人間関係は掃除に似ている
「古典はふぐてんたいの敵である!」
「お前が勉強してねーのが悪いんだろ。あとそれを言うなら不倶戴天な」
いつもの屋上。珍しく七人全員が集まっている。後一人? 王真が来るわけがないだろ。
「まあ確かに古典の野上先生は意地が悪いけどね」
「そうなのか? 俺のところは野上じゃないから分からないんだが」
高校レベルの問題ならすらすらと出来てしまう良一が言うのだからもしかしたら五十鈴にはそこまで落ち度がないのかもしれない。
「なんていうかね」妃香がおにぎりを頬張りながら言う。
「引っ掛けみたいな問題出すの」
「それは、五十鈴が古典できないのとは関係無いな」
「あっはは、そりゃ言えてるわ」
「わ、笑うんじゃねー!」
すまん五十鈴。そりゃムリな相談だ。というかお前が勉強できないのは全ての教科でそうだろうが。
五十鈴はスポーツ、こと柔道に関して言えば滅法強いのに、それに反比例するかのように成績は悪い。これは本人が勉強嫌いなせいもあるが、どうも思考回路が他人とずれていることが原因なんじゃないかと思えてならない。
「相変わらず楽しそうだなお前ら」
後ろから声をかけられて振り向くと、見慣れた茶髪の先輩がこちらに近付いてきていた。
「笹倉先輩じゃないですか。屋上に来るなんて珍しいですね」
「おっ、ヤノ先輩チーっす」
笹倉弥之助先輩は五十鈴の入っている柔道部の現部長だ。それ以外の人にも、生徒会長として名前を知られている。
「昼飯食べに来た、にしては久坂先輩も恵関先輩も居ませんね」
「あー今回はな、お前らに活動してもらおうと思ってわざわざ来たんだよ。ほらこれ」
そう言って手渡されたのは一枚のビラ。
「えーと、清掃ボランティア?」
「そ、毎年二回ほどここいらの地域で開くんだ。この高校も参加するのが通例なんだけど、参加者募集しても毎年一人、二人来ればいいほうだからな。で、それだとやっぱり顔が立たないだろ?」
「そこで俺たちの出番だと」
「そ、一同好会が丸々参加したなら面子も立つってもんだ。それに今回は生徒会も参加しようと思っててな」
「それなら俺らいらないじゃないすか」
「ところがそうでもないんだこれが」
笹倉先輩は困ったように頬を掻く。その視線が微妙に五十鈴の方を向いていることに気付いて、なんとなく言いたいことを察してしまった。
「SSSに同好会的活動をさせろと」
「そゆこと」
SSSは五十鈴が職権濫用(この言い方で正しいのかわからないが)して作った同好会だ。先生方の中には快く思ってない人も居るだろう。そうすると、学校に分かるように活動をしなければならないということだ。
「えー、なんでゴミ拾いなんかやらなきゃならないんすか」
「桐生君は少し黙ってようか。えと、笹倉先輩。断れるものじゃないのでしょう?」
「SSSが取り潰されてもいいなら断ってもらって構わないぜ」
「脅しかよ!」
「むしろ助け舟だよ桐生君」
白桜に宥められて渋々といった様子で黙り込む。本当になんでこいつには考える頭ってのが無いんだ。
「次の日曜だから、よろしく頼むぜ」
笹倉先輩はそう言って去っていった。残された俺達は顔を見合わせる。というより五十鈴を除く全員が俺の顔を見ている気がする。このメンバーの中では俺が五十鈴のお守り役だと思われているらしい。否定したいところだが、今までそんなことばかりやってるから自分でも分からなくなってきた。ちらと五十鈴を見ると不満そうに紙パックの牛乳をすすっている。
「行くしかないだろ。全員参加で」
「俺ちょっと部活が」
「部長もいないのに呑気に柔道してんじゃねえ!」
「持病が」
「五十鈴ってインフルエンザにもなったことないよね?」
「え、えーと」
「桐生君」
必死に言い訳を探していた五十鈴の肩を良一がぽんと叩く。
「わりと大きな行事みたいだからきっといい出会いがあるよ?」
「よっしゃ掃除だろうがどんとこいやぁ!」
ころりと言いくるめられる阿呆を見ながら、俺は掃除と清掃は正確には違うものだとかテレビでやっていたことを思い出していた。
*
「ただいま」
「おー邪魔してるぜ」
授業を終えてようやく我が家のあるアパートに帰ってきたのに、出迎えてくれたのは隣の部屋に住むおっさんだった俺の悲しみを誰かに理解してほしいとは思うが、そんな感情を共有したところでどうせ無駄なので諦めて学ランを椅子にかける。
「灯骸さん。勝手にあがり込まないでくださいよ」
「ロキには許可取ったぜ」
「そのロキは?」
「奏佑お帰り。ワイ今キッチン離れられんし、樒さんとお話しとってや」
何の話をしろと。樒灯骸さんは自称殺し屋の働かないおっさんだ。ちなみにれっきとした本名らしいのだが、ぶっちゃけ信じられねー。俺の名前も字は多少変わってると思わなくもないが、子どもの名前に骸なんて字を付ける親の思考がまったく分からない。働かないと言ったが金に困ってる様子はないし一応何らかの収入は持ち合わせているのだろう。
そして台所でカレーと格闘してるのがウチの居候であり、俺の後見人でもある三条ロキ(偽名)である。戸籍上とはいえなんでこいつと苗字を同じにしなければならないのか、と思うくらいに仲は良い。
で、灯骸さん本人はにたにたと笑いながらこっちを見ている。この人の笑い方って俺の殺意ランキング一位と二位によく似ているせいで苦手だ。むしろなぜ灯骸さんを嫌いになっていないのか不思議な程だが、それはおそらく人徳の差という奴だろう。
だからといって別段仲良しというわけでもない。話すことがないというのは気まずいが、大抵そういうとき俺は怒ったような顔をしているらしい(沙希談)ので気まずさを悟られなくてすむのがありがたい。いや、ありがたいのか?
「高校楽しそうだよなぁお前達は」
この人に気まずさというものは感じられなかったらしい。仕方無く溜息をついて答える。「別に、そんなことはありませんよ」
「いやいや楽しそうだぜお前さん。俺は高校になんざ行かなかったからな」
「行かなかったんですか?」
「高校行かなくても就職のつてがあったんだよ」
「一番驚いたことを言っていいですか」
「なんだ?」
「働いたことあったんですね」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ・・・・・・!?」
そりゃ仕事しないおっさんだと思ってます。
「なんや楽しそうに話しとるなあ。二人とも仲良さそうでワイも安心やわ」
皿に盛り付けたカレーライスを両手に持ったロキが笑いながらこっちに来た。というかお前台所からなら会話全部聞こえてただろ。分かってて言ってるんだからひどい奴だ。それとなんで皿がもう一つ残ってるんだよ。まさか灯骸さんウチで食うつもりじゃないだろうな。
「相変わらず旨そうな飯だな」
「やっぱり飯たかりに来たんですか」
「おいおいそりゃ微妙に違うぜ。今日のカレーの具材買ってきたの俺なんだからな」
「調理するのがめんどくさくなってロキに投げたんですねわかります」
「そいつぁ言わない約束だぜ」
カレーライスを食べ始めた灯骸さんに何を言っても堪える様子もないので、もう無視して俺も夕飯に手を付ける。中辛。俺はどちらかというともっと辛い方が好みなんだが、性格の悪いロキがそれを聞き入れてくれるなんて甘い幻想は抱いてない。むしろ甘口で無かった事を喜ぶべきだと思う。
隣にロキが座って同じように食べ始める。俺より背は高いし顔もいいしでやっぱり腹の立つ野郎だ。関西っぽい謎の喋り方もムカつく。が、俺が今こうして高校に通えているのも半分くらいはコイツのおかげなので、そんなに嫌いというわけではないのだ。
「まだまだカレーはあるさかい、好きにおかわりしてくんな」
灯骸さんが速攻でおかわりにしに行ったぞ。あの人本当遠慮ってものとは無縁だな。
「明日はカレーうどんか」
「正解」
大量のカレーから推測できる明日の献立はどうやら当たりだったらしい。カレー派の俺としてはありがたいばかりだ。
「ああそういや」
「どうしたん?」
「次の日曜にさ。なんか街の清掃ボランティアに参加することになったんだよ。前に話したSSSって奴。たぶん五十鈴達と飯食うから夕飯は要らないと思う」
「ほー、奏佑達も参加するか」
「そうそう・・・・・・って、え?」
も、って言わなかったか今?
ドッキリに成功したみたいな顔でロキは棚のチラシを取り出す。
「ワイらも参加しようかって話になっとったんよ。このアパートの住人皆参加させよって」
「むしろ汚くなる未来しか見えない!」
ここの人間って名探偵だとか魔術師とか基本ロクなの居ないからな。俺も染まらないように気を付けないと。
「よくわかんねえけど、思ってたよりもにぎやかになりそうだな」
「楽しみになってきたわ」
「あんたらは楽しそうでいいよな」
問題児を抱えたこっちは胃が破れそうだよ。頼むからこれ以上事案要素を増やさないでくれ。
「ほな海翔んとこにも電話しよかね」
「おい馬鹿やめろ」
「・・・・・・冗談やからそのスプーンをワイに向けるのやめてくれへん? マナー違反やで」
冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだよなあ。よりにもよってランキング一位をなんでわざわざ引っ張りだそうとしてくるだよ。
五十鈴じゃないが、本当このボランティア受けない方が良かったんじゃないかと思えてきた。もちろんそれは幻想で、こいつらが参加する時点で俺も巻き込まれるのが必然。諦めるしかないってか。
日曜は安息日と誰が決めたんだったか、憂鬱な気分にならざるを得なかった。
*
悲しいことにその日はやってきてしまって、河川敷にはそれなりの人が集まっている。まあ大半は暇を持て余した老人で、俺らみたいな若い衆なんてのは他に居なかった。SSSのメンバーも全員来ていて、王真含む生徒会の方々もちらほらと見える。若干二名ほど生徒会じゃない人も見えたような気がしたが、笹倉先輩と話していたのでたぶん巻き込まれた友人かなにかだろう。
「おー、ぎょうさん集まっとるやないか」
「なるほど、このように各人の住む地域を改めて見つめ直し、そこを掃き清めることでアイデンティティを再確認すると同時に、普段は声も交わさぬ赤の他人同士が顔見知りへとランクアップさせる手助けもしていることになるのか。このような良き行事に若輩者の私が参加出来るというのは実に重畳。まだ見ぬ人々の初々しい雰囲気がこちらまで伝わってくるようだよ」
「ふむ、この中で殺人事件は起きそうにないな。平和が一番だ。いやだが待てよ? 俺のそんな勝手な推測で監視の手を緩めていいわけがない。危ない危ない、やはり事件を未然に防ぐため常に気を張っておくことにしよう」
「多過ぎねえかこれ。おっさんこの人だかり見るだけで疲れちゃったよ。なあもう帰っていいかな」
同じアパートの人達も来ているが、周りからの好奇の視線が痛すぎてとてもじゃないが周りに居られない。こっそり人目を避けながらその集団から離れ、もう少しマシなSSSの奴らの居るところへ移動する。こっちもばらばらになっているせいで合流できたのは白桜だけだったがまあいい。アレよりも遥かにマシだ。
「よお、他の奴は?」
「見当たらないよ。ていうか、あれ何? 三条君の知り合い?」
ばっちり一緒にいるところを見られてしまったらしい。偶然とは恐ろしいものだ。
「残念ながら顔見知りだよ」俺は首を振りながら答えた。別に悪い人たちでもないが、それとこれとはまったくの別問題だ。普段ならあまり近付こうとも思わない風貌が揃っているので自然と俺もそういうスタンスを取るようになる。
「そういえば割り振り表もう振った?」
「一応な」
広い範囲を掃除するため、いわゆる班分けが行われた。三つのグループに分かれるのだが、決め方はくじ引きで特別な理由でもない限り仲良し組で集まれないようになっている。俺が引いたのは三番と書かれていて、要するに三班に振り分けられたということになるらしい。
「僕も三班だ。一緒だね」
「ま、知り合いがいるのは有難いな」
赤の他人の集団に一人ほっぽりだされるのは精神衛生上よろしくない。白桜は学校でも同じクラスだし、心強いといえば心強かった。
グループトークを見れば皆次々に番号を公表していた。俺と白桜の他には漣が三班のようだ。五十鈴と別の班になったのを喜ぶ反面、あいつが何か仕出かさないか心配で仕方が無いのは保護者としてのアレみたいなもんだろう。
「綺麗に分けられちゃったみたいだね」
「いいんじゃねーの? 変に固まるより遥かにマシだろ」
「それもそうだけどさ」
言いたいことはわからなくもない。が、そんなことを言っても変わるわけではないし、頭の無駄なので俺の意識は如何に効率良く疲れないように掃除ができるかを考えていた。
そうして俺達のほんの少しだけ長い一日が始まった。