第36話 カルストの要塞
データの墓場を発ってから二日。高たちの執念のオーバーホールによって本来の性能を取り戻したパジェロは、排気煙を力強く吐き出しながら、中国深南部の険しい山岳地帯を南西に向けて突き進んでいた。
車外は、地球温暖化の影響によって発生した激しい豪雨にさらされていた。トラックのコンテナの鉄板を、滝のような大雨がドラムの連打さながらに激しく叩きつけている。林が鉄板の隙間から外を覗き見ると、垂直に切り立った奇怪な岩山が連なるカルスト地形の大断層の合間から、濁流が激しく噴き出していた。その山肌の最深部、白い熱い湯気と豪雨の霧の奥に、無数の巨大なコンクリート製冷却塔の群れが姿を現した。
全土の基準時計を統括する、天網の脳髄――超巨大データセンター『西の心臓』。
しかし、その周囲を取り囲む貴州セクターの境界網は、もはや防衛システムそのものがハッキングプログラムの負荷によって完全に狂作動し、異形な要塞と化していた。中央からの暗号署名のズレをシステム自身が『戦時侵略』と判定し、エラーを吐き出さないまま、周囲の無人治安維持車両(UGV)の自動巡回ルートを毎秒数千回という狂った速度で自己変異させ続けている。
さらに最悪なことに、中枢AIはその暗号計算に全プロセッサを奪われて窒息しており、足元の線状降水帯による山体崩壊や給排水インフラの氾濫を一切認識できていなかった。計算過多による本体の発熱に加え、浸水した地下の配電盤が局所的なショートを起こして内部火災まで発生しているという絶望的な複合エラーの事実すら、システムは「ノイズ」として自動隠蔽していた。画面上にはどこまでも『健全度:正常』を表示し続けたまま、中枢は静かに水没と火災で全壊しかけていた。
「林くん。雨の音に惑わされないように。ここからが正念場ですよ」
荷台の中で周の声が響いた。パジェロを別の連絡員に託してここで合流した彼は、陸が広げている古い施設の構造図を眺めていた。
「馬主任のいる中央管制室は、相変わらず画面上のオールグリーンの数字に縋り付いて、すぐそこまで迫っている濁流と火災の現実から目を背け続けている。だからこそ、顧次席監理官たちの手引きで、僕たちがメインフレームの最下層へ接近するできるように、地下保守用ハッチの自動ロックを強制解錠できるチャンスがある。高さんのトラックで、あの霧の死角を突いて一気に肉薄するよ」
陸がパームトップ端末を操作し、周が持ち帰った検証マトリクスをモジュールへと流し込む。アヤが静かに林の横へ寄り添い、特訓で高次元化させた耳を、大断層に反響する豪雨の激しい物理音と、水没しかけた大型冷却ファンが発する変調した不協和音のうなりへと澄ませた。
トントン、とアヤの指先が、林の左手の甲へとかつてない激しい変拍子のストロークを刻み始める。
脳の空間認知領域でパルスのきしみを三次元の立体パズルとして認識できるようになった林の感覚が、そのリズムと完全にシンクロした。高がアクセルを踏み込み、トラックは濁流と白い熱い霧が渦巻く、水没と火災の寸前にある怪物の心臓部へと向かって進むのだった。




