第19話 打開するために
クリアになった五感で林が電波遮断室のハッチを開けると、そこには暗い作業用LED照明の下、ジュラルミンケースを囲んで、周先輩と女性技術者の白が静かに佇んでいた。アタッシュケース型のケースの蓋は開け放たれ、その内部には軍用規格の重厚な回路基盤と、鈍い黒色に光る独立型ハッキングデバイスがその姿を覗かせていた。
「起きたか。林くん、自分の名前は思い出せますかねぇ」
周先輩は、いつものシニカルな目を林のクリアになった瞳に向け、ケース内のデバイスのコンソールへと視線を戻した。
「周さん、白さん。……白さんが以前言っていたオペレーションですが、僕にやらせようとしているんですか? 僕はハッカーのように最新の防壁を書き換えるコードなんて書けませんよ」
「コードを書く必要なんてありません。僕らがやるのは、論理ハッキングじゃない」
周先輩は、デバイスの側面に備え付けられた、ずっしりとした金属製の手動アナログダイヤルを指先で弾いた。
「これはいわば、人工心肺の繋ぎ換え手術ですよ、林くん。このデバイスを物理ポート直結してオペレーションするんです。」
その比喩に、林は首を傾げたが、周はそのまま説明を続ける。
「昌平の中継局の光幹線網に物理ポートが残されているんです。そのクランプされたポートへ気づかれず接続できれば、このツールが中央システムに対して、正常を示す定時同期パルスをループして返し続けることができるので、管制室も含め完璧に騙すことが可能です。……問題は、現行の信号線を物理的に切り離し、このデバイスの偽造パルスへと、システムを稼働させたまま有線で繋ぎ換える、その一瞬の制約なんだ。」
白がコンソールのモニターのスイッチを入れた。
オシロスコープの緑色の画面に、中央フレームから漏れ出る、他国コードの変調によって激しく波打つパルスのジッター(波形のブレ)が、不気味に明滅し始めた。
「天網のセキュア・カーネルが、前のパケットを受け取ってから次のパケットを待つまでの猶予は、ミリ秒単位で不規則に縮み続けている」と白が冷たく言った。「もし繋ぎ換える瞬間に、こちらのパルスと中央の時間の位相が『一ミリ秒』でもズレていれば、心臓手術で大動脈のクランプを失敗して血を噴き出させるのと同じだ。天網の中枢システムは即座にパケットの不一致を検知し、全土に防衛警報が鳴り響く」
「それなら、デバイスのAIで自動同期を走らせればいいじゃないですか」林が尋ねた。
「できないんだよ、それが」周は冷たく首を振った。「他国プログラムが仕掛けた時間の歪みのせいで、一秒間に数回、パルスの波形がランダムに変調してブレを起こしている。装置の自動同期を走らせれば、デバイスの制御AIはその『狂ったバグの周期』そのものを正しい基準クロックだと誤認して学習してしまい、一瞬でダミーパケットの整合性が崩れる。……最新のシステムを騙してこの状況を打開するためにはね、その乱れるノイズの海から、同期を確立するための正しい位相を、リアルタイムにアジャストしてやるしかないんだ。名医の手際でね。」
周先輩は、林の背中を強く小突いて、デバイスの前に座らせた。
「画面の嘘に惑わされず、論理的なデータの継ぎ目を直感的に見抜き、それを感覚だけでアジャストさせる。君には特異な才能があるので、この局の三等監視員に引っ張ってきたのですが、まさか今回のオペレーションにここまで向いていそうな能力だとは思ってもいませんでしたよ、林くん。」
周と白に促され、林は、鈍い黒色に光る専用デバイスの手動ダイヤルに、そっと自らの指先を触れさせた。
手に伝わる、アナログ機械ならではのずっしりとした重いスプリングの抵抗感。自分が何ができるか今まで意識はしていなかったが、オシロスコープの画面に映る歪んだパルスのブレが、中央の暗号検証が硬直する一ミリ秒の隙間に重なる瞬間が、今は確かに感じることができるようになっていたのには驚いた。ダイヤルをミリメートル単位で指先で回してフェーズシフト(位相)を合致させる――そのシビアな同調の制約を前に、林は生唾を呑み込み、ダイヤルを握る指先に、これまでにない緊張感を漲らせていくのだった。




