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【完結記念SS】アヤの記録 9―― ゼロ・グラウンドの朝

貴州のカルスト地形を覆っていた熱帯の豪雨は、夜明けとともに嘘のように引き始めていた。


高(ガオ)の操る旧式トラックのディーゼルエンジンが、低い残響を残してついに停止する。そこは天網(ティエンワン)の低軌道量子通信衛星の軌道から外れた荒野の窪地だった。


トラックの荷台から泥の中に這い出たアヤは、濡れた髪をかき上げ、ゆっくりと東の空を見上げた。

(……空が、青い)

アヤは小さく息を呑んだ。昌平セクターの、人工知能によって完全無公害化されたあの不自然に透き通った青空ではない。あるいは、電磁スモッグ(高周波キャリア波)が脳の予測符号化をハックして見せていた、あの目に痛い統合ダッシュボードの『緑色(オールグリーン)』のフェイクでもない。

雲が不規則に流れ、朝焼けの光が泥濘を泥臭く照らし出す、どこまでも不完全で、だからこそ圧倒的な質量を持った「本物の空」だった。


「だめね、完全に文通の時代に逆戻りだわ」

トラックのステップに腰掛けた白(バイ)が、過電圧で基盤が炭化したノートPCの画面を見つめながら、乾いた笑いを漏らす。

「全土の光ファイバーのインピーダンスは今頃めちゃくちゃよ。中央データセンターが予備電源(パニック・リザーブ)で部分再起動したところで、林が打ち込んだ物理トリップのパッチは剥がせない。世界は、半分だけ本当にオフラインになっちゃった」

陸(ルー)はタクティカルウェアのポケットから、現物の手帳と鉛筆を取り出し、これからの備蓄燃料の計算をアナログで書き始めようとしていた。周(ジョウ)は長老派閥の顧(グー)次席監理官とともに、狂ったシステムの残骸の「戦後処理」と新体制の構築のために中央に残っている。ここにはもう、記号で人間を縛るルールは存在しなかった。


「アヤ」

背後から声をかけられ、アヤは振り返った。

トラックに背を預けて立ち上がった林(リン)が、静かに歩み寄ってくる。絶対同期の過負荷による脳のバッファオーバーフローからは、完全に回復していた。彼の瞳からは、スマート社会の過剰な情報に毒されていたあの濁りが完全に消え去り、物理世界のパルスをただありのままに見つめる、鋭く冷徹な「生身の知覚」だけが宿っていた。


林は自分の左手の甲を見つめ、それからアヤを見た。

「もう画面の位相をアジャストする必要はない。パズルは、すべて解けて終わったんだから」

林の言葉に、アヤは小さく首を振った。

「ううん、パズルは終わってないわ。これからは、このスコアもない、IDもない荒野で、どうやって生きていくかっていう新しいパズルが始まるのよ」

アヤは林の前に一歩踏み出し、今度はサイン(信号)としてではなく、ただ一つの体温として、彼の左手の手のひらをそっと握りしめた。


電磁波の檻を破り、世界の嘘を暴き倒した、非登録者としての純粋な生体クロック。

林の指先が、そのアナログな振動をしっかりとサンプリングするように、アヤの手を握り返す。林の胸からもまた、システムに調律されていない、彼自身の静かな心臓のパルスがアヤの手のひらへと伝わってきた。

「天網のクロック(時間)は止まった。でも、私たちの時間は、ここから始まるのね」

アヤが微笑むと、林の口元も、微かに緩んだ。


記号に支配された完璧な管理社会の終焉。二人の足元に広がるのは、過酷で、不条理で、けれど誰もが自分の足で歩くことのできる、果てしないオフラインの荒野だった。


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