AS-017 補佐官と侍女の驚愕
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遠く銀楓の下で、薄藤色を纏った亜麻色の乙女と濃灰服の銀髪が談笑している。
——談笑している。
「——あの……誠に失礼ながら」
主君達を穴が開く程に見詰めつつ、長身の補佐官が隣に立つ侍女に声を掛けた。
「——はい、なんでございましょう」
答える侍女も同じ場所に苛烈な目を向けたまま答える。
「あれは現実に起こっている事でしょうか?」
朗らかに笑う公女——と、その傍で微笑む主君。
「そのようでございますね……」
熱い眼差しを向ける王太子——と、頬を染める主人。
***
補佐官は混乱の境地にいた。
敬愛する孤高の主君は淑女達の羨望の的である。王太子殿下が公の場に登場すれば、忽ち美しく着飾った令嬢達が色めき立ち、熱烈な秋波を送りつけるのが常である。しかし、それに応える主君の端麗な冷笑は見えない壁となって淑女達を寄せつけない。
可憐であっても美麗であっても清楚であっても高潔であっても——王太子が女性に心奪われる光景など天地がひっくり返っても目にする筈がない——。
——否! 目にしている! 今! この時も!
いやいやいやいやなんだあの微笑は。溶けている。顔が溶けている! いつも女性に囲まれた時に浮かべる薄寒い仮面の冷笑は何処へ行った! あれではまるで春の日差しのようではないか……氷柱をも溶かすような微笑み……ほほえみ? 殿下が?
ぞわり、と冷たい何かが背中を這う感覚にアミクスは震えた。え、やだ怖い! 何あれ本物!? もしやあれですか? 替え玉とかですか! 一介の補佐官如きには知る由もないのだけれど、もしかして殿下にはそっくりさんがいらっしゃるのか!?
補佐官は思わず両の腕を互いの手で抱き込んだ。足元から頭頂へと立ち昇る鳥肌にぶるり、と震える。
この光景を、やはり凝視して堂々と二度目の職務放棄を犯しているのは近衛騎士達である。アミクスは心中で誓う。心配するな。決してお前達の失態は口外すまい。
***
主人が照れ笑いを隠すように扇で口許を隠し肩を揺らしている。
(何が起こっているの!?)
先程まで丁丁発矢の議論を繰り広げていたではないか。幾ら相手が王族とは言えど、あれ程に不躾で礼儀を欠いた態度を取られて黙って折れるようなセルヴィではない。
あれはお嬢様には相応しくない。
見てくればかりは綺羅綺羅しいが。芸術品に魂が宿ったような美しさは魅力的では在るけれど! あれは自意識過剰で偏屈な男だ。きっと幼い頃から我儘を諌められるどころか助長するような環境で育ったのだろう。自分が一番正しいと自惚れた典型的な阿呆に違いない。
不敬と断じられようが処罰を受けることになろうが、断固として意見具申せねば気が済まぬ。たかが侍女の申し出など斬って捨てられるのが関の山、されど賢いお嬢様なら気付いて下さる筈だ。
自分の意見に激昂した王太子殿下はその場で自分の首を刎ねるかもしれない。例え刀の露となろうとも、この命を賭けてでも、お嬢様の目を覚まさせねばならない。
忠臣の侍女は両の拳をぎゅっと握り締める。武者震いが足元から頭頂まで立ち昇った。
***
「あれをご覧くださいませ。どうやら殿下の奸計は巧く運びそうですわね。既に彼方此方へ種をばら撒いていらっしゃる」
漏れる笑みを扇で隠し、肩を揺らしながらクラリオラの目線は東屋に向かう。そわそわしながら自分達を見守る二つの影の心情を思えば、僅かばかりの心苦しさを感じるが。
「後から説得するのに難儀しそうですわ。私の侍女は殿下に対してあまり良い印象を持っておらぬ様子ですもの」
応えを試すように公爵令嬢はエクセルシウォルに視線を投げた。
「我が補佐官も落ち着きない事この上ない。あれはすぐ思ったことが顔や態度に出る。まだまだ教育が必要だな」
辛辣な言葉とは裏腹に王太子の顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。側から見れば男女が好意を示し合う構図にしか見えない。
「それにしても。貴女は社交の場に姿を現さないと有名だが——このように駆け引きめいたやりとりや仕草が実に堂に入っているな」
視線を絡めながら王太子は公爵令嬢の右手を取った。その手をゆっくりと持ち上げると指の先に触れるか触れないかの場所に恭しく口付けた。
遠く東屋の影二つが大きく揺れた。
「——まあ! 殿下の方こそ手慣れていらっしゃる」
手慣れた、の部分に対して軽めの否定を込め上目遣いに公女を見上げると、公女はやはり微笑みながら返答した。
「実践は初めてですわ。殿下は御存知ないでしょうが、世の中にはこういった事を詳細に教えて下さる数多の先生達がおりますの。人はそれを恋愛小説と呼びますわ」
頬を染め、照れた笑みを深める令嬢の仕草は芝居とは思えない。
「成程、覚えておこう。私もこういった事には不慣れなのだが——良い先生が居るのなら是非とも教示に預かりたいものだ」
取られた手を軽く握り返し、クラリオラは満面の笑みで答える。
「あら、高くつきますわよ?」
近衛騎士達に幸あれ。




