世直し幽霊ネコ
メグは、週に一度、タケシたちを訪ねた。学校には毎日行くようになった。学校に行くといじめられるが、度を超したいじめではなかった。
「メグさん、学校は楽しいか?」
ある日の夕方、タケシが訊いた。メグの制服は、背中がチョークで真っ白だった。
「楽しいよ。」とメグは答える。
「いじめられてるんだろ?」
「・・・ちょっとね。」
メグはそう言って笑う。
「俺たちは、あっちこっち出入りしてるから、いろんな情報が入ってくる。俺たちにできることがあったら、言ってくれないか。」
「わたしは、大丈夫。我慢すればいいから。」
タケシは、数匹のネコに、メグの背中をタオルで拭かせた。
「ありがとう、ネコさんたち。そうだ、ネコじゃないですね。人間ですね。」
「メグさん、気を遣わなくていいよ。いちいち名前を覚えていたら大変だ。」
「ここに来て、みなさんと日向ぼっこするだけで、癒されます。タケシさんは、わたしにしてほしいことはないですか?」
「いや、それは、ない。そうだ、たまに、ポテトチップスを恵んでくれると助かる。人間に化けてコンビニから盗んでくるが、気が重い。」
「いいよ、わたし、お小遣いもらってるから。」
「いつか、お金は返す。どういうわけか、俺は、人間の魂の比重が多く、煩悩が多い。」
「タケシさんたち、なにかしたいの?」
タケシは、メグの膝に飛び乗った。メグが、自分の気持ちをわかってくれたことがうれしかった。
「メグさん、そのとおりだ。俺たちは人間には戻れないが、何匹か集まれば人間に化けることができる。この集団能力は、偶然、発見したんだ。俺は、この能力を生かして、なにかできないか、考えていた。もちろん、復讐なんかじゃない。俺が自殺したのは、俺自身の責任だ。俺は、いじめで死ぬような、弱い人間じゃなかった。」
メグは、タケシの頭を撫でる。
「タケシさん。あなた、いじめられている子を助けたいの?」
「昨日・・・また、俺たちの仲間が増えた・・・。」
メグは、小学校六年生が自殺したニュースを思い出して、また胸を痛めた。
「わたし、いつも、泣いてばかり。心が押しつぶされそうなときも、ただじっと、痛みが消えるのを待ってた。でも、それじゃダメだよね。わたしも、なにかしなくちゃ!」
「ずるいなあ、タケシさん!」
突然ユウが窓から顔を出した。
「自分だけ、メグさんに抱っこしてもらって。」
そう言うと、ユウもメグの膝の飛び乗る。
「こんにちは、ユウさん。」とおでこをなでなでする。
すると、校内からネコたちが集まって、かわりばんこにメグの膝に飛び乗った。
「こら! 俺が乗ってたんだぞ! それに、メグさんの制服が汚れるだろ!」とタケシが怒る。
メグが笑う。
メグがおなかから笑うのは、初めてのことだった。
その週の日曜日。メグが淀川中学校に行くと、三年六組の教室には、タケシとユウをはじめ、数匹のネコが集まっていた。
「簡単に言うと、世直しだ。」とタケシが言った。
「ほんとうだ、うまいよ、チップスター。僕、ポテトチップスしか食べてなかったからさ。メグちゃん、いつも差し入れありがとっ。」
「茶々をいれるなよ、アキラ。」とユウが窘める。
「でもさ、タケシさんの命令で、人間に化けてチップスター万引きしてたけど、やっぱり罪悪感ってあったからさ。メグさんのおかげで万引きしなくてすむから助かるよ。」
「命令してないぞ、俺。お願いしたんだよ。」
タケシは、右頬のヒゲをひくひくさせた。
「何の話をしてるんだ?」
体の大きいクロネコが教室に入ってきた。口周りから胸元へ白毛が滝のように生えている。細目はつり上がり、精悍な顔つきのネコだ。
「シゲル・・・。世直しをするんだよ、世直し。」とユウ。
「世直し? なんで、幽霊ネコの俺たちが?」
「シゲル、嫌そうだな。」
タケシは、今度は左頬のヒゲをひくひくさせた。
「人間界に関わるのは、正直気が進まないね。だってそうだろう? 俺たちはあそこが嫌で自殺したんだぜ。」
「確かにそうだ!」とツトムが肯く。
「タケシさんが言うんだからさ、協力してくれたっていいじゃない。」
ユウは丸く収めようとする。
「俺は嫌だね。人間に化けるのも今まで避けてきたし、人間なんて見たくもねえ。できれば、このままネコに生まれ変わりてえくらいだ。校門前の太田さんがくれるエサを食べて、前川さんちの庭でひなたぼっこして、橋さんの車の上で居眠りできりゃあ、俺はそれでいい。」
シゲルはそう言うと、机から降りた。どこへ行こうかと首を振る。
「全員賛成、というわけにはいかないくらい、俺だってわかってる。これだけの幽霊ネコがいるんだ。歳も違うし、それぞれ、いろんな思いがあるだろう。でもな、シゲル。ひとつ考えてほしいんだ。俺たちは、なんのためにここにいる? 自殺したはいいが成仏できず、ネコの魂を借りて、辛うじて自己認識ができている。」
「ジコニンシキ? タケシさん、やっぱり頭いいんだな。使う言葉が違うぜ。」
「なめてんのか? シゲル。」とタケシが立ち上がる。
それまで黙っていたメグが口を開いた。
「みんな、冷静に、話し合おうよ。」
「シゲル、ネコと同じように生活したって、なんの意味もない。俺たち幽霊ネコは、それなりに、役割があってここに存在しているんだ。俺たちにしかできない、なにかがある。俺は、それがなんなのか、ずっと考えてきた。そんなときに、メグさんが来た。メグさんは、いじめられてる。でも、じっと耐えてる。俺は、メグさんを助けたいって思った。そしたら、メグさんは、自分は大丈夫だから、他の人を助けてあげたいと言う。自分の場合は、人間として生きているときは、そんなこと、考える余裕はなかった。苦しかったからな・・・。でも、メグさんに会ってわかった。俺たちの役割は、俺たちのように苦しんでる子どもたちを救うことだって。」
シゲルは尻尾をぴんと立てた。
「タケシさん、グッとくる演説だったけどよ、俺はメグさんとやらがここに来るのだって、歓迎してないのさ。」
「ごめんなさい、シゲルさん。」とメグは立ち上がって頭を下げる。
シゲルは、戸口に歩き出す。
「タケシさん、やればいいさ。賛成するネコたちで。悪いけど、俺は抜けさせてもらうよ。ネコになってまで組織に縛られてたら、ここにいる意味がないじゃないか。俺たちは幽霊なんだろ? 幽霊にはなんの役割もないと俺は思うぜ。」
シゲルはそう言うと、かけ足で去った。
しばらくみんな黙る。それまで明るかった外が、雲がかかったせいか暗くなる。
「みんなどうしたの? チップスターでも食べれば?」
アキラが脳天気に話しかけた。
「わたしが来たせいで、みんなの心が、ばらばらになってしまった。」とメグが涙を浮かべる。
ツトムは、アキラの机に飛び乗り、チップスターのにおいを嗅ぎながら言った。
「メグさん、気にしない、気にしない。最初っから、心なんてひとつになってないし。っていうか、逆にメグさんが来てまとまりだしたよね、タケシさん。」
「そうだな。そう・・・有志だ。志のある者と、そうでない者がはっきりした。志のある者は、確かに、まとまってきた。」
ユウは、シゲルの去った戸口を見て、ひとつため息をついた。
「でも、シゲルはほんとはいいやつだよ。よっぽど、つらい目にあったんだよ。」
「だからだ。」とタケシが言う。「つらい目にあったからこそ、なにかをしなくちゃいけないんだ。あいつは、逃げてるんだ!」
ツトムはチップスターを一口食べてから何度も口を拭く。
「僕、メグさん好きだから、なんでもやるよ。」
「ありがとう、アキラさん。」
「俺だって、メグさんを大好きだから、協力するぜ。」
「あ、ありがとう、ツトムさん。」
「ツトム、大好きって、やけに強調するじゃないか。おーい、リョウマとリンタロウは、手伝ってくれるのか?」
毛繕いに夢中だった二匹は、顔を上げてタケシを見つめたが、やがてこっくりと肯いた。
「あのふたり、無口なんだ。」とアキラがメグに説明する。
タケシは大きな欠伸をした。
「いざとなったら、他のネコたちも協力してくれる。さてと、メグさん、最初になにをしようか?」
メグは、窓から外を見る。視線の先には、メグが通う中学校がかすかに見えた。
タケシたちも、メグの視線の先に目を向ける。
「決まってるじゃない、いじめっこをやっつけて、世直し!」とアキラ。
「わくわくしてきた! 俺たちも、いじめたやつらに復讐してる気分を味わえる!」
ツトムはアキラとハイタッチをするが、肉球と肉球だから音がしない。
「だから、そうじゃないって。」
そう言うと、ユウはメグを見上げた。
メグは、なにを思ったか、急に振り返ると、タケシに向かって言った。
「タケシさん、わたし、ネコに化けたいな。」




