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第九話 奇襲


 神崎は黙々と、空になった酒の缶を水で流し、乾燥させるために並べていく。

 傍らには惣菜のパックも洗って干してある。

 深夜になって同僚が帰った後の部屋は、物音一つせず静かだった。


 リビングにあるテーブルや椅子の下は調べ終えた。

 盗聴器の類は見当たらない。

 だが、同僚がただ遊びに来ただけと考えるには、あまりに無理があった。


(……バレたのか)

 

 濡れた手をタオルで拭く。

 少なくとも、今すぐに自分がハンターに捕まることはないだろう。

 証拠もない。仕事を放棄したわけでもなく、吸血鬼を殺してもいる。


(やっぱり、調子に乗って殺しすぎたな)


 テーブルに置かれた銀色の銃へと視線を向けた。

 レイを利用しはじめてからというもの、吸血鬼を殺す頻度は明らかに上がった。

 意図的に間を空けはしたが、それでも頻繁すぎた。

 人に紛れて隠れ暮らす吸血鬼を見抜く方法を持っていると、自ら主張していたようなものだった。


 だが、こうしている間にも吸血鬼は人を殺す。

 そう考えると、今にも夜の街に飛び出して吸血鬼を探し出し、銀の銃弾を撃ち込んでしまいたい衝動に駆られる。

 

 目を伏せれば、いつだって血の海の記憶が広がる。

 自分を慕った後輩の体から溢れ続ける、生温かい血液。冷たくなっていく指先。

 開いた口から、音にならずに消えた声。

 それが、今もこの街のどこかで行われているかもしれない。


「……吸血鬼を殺すのが、俺の仕事だ」


 誰に告げるわけでもなく、そう呟く。

 神崎はいつものようにテーブルに向かい、銃の整備を始めた。

 レイが戻り次第、いつでも動けるように。


 だが、朝になり、そのまま日が沈んで夜を迎えても、家の中には神崎一人の姿しかなかった。

 玄関の鍵は開けてある。

 レイが使っていた部屋の窓が施錠されていなかったことに気付き、そこの鍵も閉めないままにしていた。

 だが、結局どちらも開きはしなかった。

 

 理由の分からない苛立ちが募り、神崎は銃を手に取ったその足で玄関を出た。

 いつもの癖で鍵を掛けかけ、手を止める。

 結局、扉の鍵は開けたまま、一人で蒸し暑さの残る夜の街へ向かった。



    *



 ビルの間を抜ける細い路地を歩いていく。

 初めてあの吸血鬼の姿を目にした時は、この路地に夕陽が差し込んでいた。

 今は小型のライトで照らさなければ、足元さえ確認出来ないほどに暗い。

 

 人の流れのある道へ出ようとして、足を止める。

 僅かな物音。即座に振り返り、ライトを向けた先には一人の女が立っていた。

 銀の銃を向けると女は僅かに怯えた表情を見せ、目を見開いた。


「やめて! ……私は吸血鬼じゃないわ」


 神崎は引き金に掛けた指に力を込める。


「知らねえのか。人間は吸血鬼より目が悪いんだ。こんな暗い場所、明かりも無しに歩けないんだよ」


 そう言うなり引き金を引いた。

 破裂音と共に放たれた銀の銃弾は闇に溶けた。そこに、既に女の姿はなかった。


「そうなのね」


 真後ろで静かな声が囁いた。

 振り返るよりも早く体を前に倒す。直後、刃のような鋭い爪が、神崎の首があった場所を裂いた。

 銃口だけを後ろへ向けて次の弾を撃つが、当たった音はしなかった。

 

 当然だ。

 吸血鬼の目には、その動きも全て見えている。

 視界の外から、隙を突いて撃たなくては倒せない。

 だからこそ、吸血鬼はたった一匹の獲物から目を離すことをしなかった。

 汚れた地面に体を転がして攻撃を避けた神崎を、暗闇でも赤く輝く瞳が、瞬きもせず見下ろしていた。


「……クソが」

 

 無意識に舌打ちを漏らしかけたその瞬間、女が背負う闇の向こうから伸びた手が、音もなく女の首に掛かったのが見えた。

 女は驚きに目を見開き、その指から逃れようと身体を捻る。

 神崎に向けていた警戒が、強引に剥がされた。

 その一瞬の隙を逃さず、神崎はもう一度引き金を引いた。

 

 頭を撃ち抜かれた女の体は見る間に崩れ、灰となってビルの隙間を抜ける風に散った。

 その場に残ったのは体勢を崩したまま座り込む神崎と、闇の中から現れたレイだけだった。


「どうしたんです? 一人で、こんな場所に」


「……俺の台詞だろうが。それは」


 助けたことを恩着せがましく告げるわけでもない。

 いつもと変わらない、平坦な声が聞こえて神崎は思わず苛立つ。


「なぜ、家に戻ってこなかった」


「俺の存在が知られたと、警戒しました」


「安全が確保されたのを確認してから戻ればいいだろうが」


「危険でした」


 神崎は僅かに目を見開いた。

 銃口を突き付けられても警戒一つ見せない吸血鬼の口から出るには、少し違和感のある言葉だった。


「……お前にも危険なんて感情があったのか」


 そう言うと、レイは緩く首を傾けた。


「危険だったのは俺ではなく、あなたです」


 少しだけ身を屈め、座ったままの神崎に片手を差し伸べながら、レイはそう言った。


「他のハンターに疑われて、困るのはあなたでしょう。俺は別に困りません」


 その言葉を聞くなり、神崎はきつく眉根を寄せた。手を貸そうと待っているその腕を乱暴に払う。

 吸血鬼の庇護を受けたとでも感じたのか。理由の分からない苛立ちに、声が低くなった。


「俺のためを思って出て行ったとでも言いたいのか? 俺との契約はどうした」


「俺が側にいることが知られた際のルールを定めなかったことは、少し後悔しました」


「そんな話はしていない。吸血鬼は契約一つ守れねえのか。だからお前らは——」


 言葉が終わるよりも早く、静かに伸ばされていたレイの手が、突然神崎の襟首を掴んだ。

 そのまま身体ごと強引に壁際へ押し退ける。

 思わず息が詰まったその瞬間、破裂音と共に空気を裂いた銃弾が目の前を掠めたのが見えた。


 すぐ後ろの壁に背を打ち付け、咳き込みながら顔を上げる。

 暗闇の中から、銃を構えた男女のハンターが二人、姿を現した。

 首から下げられた銀の十字架が揺れている。

 男はレイと、次いで神崎を見下ろし、静かに呟いた。


「やはりか。情報通りだな……吸血鬼を連れた吸血鬼狩り(ハンター)

 

お読みいただきありがとうございます。

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