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侍女に恋を知り、国に挑む。末っ子王子の夜と昼  作者: 沢鴨ゆうま


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16/16

16 Fabula 宿火の決意と侵された静寂

 雄大な山岳を仰ぎながら、深呼吸をする。

 澄んだ空気が肺の奥まで満ちていく。

 だが、この山を削り氷河を刻んだ力は、ローブの下の血まで冷えさせようとしてくる。


「体温が奪われないのは、丈夫なローブのおかげか」


 加えて、治癒の力ではない温もりをくれる、柔らかい手の主を確かめる。


「ベリス、なんだか顔が赤いけど、寒い?」

「い、いえ……ローブがとても暖かいので、そのせいかと」

「このローブ、暖かさも丈夫さも次元が違う。それに……君の手からも、ちゃんと温もりが伝わってくる」


 彼女の心紋が、微笑みのように柔らかな光を放つ。

 初めて握る手が、これほどの刺激があるとは思わなかった。


「なあベリス、君は僕の下へ来たんだ。もう遠慮なんていらないよ。いつでも好きなときにおいで」

「ありがとうございます……い、今のお言葉、撤回しないでくださいね」

「そんなこと、しないよ」


 俺は、彼女の手を強く握り、自分の胸に当ててうなずいた。


「むう、なんでベリスなんですかあ? アタシ、結構がんばってますよお」

「それはベリスのセリフだよ。ゼフィラはいつも一緒にいるだろ」

「そっか。アタシっていつも王子と一緒だ! フフ、フフフ……」


 ゼフィラは、クネクネと変な動きを始めたので、そっとしておく。

 何はともあれ、再び訪れたリルヴァナク修道院は、変わらず雄大な姿で出迎えてくれた。


「アールヴェリス閣下!? こんなに早くお会いできるなんて。みなさん、閣下がいらっしゃいましたよ!」


 修道院の各所で作業中の修道女たちが、俺たちを見た途端、前回と同じように忙しなく動き出した。

 山の澄んだ空気のように、キビキビとした動きが目を楽しませてくれる。

 修道院を見上げ、一歩足を出したとき、目の端に赤色の光が入り込んだ。


「……火?」


 思わず出た声にベリスが反応し、俺が向けていた視線の先を見る。


「ローブからすると、修道女……。髪の毛が赤く光っている!?」

「髪の毛だったのか。それにしても鮮やかだね」


 俺にとって、赤髪といえばリリアナだ。

 ずっと見てきた彼女の髪は、血にも似た黒目の赤毛。

 目にするだけで安心できるそれが、赤髪だと思っていた。


「あ、光が……」


 ベリスの視線は、光を失くした赤髪を見つめていた。

 残念そうな呟きとともに、俺の手をギュッと握ってくる。

 修道女の髪は光が消え、毛先は薄い青色なのが見て取れた。

 髪にくぎ付けになっていたところで、さらに驚かされることが起きる。

 彼女がもう一人の修道女の前に片手を差し出し、小さな炎を出して見せたのだ。


「火!?」


 手のひらの上で、ふわふわと浮かぶ炎が、透き通るような白い手を際立たせている。


「炎使い……だったのですね」

「……また、強力な能力者に出会えたね。修道院長に付き添わせた理由は、これか」

「アール様、近づいて来る人がいます。おそらく修道院長かと」


 俺の腕にそっと肩を当て、エリスがささやいた。

 すると、握っていた手を離し、姿勢を正したベリスの横にエリスが並ぶ。


「光る髪は、珍しいことも相まって、目立ってしまうのが悩みの種でしてね」


 背後から、圧はないのに、胸の奥にゆっくり沈んでくるような声がした。

 振り返る前から、声の厚みがわかる、深く落ち着いた響き。

 振り向くと、大柄な体を古びた杖にわずかに預け、 申し訳なさそうに微笑む男性が立っていた。


「驚かれましたかな。あの子の髪は、感情によって光ることがあるのです。そして、炎を生み出すことができます」


 深緑色に金色の刺繍が施されたローブを纏い、白髪交じりの長髪と濃い眉毛を従えた青い目が探ってくる。

 俺は、普段なら初見の相手と目を合わさないようにするのだが、不思議なことに、じっと視線を交わしていた。


「……失礼いたしました。私はこのリルヴァナク修道院の長、ファルヴィン・ルドヴィクスと申します」


 礼をしている侍女たちが目の端に映る。

 ルヴェリナだけは、俺の様子を伺ってから一瞬遅れて礼をした。


「私は、アルステッド家第七王子、アールヴェリス。ダルクヴァルトの維持監視を務めることになりました」

「ザルク先生からお聞きしております。お会いできて、感激しております」


 ファルヴィン修道院長は、空いている手を差し出し、握手を求めてきた。


「離宮での生活を懸念しておりましたが、杞憂だったようですね。それに、ザルク先生が驚くフォルシエールを従えていらっしゃる。うむ……確かに、殿下に託すのが最適のようだ」

「ん? 何のことでしょう」


 肉厚な手で握られ、偽りのない歓迎を受けているのだと実感する。

 がっしりとした体格は、修道院長を名乗るにふさわしいと思わせる独特な圧を醸し出している。

 彼の目と同時に心紋を見て、警戒する必要のないことは確認済みだ。

 心紋を見ることができなければ、腰の引けた、情けない姿を晒していたかもしれない。


「イザベラ、こちらへ来なさい」


 俺たちが来た知らせが耳に入らないほど、熱心に話し込んでいた二人の修道女が振り返る。

 そのうちの一人、赤髪の修道女――イザベラが、ファルヴィン修道院長の下へと来た。


「あなたが待ち望んでいた時が訪れたようです」

「お客様!? し、失礼しました。紋章……この方々って――」

「シルヴァーヴィスタ離宮の方たち、と言えばわかるかな?」


 イザベラは、ゆっくりと侍女たちを見渡し、最後に俺を見ると目を見開いた。


「ア、アールヴェリス閣下!?」


 彼女のあまりの驚きように、こちらの方が思わず肩をピクリと跳ねてしまいそうになる。


「まさか会えるだなんて……全然心の準備ができてない!」

「ははは。あなたには隠すよう周知していたからね」

「もう……なんでアタシには意地悪するんですか?」


 イザベラは、地面を蹴りながら院長に不満をぶつけている。

 院長は、屈託のない笑顔を浮かべ、イザベラの様子を楽しんでいるようだ。


「イザベラ、閣下が困惑されている。きちんと挨拶をしなさい」

「だって院長が……コホン、失礼いたしました。私は、リルヴァナク修道院で勉強中の、イザベラ・レインハートと申します」


 イザベラは軽く目を閉じ、きれいな笑みを浮かべてカーテシーをして見せた。

 放つ光は蝋燭の炎のようにゆらゆらと揺れ、色そのものが火……こんな心紋は、初めてだ。


「初めまして。今は専属侍女と共に、森を知るための探索をしているところなんだ」

「専属侍女……殿下には、御身を支える侍女二名と、将来をお約束されたお方がお一人と伺っておりました。まさか、七名もお連れとは――」

「必要な人たちが、自然と集まってくれたんだ。僕には、ありがたいことだよ」


 院長は、一歩前に出てイザベラの肩に手を乗せた。


「この子は、エラリオン人の父と、アストレヴィア人の母との間に生まれました」


 院長は、深く息を吸い、少しだけ眉間にしわを寄せて続きを話す。


「ご存じの通り、両国の関係は今や危うい。エラリオン連邦は、能力者を戦闘員として軍に配属させている。能力を持つ子が道具として扱われる未来を恐れた父親は、母親にこの子を託し、アストレヴィアへ逃げるよう指示したのです」

「能力者が道具……ですか。一番聞きたくない言葉ですね」


 奥歯を噛んで、息を一つ吐く。イザベラの心紋を見て、ゆっくりと呼吸を整えた。


「君とお母上がアストレヴィアにいることで、お父上が少しでも安堵してくれているといいのだけど」


 イザベラは、わずかに肩を揺らした。

 驚いたのか、別の感情なのか、その意味まではわからない。

 ただ、俺の言葉が彼女の何かに触れたのだろうという気配は感じた。


「イザベラよ、私の言った通りであろう」

「べ、別に間違っているなんて言っていません!」

「おや、そうだったかな……確か、離宮で何も知らずに――」

「先生! 私は、閣下のことをずっと心配していたのです。それは言わなくてもわかっているはず……って、もう……なんで閣下にはしたないところを見せなければならないのよ……」


 イザベラは、拳を握りしめ、下唇を噛み、目を潤ませている。


「少し悪ふざけが過ぎたようだ。すまなかったね、イザベラ」


 院長は、ゆっくりとイザベラの頭を撫でる。

 すると彼女の髪の毛が、ほんのりと光を放った。


「イザベラさんの髪は、光るとより素敵になりますね」


 イザベラが、俺の言葉にすばやく反応してじっと見つめてきた。

 その視線は、鋭いながらもどこか不安げだ。

 もしかしたら、髪が光ることを、良いことだとは思っていないのかもしれない。


「……目立つゆえに、匿う必要がありました」


 言葉を返さない彼女の代わりに、院長が答えた。


「視点を変えれば、見世物になりかねない。これまで様々な苦労があったと推察します」


 俺は、明るく振る舞うイザベラに心を揺らされた。

 無意識に、胸の前にそっと手を添えて、わずかに頭を下げていた。


「閣下こそ、さぞかしお辛かったことでしょう。だがしかし、とても温かい心をお持ちになっておられる」


 院長は、俺と同じように胸の前に手を添えて頭を下げた。

 リルヴァナク修道院に来てからというもの、俺に向けられる眼差しはどれも澄んでいて、曇りがない。

 その温かさに触れるたび、張りつめていたものが少しずつほどけていく。


「そのような閣下に一つお願いがあるのですが」


 院長は、イザベラの背中に手をやる。


「……先生、早過ぎません?」

「時間は待ってはくれぬ。それに、閣下はすでに見抜いておられる。いずれお願いするのなら、わざわざ後回しにする必要はあるまい」


 なんとなく察しは付くが、俺が見抜いていることを見透かされたということになる。

 院長……さすが、と言ったところか。

 まったく悪い気がしないのは、なぜだろう。


「私ができることは、あまりないのですが」

「いえ、閣下でないとできないことです」


 院長は、イザベラと共に一歩俺に近づいた。

 フォルシエールとして積み重ねた経験によるものかはわからないが、院長は、どこか自信に満ちた笑みを浮かべて口を開いた。


「このイザベラを、閣下の専属侍女として加えていただきたい」


 へえ。院長から直接申し出があるとはね。

 イザベラが炎使いだとわかった今、侍女に加えない手はない。

 それに、エラリオン連邦と関わりがあるのなら、俺たちの今後の動きを左右する大きな要素となる。


「エラリオン連邦の脅威から守る、いや……イザベラが憂いのない日々を過ごすには、閣下の下が最適でしょう」


 俺は、背筋を伸ばして間を作り、ゆっくりと答えた。


「事情はわかりました。ですが、ただ匿うためだけに専属侍女にする、というわけにはいきません」


 イザベラは、表情を変えていないつもりだろうが、少し指に力が入ったのを、俺は見逃さなかった。

 院長は、断られる覚悟があったのか、小さくコクリとうなずいた。


「では、彼女の能力を見ていただけませんか?」

「能力を……いいでしょう」


 院長は、語るより実際を見せた方が早いと判断したのだろう。

 合図を受けたイザベラが、足を半歩引き、静かに息を整えた瞬間、空気が変わった。


「リリアナ?」

「念のため、お傍にいます」


 リリアナが、ルヴェリナの横から俺の背後へ瞬時に移動していた。

 おそらく、イザベラが醸し出す圧に反応したのだろう。


「私も。いつでも飛べます」


 リリアナが来たことに安堵する間もなく、ゼフィラの囁きが耳に届く。

 さらに、ベリスがローブの前を開け、装飾品に手をやる姿が目に入った。

 彼女らの護衛意識の高さが、新たな能力を目撃するより前に、俺の心に響いた。


「……来ます」


 リリアナが剣に手をやり、臨戦態勢をとりながら伝えた言葉は、囁きにも関わらず、芯のあるものだった。


「彼女なら大丈夫だ。静かに見届けよう」


 侍女たちが防御を意識するほど、イザベラの圧は凄まじい。

 彼女が手を払うと、地面すれすれに炎が走り、赤い軌跡を描いて弧を描く。

 炎は暴れず、まるで意志を持つかのようにイザベラの動きに寄り添って収束していく。

 熱が俺の足元まで届いたが、不思議と恐怖はなかった。

 気づけば、地面と炎の間に薄い水の膜が走っていた。


「リーニア……」


 侍女たちの立ち回りは、随分と上達したようだ。

 それにしても――あれは、ただの火ではなかった。

 この力を抱えたまま隠れて生きてきたのか――そう思うと、胸の奥がざわついた。

 そして同時に、彼女がここに立っている理由も理解できた気がした。


「すばらしい! いやあ、お嬢様方の忠誠心と能力の高さには感服いたします」


 拍手をし、笑顔を浮かべて現れたのは、ザルク講師だ。

 まるで自分が何かを成し遂げたあとのように、満足げな様子で院長の横に立つ。


「失礼しました。閣下に能力を知っていただくため、あえて目の前まで火を寄せてしまいました。軽率な行動をとり、申し訳ございません」


 イザベラは、その場で深々と頭を下げた。


「こちらこそすまない。君の能力を見届けるためなのに、侍女たちはじっとできなかったようだ」


 イザベラは深く頭を下げたまま、わずかに肩を震わせた。

 緊張か、安堵か、そのどちらなのかまでは分からない。

 俺は一度息を整え、院長とイザベラへと視線を向けた。


「……専属侍女は、主人をあらゆる面で支える役目です。時には、エラリオン連邦のように、能力を武器として使わなければならない場面もある」


 イザベラの指先が、ほんのわずかに動いた。

 拒絶ではない。覚悟を確かめるような仕草――いい反応だ。


「君を匿うことが結果として叶うかもしれない。だが、それを目的に迎えるわけではない。過度な期待はしないでほしい」


 院長は静かにうなずいた。イザベラもまた、迷いを振り払うように顔を上げる。


「……承知しております。閣下のお言葉、胸に刻みます」


 その声音には、揺らぎがなく、彼女の強さを感じられる一面だ。


「侍女たちの動きを前にしても、やるべきことをやり遂げた意志の強さは、我々にとって大きな力になる。イザベラ、君を私の専属侍女として迎えよう」


 イザベラは目を見開き、次の瞬間、深々と膝を折った。

 震えもなく、迷いもなく――ただ、静かに額を垂れる。


「……少し、寂しくなりますね」


 ザルク講師がぼそりと呟いた。その言葉に、イザベラはうっすらと笑みを浮かべた。


「希望を伝えてくれれば、修道院に学びに来るのは構わない。それに、これからは修道院と連携してダルクヴァルトを守っていく。院長、それにザルク先生。こちらこそよろしくお願いします」


 院長は目を細め、深くうなずいた。


「……ありがたきお言葉です、閣下」


 ザルク講師も、写本を握る手に力を込め、俺に見せるような仕種をした。


「閣下、お待ちしております」

「聞きたいことは、山ほどありますし、この先はもっと増えるはず。イザベラが来るときは、私も同行しているでしょう」


 イザベラは立ち上がり、まっすぐ俺を見た。

 その瞳には、恐れでも不安でもなく、 ただ、前に進む意志だけが宿っていた。

 その瞬間、胸の奥で何かが静かに形を成した。

 能力者が安心して暮らせる国――そんなものを夢想するには、まだ早いのかもしれない。

 だが、目の前の彼女を見ていると、その夢がまったくの絵空事ではないように思えた。


「イザベラ、これから君は、共に歩む仲間だ――みんな、心強い仲間が増えたよ」


 イザベラは、侍女たちを見渡して一礼し、俺たちの一行に加わった。

 有能な侍女が加わったことは喜ばしいことなのだが、俺たちには尋ねるべきことがある。


「さて、今回お邪魔したのは、一つお聞きしたいことがありまして――」


 そう切り出したところで、院長がはっとしたように背筋を伸ばした。

 その横で、ザルク講師も同じように眉を下げ、申し訳なさそうに頭を下げる。


「おお、外で立ち話をさせてしまうとは……閣下をお迎えするというのに、我々の配慮が足りませんでした」

「申し訳ありません、閣下。つい話に夢中になってしまい……」


 二人の慌てぶりに、思わず苦笑が漏れそうになる。

 ふと視線を巡らせると、修道院の門のそばで数名の修道女たちがこちらを見ていた。

 どうやら、俺たちの話が終わるのをずっと待っていたらしい。

 気まずそうにこちらを見ているが、その顔は、どこか温かい笑みを浮かべている。


「君たちをずっと待たせてしまったみたいだね」


 ザルク講師が声をかけると、修道女たちは慌てて首を振った。


「い、いえ! 閣下と先生たちのお話を遮るわけには……」

「ただ、少しだけ……長かったので……」


 最後の一人が小声で漏らし、周囲がくすりと笑う。

 その空気に、張りつめていたものがまた一つほどけていくのを感じた。


『あなたのような人がいるなんて……』


 頬が緩みかけたところで、ふいに、脳内へ聞きなれない声が入り込んできた。


 ――誰だ?


 これは、人の思考内に入り込む能力だ。

 姉のエレスに似た能力だが、彼女のように自然かつ繊細なものではない。

 まさか、姉と同じような能力者がいるとは思わず、隙を突かれてしまったようだ。

 精神世界に忍び込まれるなど、不覚以外の何物でもない。


『さすがはエレサリンお姉さまの弟君。脳内で声がすると、たいていの人は頭を抱えて悶え苦しむというのに、まったく動じないなんて。はあ……素敵な人』


 エレスを知る人物か。

 だが、脳内で返事をすれば、俺が誰かと通じていると気取られかねない。

 さて、どうしたものか――。

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