A-022 補佐官アミクスの困惑(エピソード順変更)
※初心者故、気になったタイミングでこまめに加筆や修正を行います。何卒ご了承下さいませ。
※更新頻度は緩やかです。
▶︎物語の都合上、本エピソードの前に
「侍女セルヴィの困惑」
「公爵閣下アウルスの憂慮」
「公爵令嬢クラリオラの報告」
の3エピソードを挿入致しました。誠に申し訳ありません。
エクセルシウォル王太子殿下の補佐官、アミクス・レーベンは普通の男だ。視力や聴力は良過ぎることもなく普通。特に問題は抱えていない——筈であった。
(——やはり医官に診て貰うべきか?)
補佐官は悩んでいた。
(この私が幻覚や幻聴に悩まされるなんて……疲れているんだ、きっと)
朝からずっと有り得ない光景が目の前に在るからだ。
なんと、王太子が仕事をしていない。もう小一時間ほど書類を片手に持ったまま窓の外を眺めている。
(……ちょっと待て。これは白昼夢という奴か?)
アミクスは何度も瞬きを繰り返し、仕上げに手の甲で目を擦った。力強くごしごしと。
最後に強く頭を振り、再び幻覚の元を視界に捉えたが室内の光景に変化はない。
主君はやはり、ぼんやりと窓の外を眺めている。更には時折深い溜息を吐くのだから堪らない。
しかも。あろうことかアミクスの鼓膜を擽るその音は微かに熱を孕んでいるではないか。
(いや……いやいやいや! なんだこの光景は!)
王太子の執務室は平素ならば冷気が漂っている。この部屋の主は政務のみに没頭し、補佐官の声掛けなど無視し続けるのが常なのだ。自分以外で主君の執務を妨げる様な愚行を犯す馬鹿者は居ない。
つまり。王太子殿下が“何もせず”、“ぼんやり考え事をしている”姿を目撃する者がいたら泡を吹いて倒れてしまうだろう。
それなのに……今、この部屋に漂っているのは冷気ではない。そこはかとなく生暖かい室内はなんとも居心地が悪い。
どうして、なんて愚問である。昨日の出来事を思い出し補佐官は答えを導き出した。
あの王太子殿下がまるで恋に落ちた男にしか見えないのだ。勿論、御相手はレクレディ公爵令嬢以外に有り得ない。
(恋する…… 恋する? そんな馬鹿な!)
もし、目の前の御方が王太子でなければ彼だって簡単に納得しただろう。レクレディ公爵令嬢を初めて見た時、自他共に認める普通の男アミクス・レーベンは人の噂などまるで当てにならないと悟った。巷に流れる美辞麗句など実物の前には塵芥と同じである。美が破壊力を伴うなど聞いたことがなかった。
あの時の公爵令嬢の美しさをどう表現すれば良いものか。世に在る全ての語彙を持ってしても、公女の見目を正確に現す言葉など有りはしないだろう。桁外れの美貌に平伏したくなるのを懸命に抑え、どうにか平静を装って対応出来た己を褒め称えたい。公爵令嬢の美貌はそれ位の衝撃だったのだ。
だかしかし、そんな彼女の相手をしたのは銀の貴公子である。レクレディ公爵令嬢が“傾国の美女”ならばエクセルシウォル王太子殿下は“パルクトゥードの奇跡”だ。面立ちの麗しさは言わずもがな、頭脳明晰で武芸に秀でた我が国の至宝。
数多の美姫と対面しようが主君の表情筋を動かせる女性は一人として居なかった。無論、公式の場では額面通りに挨拶程度の微笑を御造りになってはいたがそれは氷の微笑でしかない。隙がなく冷ややかで最低限口角を上げるだけの——。
それなのに。今、補佐官の眼前で惚けているのは畏怖の対象でしかない尊き王太子殿下だ。
(そうか、御風邪でもお召しになってしまったのやもしれぬ。健康管理すら完璧な主君ではあるが、たまたま質の悪い流感にでも罹ってしまったのではあるまいか)
全身の穴という穴から煙が出る勢いで脳が高速回転しているアミクスの耳に、本日幾度目かわからぬ溜息が届いた。
補佐官は意を決して主君に問い掛ける。
「あの……殿下? もしや御気分が優れないとか……何処か御身体に御不調でもお有りでしょうか?」
「——アミクス」
「はい、殿下」
「婚約者はいるか?」
「——は?」
補佐官は狼狽する。王太子付きになって半年、主君が自分の私生活を聞いてきた事など一度もない。この方が他人の近況に興味を持つなんて有り得ない。もしや空から槍でも降ってくるのではないか、と思わず窓の外に目を向けたが雲一つない見事な晴天だ。
(まあ、私の質問を黙殺する辺りは通常運転なのだが……)
「いいえ——気になる女性はおりますが……」
(しまった! つい余計な事を!)
石灰色の瞳が補佐官を捉えた。エクセルシウォルとアミクスは本日初めて視線を交わしたのだがその瞳は驚くほど鋭い。補佐官は自分が捕食寸前の小動物にでもなったような気分になり軽く身震いした。
「そうか。その女性は知り合いか?」
(えええ? やっぱり其処を掘り下げる?)
動揺する心を表に出さぬように深呼吸し、努めて冷静を装いながらアミクスは答えた。
「まあ、そんな所です」
「ならば婚約を申し込むのだな?」
「そ、それは……」
哀れ、アミクス・レーベン。何度もしつこい位に説明するが、彼には二つ名が二つある。“自他共に認める普通の男”と“自他共に認める忖度男”だ。彼がほんの少しでも器用さを持ち合わせて居たならば適当に誤魔化す事も出来た筈だ。だが忖度男の忖度男たる所以は流れに身を任せ、相手に追従する弱さにある。
「——いえ、まだ此方が一方的に好意を持っているだけですし、目下検討中です」
「何故だ? 好意を持っているのなら動けば良いだけの事だろう」
矢継ぎ早に質問を重ねる王太子の圧が半端無い。
(なんだこれは! 尋問か?)
アミクスの意中の相手は王太子宮の下女である。真面目で働き者、容姿に目立つ所はないが笑顔が愛らしい娘だ。但し未だ軽く挨拶を交わす程度の知り合いでしかない。
アミクス的にはもう少し関係性を築いて両親に打診するつもりなのだが、なかなかきっかけを掴めず今に至る。
それにしても。何が悲しくて理由も分からず自分の恋愛事情を語らねばならぬのか。しかも完璧・鉄壁・完全無欠の王太子相手に、である。
(どうせ私は平々凡々、取るに足らない男の代名詞みたいな物だしな。殿下の様に女性に慕われる三大要素、金・顔・権力なぞ全く持ち合わせていないのだから。性格は悪くないけど決断力には欠けるし日和見だし忖度男だし……って、あれ? なんでだろう、ちょっぴり涙が出てきた)
情緒不安定な男、アミクス・レーベン。彼が報われる日が来るのはいつの話か。
答えに窮した補佐官に対して王太子は追及の手を緩めない。
「成程、恋愛経験が乏しいというところか」
どう答えれば目の前の猛獣は牙を納めてくれるのか。
(言い負かされて終わってたまるか!)
滅多にお目見えしない負けん気が顔を出した。補佐官は潤んだ目に力を込める。しぱしぱと瞬けば涙が溢れてしまうからだ。渾身の虚勢を張って主君に立ち向かう。やれば出来る男、アミクス・レーベンの降臨だ。
「殿下、こう見えても私は女性の扱いに関して少々自信があるのです」
「——そうなのか?」
「はい、意外に思われるかもしれませんが、実はそうなのです」
強気で攻めた補佐官に対し、王太子は何やら思案顔で言葉を切った。
(これは——まさかの逆転勝利か?)
勢いで補佐官は鼻からふん、と息を出し胸を張る。
この失言を、後にアミクスは死ぬほど後悔する事になるのだが——形勢逆転が目前にぶら下がり気を良くしている普通の男に予見出来る訳がない。時間とは常に先へと流れるものなのだ。過去となった今を変える術など何処にもないというのに。
次の瞬間。
未来を読めぬ補佐官に向かって王太子が投げた言葉は、彼の伸びかかった鼻をへし折るには充分だった。
「ならば、私にレクレディ公爵令嬢を口説き落とす術を伝授してくれ」
なんちゃってモテ男、爆誕(笑)




