第45話 エピローグ
激しい集中豪雨が去り、灰色の雲の切れ間から、数日ぶりとなる本物の太陽光が華南の荒野へと差し込み始めていた。
トラックは街道沿いの中継拠点へと静かに車体を停止させた。マフラーから吐き出される黒い煙が、雨上がりの澄んだ空気のなかへ滑らかに溶けて消えていく。
林はアヤと並んで鉄の荷台から降り立った。隠れ家のシャッターの奥からは、パジェロが姿を表した。
高のトラックに白が残り、パジェロの運転席には持ち主である周が滑り込んだ。助手席に陸が座り、林とアヤはその使い慣れたリアシートへと腰を下ろした。二台の車両に分乗し、一行は全ての始まりの場所である延慶の拠点へと向かって、ゆっくりと針路を北へと反転させた。
天網の崩壊と『オフライン』の執行から数日が経過していた。
帰り道の景色は、数日前とは劇的に変化していた。大橋を閉ざしていた電子ゲートのクランプは完全に手動解放され、正規のルートでの軽油の補給も難なく行えるようになっていた。
だが、長年かけて浸透したゲームやスマートフォンによる精神汚染の根は深く、都市の路上には、未だに通信の途絶した黒い画面を見つめたまま、腑抜けのように立ち尽くしている大多数の住民たちの姿があった。国家製の麻薬から急激に引き剥がされた反動に、戸惑い、怯えている人間はいまだに社会の多くを占めていた。
それでも、変化は確実に始まっていた。
街道沿いの小さな街区では、機能停止した自動運転車の電子ロックを住民たちが自らの手でこじ開け、互いに声を掛け合いながら、古い機械式の給水インフラから命の水を融通し合っていた。液晶画面の嘘から強制デトックスされた人々が、タイムラインの更新をやめ、生々しい人間本来の知覚で目の前の物理世界の修復を始めている。画面を信じることをやめ、少しずつ、しかし確実に解放されていく人々の足音が、大地のきしみとなって静かに響いていた。
さらに数日が経過し、二台の車両は延慶の拠点へ到着した。
エンジンの鈍い音だけが響くパジェロの車内で、ハンドルを握る周先輩が、バックミラー越しに林へと静かに語りかけた。
「不適合者扱いだった君が、世界中のAI監視網の手綱を引き剥がしてしまった。……これから社会が再構築されるとしても、AIが吐き出す数値や言葉を盲信する世界ではなくなると思います。AIに使われないよう、自分の眼や手や足で、生身の感覚で、この世界の針路を選んでいきましょう」
「はい。ありがとうございました、周先輩」
林は、管理局から自分を連れ出し、役割をくれた恩人に静かに頷いた。
天網のスモッグから隔離されたその隠れ家には、組織の手によって、林とアヤがこれからの生活を営むための確かな基盤が整えられていた。
さらに、全権を掌握した顧次席監理官たち新体制のバックアップにより、林の社会復帰の針路も示されていた。
画面の正常数値を盲信して自滅した旧体制の愚を繰り返さないため、新体制となった管理局は、林の「高次元化した空間認知能力」を正当な技術として評価し、全土の幹線網の健全性を監査・保守する実務の専門職を用意したのだ。林は自らの才能を活かして、国家のために堂々と働き、確かな報酬を得て生活を営むことになる。
静寂が戻った拠点のテラスで、アヤがそっと林の横へと寄り添った。
アヤの耳は、雨上がりの草木が陽光を浴びて微かにきしむ音や、新しく動き始めた世界の人々の生々しい生活のリズムを、世界の事実として聴き取っていた。
アヤの指先が、林の左手の甲へと、静かで滑らかなストロークを刻む。
それはここに生きているという事実と、これからの人生を共に歩んでいくという、生体の確かな心地よいリズムだった。
林は、自らの内に宿ったレベルアップした知覚の手応えを噛み締めながら、アヤの手を強く握り返した。完璧を盲信したシステムが崩れ去った今、本質を見極める目を持った二人は、新しく始まった現実の時間の中を、人間らしく、確かな未来の針路へと向かって静かに歩み始めるのだった。
(完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
この話は、Googleに「随分前に、中国では正確に総人口を把握できていないと聞いたのですが、発展した現在ではどのような住民管理がなされているのでしょうか?」と聞いたのがきっかけでアイデアができました。リアリティを追求したかったので、ご都合主義のハリウッド映画のようなヒーローものにはしたくなかったのですが、やっぱりハッピーエンドにするためには仕方ない所もありましたのでご容赦ください。
この後設定集を数話続けて、サイドストーリーを投稿致します。ご興味がありましたらお付き合いください。




