶が流れ込んできた。 村が燃えているのを 遠くから見ていた場面が」
「……そうか」
責めなかった。
驚いた顔もしなかった。
ただ、
そうか、
と言った。
「リリィ」
「何だ」
「怖くないのか。 こんなスキルを持っていた奴が 隣にいたんだぞ」
リリィが 帽子の鍔を上げた。
「怖くない」
「なぜ」
「カイだから」
その一言が、
俺の中で
何かを揺らした。
「ずっと横で見てきた。 仲間を守るために使った。 前に進むために使った。 それを知っている。 だから怖くない」
ドラゴンの足音が また近づいた。
地面が揺れた。
「カイ」
リリィが言った。
「私のスキルも、 奪えるか」
俺は答えなかった。
「奪えるか、と聞いた」
「……奪える」
「じゃあ奪え」
「お前は」
「私はもう動けない。 戦えない。 魔力もない。 ここで終わりだ。 ただ、 スキルだけは残せる。 渡せる」
「嫌だ」
声が出た。
自分でも驚くほど、
素直な声が出た。
「嫌だ」
もう一度言った。
「お前のスキルを受け取ったら、 お前には何も残らない。 それでいいのか」
「いい」
「よくない」
「カイが決めることじゃない」
「お前のことだろ」
「だから私が決める」
リリィが、 少し笑った。
帽子の鍔の下で、 口元が動いた。
「カイが嫌だって言うの、 初めて聞いた気がする」
「うるさい」
「素直じゃないくせに、 今更」
「うるさい」
ドラゴンの気配が また近づいた。
足音が 重くなった。
「時間がない」
リリィが言った。
「カイ。 もう少しだけ聞いてくれ」
「聞いてる」
リリィが 空を見た。
夜空に、 星が出ていた。
「私は、 ギルドで一人で 依頼板を見ていた。 誰にも声をかけてもらえなかった。 毎日そうだった。 ガキだからって。 無口だからって。 それが当たり前だと思っていた」
俺は黙って聞いた。
「カイが声をかけてくれた日のことを 今でも覚えてる。 遠距離が欲しかった。 お前がちょうどいた。 それだけの理由だったのに」
リリィが 少し間を置いた。
「それだけで、 私には十分だった」
声が、
震えた。
「一緒に戦って、 飯を食って、 焚き火を囲んで。 それだけでよかった。 魔法だけが武器の 役立たずでも、 カイの隣にいることができた。 それだけで、 十分だった」
俺の目が、
熱くなった。
「カイ」
リリィが 帽子の鍔を上げた。
目が、
真っ直ぐに、
俺を見た。
「みんな見てたよ」
俺は、
何も言えなかった。
「全員、 ちゃんと見てた。
誰も、 お前のことを 見ていなかったわけじゃない。
ちゃんと見てた。
私も、 ずっと見てた」
声が、
また震えた。
「だから、続けろ」
リリィが、
自分から、
目を合わせた。
暖かかった。
今まで感じたことのない 感覚だった。
右目が動いた。
ただ、
燃えなかった。
痛みが来なかった。
代わりに、
暖かいものが、
ゆっくりと、
流れ込んできた。
青魔法Lv.6。
光魔法Lv.3。
水感知。
詠唱破棄。
全部が、
暖かいまま、
流れ込んできた。
リリィのスキルは、
リリィのものだった。
俺のものじゃない。
それでも、
受け取った。
リリィが渡してくれたから、
受け取った。
リリィの目が、
ゆっくりと、
閉じた。
呼吸が、
止まった。
俺は、
しばらく、
その場に
座っていた。
動けなかった。
動けなかったが、
ドラゴンの気配が
頭上に来た。
立たなければならなかった。
リリィを 地面に そっと下ろした。
帽子が、 少し傾いていた。
直してやった。
深緑色の外套が、
風に少しだけ
揺れた。
目立ちたくない、
でも色は好きだから、
と言っていた。
あの日、
リリィがほんの少しだけ
笑っていた。
帽子の鍔の下で、
口元が動いていた。
俺はその笑い方を
覚えていた。
ずっと、
覚えていた。
立ち上がった。
ドラゴンが目の前にいた。
でかかった。
変わっていなかった。
ただ、
隣に誰もいなかった。
今まで、
どんな戦いでも、
誰かがいた。
セナがいた。
リリィがいた。
今は、
俺だけだった。
「行くぞ」
誰に言ったわけでもなかった。
ドラゴンが炎を吐いた。
《結界》を展開した。
砕けた。
《炎耐性》が残りを処理した。
走った。
ドラゴンの脇の下に 潜り込んだ。
鱗の継ぎ目に 短剣を差し込んだ。
《身体強化》を全力で使った。
深く入った。
ドラゴンが 利き腕を振った。
《俊足》で後ろに跳んだ。
風圧が顔を打った。
距離を取った。
リリィのスキルが 頭の中にあった。
青魔法Lv.6。
光魔法Lv.3。
詠唱破棄。
使う。
リリィが渡してくれたから、
使う。
「《サンダーボルト》」
無詠唱で放った。
電撃がドラゴンの目に当たった。
ドラゴンが 頭を振った。
続けて放った。
「《ウォーターランス》」
水の槍が 口の中に飛び込んだ。
ドラゴンが仰け反った。
違和感があった。
リリィが使う《ウォーターランス》と、
感触が違った。
もっと細くて、
もっと速かった。
同じスキルでも、
使う人間が違えば、
出てくるものが違う。
リリィの魔法は、
リリィのものだった。
俺のものじゃない。
それでも、
使い続けた。
ドラゴンが急降下した。
《空間把握》で軌道を読んだ。
《瞬歩》で横に跳んだ。
ドラゴンが地面を爪で削った。
岩が飛んだ。
俺はドラゴンの背後に回った。
翼の根元の継ぎ目を狙った。
短剣を差し込んだ。
深く入った。
ドラゴンが 体を捻った。
弾き飛ばされた。
地面を転がった。
「《エリートヒール》」
立ち上がった。
削れている。
確実に削れている。
ただ、 一人だった。
リリィがいたときは、
俺が削り、 リリィが傷口を抉った。
今は、
俺が削って、
俺が抉るしかなかった。
「《インビシブル・フェイト》」
無詠唱で放った。
闇の波が ドラゴンの鱗の継ぎ目に 侵食し始めた。
ドラゴンが炎で打ち消した。
「《岩石操作》」
足元の岩を引き抜いた。
ドラゴンがよろめいた。
その隙に 踏み込んだ。
脇の下の継ぎ目を また狙った。
短剣を入れた。
今度は今まで一番深かった。
ドラゴンが低く唸った。
傷が蓄積していた。
動きが、 わずかに鈍くなっていた。
時間加速が来た。
動きが見えなくなった。
《空間把握》と《看破》を 同時に使った。
上から来る。
《瞬歩》で下に潜った。
爪が頭上を通り過ぎた。
下から翼の根元に 短剣を入れた。
また深く入った。
ドラゴンが翼を動かした。
弾き飛ばされた。
地面を転がった。
「《エリートヒール》」
立ち上がった。
削れている。
確実に削れている。
ただ、
足りなかった。
このペースでは
俺が先に限界を迎える。
何かが必要だった。
頭の中で、
リリィの声が響いた。
みんな見てたよ。
俺は、
一度だけ深く息を吸った。
頭の中で 魔力を集中させた。
《ウォーターメイデン》の 詠唱の言葉を 魔力に埋め込んだ。
リリィが教えてくれた通りに。
道中で、 カイが教えた通りに。
魔力が、
形を作り始めた。
ドラゴンが また動いた。
炎が来た。
《結界》で受けた。
砕けた。
まだだ。
もう少し。
ドラゴンが地面に降りた。
俺に向かって歩いてきた。
一歩一歩が地面を揺らした。
魔力が揺れた。
集中が乱れた。
リリィの顔が 頭に浮かんだ。
帽子の鍔を上げて、
俺を見ていた。
だから、続けろ。
その声が、
頭の中で響いた。
魔力が、
また集まった。
ドラゴンが 爪を振り上げた。
「《ウォーターメイデン》」
出た。
巨大な水の女神が 俺の前に現れた。
リリィが出したものより、
少し小さかった。
ただ、
出た。
リリィが渡してくれたスキルが、
俺の手から、
出た。
ドラゴンの爪が 水の女神に当たった。
弾かれた。
水の女神が ドラゴンに向かった。
腕が伸びた。
ドラゴンを掴んだ。
拘束した。
ドラゴンが抵抗した。
力が強かった。
水の女神が 少しずつ押されていた。
時間がなかった。
俺は短剣を握った。
走った。
《瞬歩》で 一気に距離を詰めた。
ドラゴンの胸。
鱗の継ぎ目。
今まで何度も 傷をつけてきた場所。
《身体強化》を 全力で使った。
《死霊憑依》で 体の密度を上げた。
《俊足》で 踏み込みの速さを上げた。
全部を乗せた。
今まで一緒に戦ってきた全部を、
一撃に乗せた。
踏み込んだ。
短剣が、
鱗の継ぎ目に、
押し込まれた。
今まで入ったことのない 深さだった。
ドラゴンが、
止まった。
水の女神が消えた。
ドラゴンが、
低く唸った。
「……なぜ」
ヴォルクの声だった。
ドラゴンの口から、
人間の声が出た。
感情がなかった。
怒りでも、
驚きでもなかった。
ただ、
理解できない、
という声だった。
「なぜ、こんなやつに」
三百年生きた男が、
理解できなかった。
俺は答えなかった。
答える必要がなかった。
短剣を押し込んだ。
《身体強化》を 最後の一滴まで使った。
ドラゴンが、
動かなくなった。
ドラゴンが、
ゆっくりと、
崩れていった。
鱗が、
一枚一枚、
落ちていった。
体が、
縮んでいった。
やがて、
白髪の老人だけが
残った。
地面に倒れていた。
動かなかった。
俺は、
その場に立っていた。
短剣を握ったまま、
立っていた。
静かだった。
山の上に、
風が吹いた。
夜空に、
星が出ていた。
俺はリリィのところへ 戻った。
地面に横たわっていた。
目が閉じていた。
顔が、
穏やかだった。
帽子が、 少し傾いていた。
俺は帽子を 直してやった。
何も言えなかった。
言葉が、
出てこなかった。
ただ、
隣に座った。
しばらく、
そうしていた。
風が吹いた。
リリィの外套が、
少し揺れた。
深緑色の外套。
王都で一緒に選んだやつだ。
目立ちたくない、
でも色は好きだから、
と言っていた。
あの日、
リリィがほんの少しだけ
笑っていた。
帽子の鍔の下で、
口元が動いていた。
俺はそれを覚えていた。
ずっと覚えていた。
体の中に、
暖かいものが
まだ残っていた。
リリィのスキルが
流れ込んできたときの
あの感覚が。
痛みがなかった。
今まで奪うたびに
激痛が来た。
ゴブリンのときから、
ずっとそうだった。
ただリリィのだけは、
暖かかった。
渡してくれたから、
暖かかったのか。
分からなかった。
ただ、
それが、
リリィらしいと思った。
「ありがとう」
声に出したのは、
初めてだった。
返事は、
なかった。
風が、
また吹いた。
そのとき、
空気が歪んだ。
《空間把握》が
反応した。
空間が、
裂けていた。
奈落の上の空に、
亀裂が入っていた。
時空の歪みだ。
ヴォルクが倒れたことで、
何かが崩れ始めていた。
亀裂が広がった。
俺はリリィを見た。
連れて帰れるか。
考えた。
亀裂が
さらに広がった。
時間がなかった。
俺は立ち上がった。
リリィの手に、
少しだけ触れた。
冷たかった。
「行ってくる」
亀裂に向かって、
歩いた。
振り返らなかった。
振り返ったら、
動けなくなる気がした。
亀裂の中に、
光があった。
眩しかった。
俺は、
その光の中に、
踏み込んだ。
白かった。
何も見えなかった。
音もなかった。
ただ、
白い光だけがあった。
どのくらいそうしていたか、
分からなかった。
やがて、
白が薄れた。
天井が見えた。
白い天井だった。
知らない天井だった。
俺は、
仰向けに
寝ていた。
体が重かった。
右手を動かした。
動いた。
左手を動かした。
動いた。
起き上がろうとした。
体が言うことを聞かなかった。
力が入らなかった。
頭の中で、
スキルを確認しようとした。
何もおきない。
何もでなかった。
《身体強化》がなかった。
《強奪》がなかった。
《索敵》がなかった。
《瞬歩》がなかった。
何も、
なかった。
俺は、
天井を見たまま、
動かなかった。
音がした。
扉が開く音だった。
足音が近づいてきた。
白衣を着た男が 俺の横に立った。
中年の男だった。
見知らぬ顔だった。
「目を覚ましました。 よかった」
男が言った。
穏やかな声だった。
「ご家族を呼んできます。 少し待っていてください」
それだけ言って、
男は出ていった。
また、
静かになった。
俺は天井を見ていた。
ご家族。
その言葉が、
頭の中で
妙にくっきりと
響いた。
家族。
前の世界の記憶が、
ぼんやりと浮かんだ。
ここは、
前の世界だった。
異世界ではなかった。
スキルがない。
《索敵》がない。
右目が痛まない。
体が重いだけで、
ただの、
人間の体だった。
俺は、
ゆっくりと、
部屋の中を見た。
白い壁。
白い天井。
窓から光が入っていた。
見知らぬ部屋だった。
ベッドの横に、
小さな机があった。
何も置いていなかった。
俺は、
右手を見た。
傷がなかった。
鱗の継ぎ目に 短剣を押し込んだときの、
あの感触が、
手の平に残っていた気がした。
ただ、
手には何もなかった。
傷一つなかった。
あれは、
なかったことなのか。
その問いが、
頭の中に浮かんだ。
村が燃えた夜は。
アーシャが死んだ朝は。
セナと宿に泊まった夜は。
リリィと初めてダンジョンに 潜った日は。
全部が、
なかったことなのか。
答えは出なかった。
ただ、
体の中に、
暖かいものが
残っていた。
リリィのスキルが 流れ込んできたときの、
あの感覚が。
痛みがなかった。
暖かかった。
それだけが、
今でも残っていた。
扉が開いた。
足音が複数、
近づいてきた。
見知らぬ顔が 二つ、入ってきた。
男と女だった。
二人とも、
俺を見て、
目を赤くした。
「よかった」
女が言った。
声が震えていた。
「本当に、よかった」
男が俺の手を握った。
「心配したんだぞ」
二人とも、
知らない顔だった。
ただ、
家族なのだろうと、
分かった。
俺は、
二人を見た。
心配そうな顔だった。
泣きそうな顔だった。
俺がここに戻ってきたことを、
喜んでいる顔だった。
なぜかは分からなかった。
俺がいなくなっていた間、
ここでは何があったのか、
分からなかった。
ただ、
この二人には、
この二人の時間があったのだと、
分かった。
「どのくらい経った」
俺は聞いた。
声が、
かすれていた。
女が驚いた顔をした。
「三ヶ月よ。 三ヶ月間、 ずっと眠ったままだった」
三ヶ月。
俺が異世界にいた時間は、
ここでは三ヶ月だったのか。
「お腹、空いてない? 何か食べる?」
女が聞いた。
俺は少し間を置いた。
豆のスープの匂いを、
思い出した。
薄くて、 塩が足りなくて、 正直うまくなかった。
でも、熱かった。
「ちゃんと食え」
その声が、
頭の中に響いた。
「……いらない」
俺は言った。
女が少し困った顔をした。
「そう。 でも、後で何か持ってくるから」
男が俺の肩に 手を置いた。
「ゆっくり休め。 もう大丈夫だから」
大丈夫。
その言葉が、
妙に遠かった。
二人が部屋を出た。
また、
静かになった。
俺は天井を見た。
もう大丈夫だから。
大丈夫。
スキルがない。
仲間がいない。
リリィがいない。
アーシャがいない。
全部が、
ここにはなかった。
あの世界で起きたことは、
この世界では
なかったことだった。
誰も知らなかった。
誰も見ていなかった。
見知らぬ二人が
心配してくれていたが、
あの世界のことは
何も知らなかった。
俺が何を奪ってきたか、
誰を失ったか、
何を守ろうとしたか、
誰も、
知らなかった。
右目が、
わずかに熱を持った気がした。
気のせいだったかもしれない。
スキルはなかった。
強奪はなかった。
ただ、右目だけが、
わずかに、熱かった。
俺は、目を閉じた。
アーシャの声が聞こえた気がした。
「ちゃんと食え」
リリィの声が聞こえた気がした。
「みんな見てたよ」
全部が、頭の中にあった。
消えなかった。
なかったことに、
ならなかった。
体の中に、暖かいものが、
まだあった。
痛みがなかった。
ただ、暖かかった。
それだけが、残っていた。
俺は、静かに、
目を閉じたままいた。
窓から光が入っていた。
風が鳴った。
どこかで聞いたことのある、
夜風の音に、
少しだけ似ていた。
俺は、その音を聞きながら、目を閉じた。
音が消えた…
第十章、了。
カイ
【 】
奪――強奪の果て、死が待つだけの空虚。完。
あとがき
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
最後まで付き合ってくれたこと、素直に嬉しいです。
この物語を書き始めたとき、最初に決めていたことが一つだけありました。
主人公が最強になる話は書かない、ということです。
カイは確かにスキルをたくさん奪って、強くなっていきました。でも、奪えば奪うほど何かを失っていく話にしたかった。強さと引き換えに、人間らしい何かが少しずつ削れていく。そういう物語を書きたかった。
強奪というスキルを中心に据えたのは、そういう理由です。
目が合った相手からスキルを奪う。奪われた相手はそのスキルを二度と使えなくなる。右目に激痛が走る。
最初にこの設定を考えたとき、これは便利なチート能力じゃないと思いました。むしろ呪いに近い。奪えば奪うほど右目が痛むのは、それが代償だからじゃなくて、奪うという行為そのものが体に刻まれていくからだと思いながら書いていました。
ただ、物語を書いていくうちに、痛みが軽くなっていく描写を入れました。慣れた、ではなくて、カイの体が強奪という行為に向いていた、という解釈です。それが正しいのか間違っているのか、答えは出さないまま終わらせました。
セナについては、最初から裏切り者として設定していました。
葛藤なし。後悔なし。最後まで任務として動く人間。
そういうキャラクターを書くのは、正直難しかった。悪役に感情を与えるのは簡単ですが、感情を与えないまま魅力的に見せるのは難しい。裏切りの場面は、何度も書き直しました。あっさりしすぎず、ただし重くにもしすぎず。あの温度感が正しかったかどうか、今でも分かりません。
リリィについては、書いていくうちに一番好きなキャラクターになりました。
最初の設定は、遠距離魔法使いで無口な女、それだけでした。ただ書いていくうちに、この子は魔法しか持っていないくせに、誰より真っ直ぐだと分かってきた。カイに嫌だと言わせたのも、リリィが死ぬときに暖かい感覚だけがあったのも、全部リリィがそういう人間だったからです。
「みんな見てたよ」という台詞は、書いていて一番手が止まった台詞でした。
アーシャの外伝を最後に入れたのは、カイがどこから来たのかを改めて確認したかったからです。
豆のスープ。熱かった。ちゃんと食え。
カイが最後に目を閉じるとき、その声が聞こえた気がした、という描写で終わらせました。なかったことにはならなかった、ということを、あの形で書きたかった。
最後まで読んでくれたあなたに、もう一度言わせてください。
ありがとうございました。
【最終話あとがき】
最後まで読んでくれてありがとうございます。
この作品で意識した書き方や
投稿戦略の裏話をnoteに書いています。
興味があればぜひ。
https://note.com/kimigasiromi




