E-001 王太子エクセルシウォルの辞書
初投稿にして連載に手をつけるという暴挙。
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王太子エクセルシウォルの辞書に「感情」という文字は存在するや否や——この問いは彼の側近達に永遠の難問として君臨し続けている。
エクセルシウォルの思考・言動は、常に合理的な判断を基軸に構築されている。人が当たり前に持つ「欲」や「余白」など彼にとっては不要なものでしかない。エクセルシウォルは国民のため、引いてはこのパルクトゥード王国のためだけに日々邁進しているのだ。
「殿下、しばし御休憩をお取り下さいませ」
父王ノヴァロムの名代として、隣国チェルトゥスへ赴く事が決定した王太子は準備に余念がない。業務過多が常態化しているエクセルシウォルを案じつつ、補佐官兼側仕えのアミクスが声を掛けるも返事はペンが走る音のみ。
「殿下、せめてお茶だけでもお摂り下さい。お食事もお召しにならず仕事ばかり……このままではお身体に障ります。それに——」
「アミクス、我が国からの交易品目録だが今一度精査が必要だ。すまないがクライブを呼んでくれ」
切なる訴えは、王太子の右耳から左耳を高速で通過したらしい。主人を慮る言の葉はエクセルシウォルの思考に爪痕すら残せない。あまりの通常運転ぶりに忠臣の笑顔は軽く引き攣った。そもそもエクセルシウォルの集中力はどんな城塞よりも強固なのだ。アミクス如きが敵うはずもない。
だがしかし。届かぬとわかっていても男には引けぬ時がある。普段は「自分は城一番の忖度体質」と公言して憚らないアミクスだが今日は諦めない。諦めてはならない事情があるのだ。
「それから過去三年分の関税交渉の記録——」
「殿下、よもやお忘れでございますか? あと二時間後には二人目の王太子妃候補の御令嬢がお越しになられますが」
多少強引ながらもアミクスは主君の発言に斬り込んだ。ひた、とエクセルシウォルの動きが止まる。
どうやら三度目の攻撃にして遂に一撃が効いたようである。やればできる忖度体質男、アミクス・レーベンは心の中で喝采をあげた。
机上の書類に落としていた双眸がゆるりとアミクスを捕らえた。石灰色の瞳は光源によって複雑な色味を映す。ともすれば虹色にも見えるその変化は、寒色の眼に淡く「感情」を灯したようにも見えた。
「——今日、だったか?」
しかしその表情は常と変わらない。おや? とアミクスは首を捻った。見間違いか?
(大体、ぎっしり詰め込まれた分刻みの予定すら正確に把握している癖に。なんだその恍けた返しは)
アミクスは胸の内で密かに悪態をつく。序でにひとつまみの反抗心を自身に振りかけ眉根を寄せてみせた。勿論エクセルシウォルの表情筋に動きはない。徹頭徹尾無表情な相手に、つい怯んでしまうのは小心者の性なのか。
本当にこの王太子は面持ちの変化が乏しい。今年の冬で二十歳になるエクセルシウォルは類い稀なる銀髪の貴公子である。せめて、ほんの少しだけでもその麗しき顔が緩やかならば、王太子妃候補の御三方も多少は緊張せず向き合えるだろうに……とアミクスは漏れそうになる心の声を抑え込んだ。
「左様でございます。本日の御訪問はレクレディ公爵令嬢、もう然程時間がありませぬ。休憩を取らぬ、と仰るのならばそろそろ御支度を」
手にした書類の束を名残惜しそうに数枚捲り、仮面の王太子は尚も食い下がる。
「せめて目録の見直しを」
「なりません」
今日のエクセルシウォルは珍しく諦めが悪い。国政の重鎮達をも一睨みで抑え込む氷の王太子相手に、なんと自分が多少なりとも優位に立っているのだ。口端が緩みかけ、アミクスは慌てて引き結ぶ。
それにしても、齢二十の若者が見せる執着の方向性が著しく間違っていると感じるのは気のせいではない筈だ。
あのレクレディ公爵令嬢だぞ?
傾城の美女と名高い、あの!
普通の男ならこんなに悠長に構えるものか!
普通の男アミクス・レーベンは軽く天を仰ぐ。浮き足だっているのは自分の方かもしれない。
「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」とその美貌が語られるクラリオラ嬢が初めて登城する。幼少期より公爵領から出たことがない噂の淑女に一介の補佐官がお目にかかる機会などそうそうあるわけではない。これが興奮せずにいられるものか!
それなのに、だ。眼前の主人は評判の絶世美女より仕事に未練を残している。
(いや、殿下にとって相手の美醜はさしたる問題ではないのか)
心に膨らみつつある不安をこほん、と小さな咳に変換して優秀な補佐官は退室を促した。
「ささ、時間は無限ではないのですよ殿下。御支度を整えるにも時間が必要なのですから」
どうやら今回の攻防ではアミクスに軍配が上がったようだ。聞こえるか聞こえない程度の溜息を残し、エクセルシウォルは席を立つ。最後にちらりと書類を眺め机に置くと執務室を後にした。扉の外で待ち受ける護衛騎士を連れ自室に戻る主人に、勝者は黙礼し後を追う。先程より幾分か肩を落とした背中を視界に認めて、アミクスは安堵した。
パルクトゥード王国には現在、王位継承者が三名。第一継承者のエクセルシウォルは現王ノヴァロムの長子である。第二継承者のキルシュノーム公爵は現王の弟にしてこの国の宰相を務めている。そして第三継承者はエクセルシウォルの弟王子アルスエスト、齢九つの闊達な少年だ。
国内にて目に余る政局争い等は存在しない。またエクセルシウォルが王位継承するにあたり叛意を抱くような貴族もいない。つまりパルクトゥード王国はこの三百年余り大国でありながら大きな争乱もなく、平和を享受し安定した国家として繁栄し続けている。だが——。
(王太子妃選定もついに佳境、か)
アミクスは、今朝から何度も無意識に出かかった溜め息を深呼吸で誤魔化した。政務や公務は精力的にこなす有望な王太子が、何故かこの件に関してのみ非常に後ろ向きな姿勢を崩さない。「王太子妃候補」という単語一つを発するだけで難色を示すのだ。但し表情には一切出ないのだが。
現在の候補者は三名。熟考に熟考を重ねた選考基準を突破し選出された中には、隣国の伯爵令嬢も含まれている。選定はとかく難航を極めた。当事者である王太子が全く乗り気でなかったことも要因のひとつではあるだろう。
それでも、いずれはパルクドゥート王国の国王となるエクセルシウォルが生涯独身を貫けるわけがない。
推挙された令嬢達との交流が始まったのは二日前。あの日を思い出しただけでアミクスの顳顬は鈍く痛む。
(今回は滞りなくご対面が叶うだろうか)
人差し指で眉尻辺りを揉みながら、補佐官歴半年の若者は一昨日行われた交流茶会での記憶を辿る。
***
一人目の候補者はエドヴァルド侯爵家の次女カテリーチェ嬢だった。淡い髪色に柔らかな微笑みをたたえた愛らしい令嬢の姿に、側に控えた侍女も護衛に付いていた近衛騎士達も色めきだった。王太子妃候補の洗練された振る舞いに場は華やぎ、これは幸先が良い、とアミクスも楽観的に成り行きを見守った。
エクセルシウォルが着座すると礼をとっていたカテリーチェ嬢も向かいの席に腰を下ろした。このまま和やかな雰囲気で進んでいくと思いきや、王太子の第一声はその場にいる全員の心臓を凍りつかせた。
「貴女はこの国の現状をどう見る?」
硬質な低音で問われたカテリーチェ嬢の笑顔は戸惑いで崩れた。時効の挨拶や互いの装いへの賛辞といった当たり障りのない会話が始まると思っていたのに、想定を大きく外れた言葉に思考停止したようだ。返事をしない令嬢へ更に温度を下げた言葉が続く。
「エドヴァルド侯爵令嬢、私の質問が聞こえていなかったのか、それとも聞いていなかったのか、どちらだろうか」
実はこの時、アミクスは王太子の背後に控えていたのだが、目の前で繰り広げられる衝撃の展開に口をあんぐりと開けて固まったのは言うまでもない。なんだこれは。尋問か? いきなりどうした、初顔合わせだぞ?
「あ、あの、その、現状とは?」
哀れな令嬢はなんとか場を立て直そうと口を開いたが、時すでに遅し。エクセルシウォルは「もう用はない」とでも言うように立ち上がった。
「もっ、申し訳ございません王太子殿下、わ、わたくしは——」
「本日の登城ご苦労であった。とても有意義な時間だった。まだ余裕があるのならゆっくりしていくがいい。またの機会にお会いしよう」
二の区も継げぬ、とは正にこの事である。立ち尽くすカテリーチェ嬢は数度瞬いた後「終わった」と悟った。
王太子は躊躇う様子も見せずその場を後にする。慌てて後を追ったアミクスは敬愛する主君の背に声を投げた。
「殿下、殿下! お戻り下さい、あれではあまりにも……エドヴァルド侯爵令嬢に対して礼を失してございます! せめて今一度お戻りに——」
「その必要はない」
「ですが——」
艶やかな銀髪に石灰色の瞳を持つエクセルシウォルは、その色合いも相まって自身の周りに冷気を纏う。他者を寄せ付けない表情は平素から見慣れている。だが今、目の前の主人から漂うのは強い拒絶。
「しかし、うら若きご令嬢に国の情勢を問うなど」
「あの質問に然程の意味はない」
「……は?」
予想外の答えにアミクスはさぞかし間抜けな顔をしたのだろう。王太子の覇気が少し弛んだ。謎かけのような答えにアミクスの疑問は更に空転する。
「それはどういう意味で——」
エクセルシウォルは戸惑う補佐官の質問から別の懸案事項へ思考を移したのか、彼の疑問に答えることはなかった。
***
結局、アミクスがどんなに考えても王太子の意図はわからずじまいだった。そもそも凡庸な自分が、あの孤高の人を理解するなど天地がひっくり返っても無理に決まっているのだ。平凡を自負する男はこれ以上無駄に時間を浪費するのを放棄した。
(対外的な事も考慮すれば、既に殿下のお心は定まっておられるのだろう)
それこそ一介の補佐官であり側仕えのアミクスには預かり知らぬ事だが。ただひたすらに民のため、国のために粉骨砕身するエクセルシウォルを間近で支える彼を持ってしても、主人の心の内は図れない。
普通の男、アミクス・レーベン(笑)
私は君のことが好きだよ。




