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残影の追放者 〜追われし者よ、どうか良きヒトの世で〜  作者: 諸葛ナイト
オリエンスの姉妹

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学ぶ意味

 オリエンス家の別邸で過ごすようになって10日が過ぎた。

 日々の生活にも慣れ、ローグはその日もこじんまりとした予備の調理場で簡易的な椅子に座り、薬研(やげん)で薬草をすり潰していた。


 潰された薬草の香りに包まれる中、潰れたそれを小さなすり鉢へと移して小皿にあった木の実や薬草を加えて混ぜていく。


 そんな作業を黙々と繰り返していたころ、声をかけられた。


「ローグ様、そろそろご休憩なさった方がよろしいかと」


 いつの間にか側に立っていたエーリャに気づき、集中力がプツンと切れたローグは辺りをキョロキョロと見回した。 


 気が付けば調理場にある小窓から入る日差しは傾いている。

 ここに時計はないが、それだけで自分の体感よりも時間が進んでいたことを察することができた。


「もうそんな時間か」


「はい。昼食の後3時間、ずっと作業をしておりました」


「そう、か……」


 指摘されて初めて目の奥に痛みを覚える。

 体力としてはまだ余裕があるが、目の方は細々とした作業を終えたがっているようだ。


 それを和らげるために眉間を押さえると体に入っていた力を抜くためにローグは息を吐いた。


「うん、少し休もう。

 みんなに片付けをしてから行くって伝えておいてくれるか?」


「いえ、片付けを行うのであれば私もお手伝いいたしましょう。

 ルミリ様より『連れてきて』と言われておりますゆえ」


 その光景を容易に想像できたローグは小さく笑って頷いた。


「わかった。なら少し手伝ってくれ」


「承知いたしました」


 ローグは調合し終えた薬を薬紙に包み、その間にエーリャは道具を壁に備え付けられている棚にしまう。


 そうして調理場を整えたローグたちは彼女たちが待っているであろう庭園へと向かった。


◇◇◇


 オリエンス家の庭園は用途に合わせて大きく3つに分けられる。


 客人を最初に迎えるために門扉から玄関までに作られたもの。

 客人はもちろん床に伏しがちなこの屋敷の主人の目を楽しませるためのもの。

 そして、庭園の花々を見ながらお茶や菓子を楽しむためにガボゼと呼ばれる簡易的な建物を持つものだ。


 ローグたちがティータイムの時に使うのはガボゼがある庭園。

 道具を片付け終えた彼らが向かう頃にはすでにその少女は椅子に腰を下ろしていた。

 彼女は歩み寄ってくる2人を見つけるやいなや表情を輝かせて手を振る。


「あ、ローグ!」


 ルミリの元気が有り余っている溌剌とした声にローグは少し申し訳なさそうにしながら答えた。


「申し訳ありません、ルミリ様。

 私をお待ちしていたようで」


「許すわ。さ、早く座りなさい」


 ルミリが言い示すころには椅子はエーリャによって引かれていた。

 それに会釈をしながら座ったローグはユラシルに切り出す。


「どうだった。今日の勉強は」


「自分でも理解できているのかいないのかよくわからなくて……」


 フィールエから勲章が授けられるまでこのオリエンス家でなにもせず、時間を浪費することをしたくなかった彼らはそれぞれのために時間を使うことにした。

 

 とはいえそこまで大仰なことはしておらず、ローグは薬の調合、ユラシルは薬草の勉強を行なっている程度だ。


「ははっ、まぁ気長にやり続ければ自ずとわかるようになる。

 俺がそうだった」


「は、はい。頑張ります……!」


「むー、2人してなんかずるい。

 ねぇ! ローグ、私にも教えて!」


 目を輝かせ身を乗り出すルミリ。

 ローグとしては教える相手が1人増える程度であれば特別に困ることでもないため頷いてもいい。

 だが、側でお茶を準備する彼女たちはそうではなかった。


「ダメです。ルミリ様には薬学よりも先に学んで頂かなければならないことがあります」


「そうですよ。

 最近はきちんと机に向かうようになりましたけど、それでも覚えることはまだまだありますから」


 小皿にタルトを乗せ、それぞれの前に置くエーリャと紅茶を注ぐアーミュの言葉にルミリは辟易した様子で肩を落とす。


「わかってる。わかってるけど……。

 マナーはともかく計算や言葉なんてわざわざ学ぶ必要はないじゃない。

 ね、そう思わない? ローグ」


 同意を求める声にローグは少し唸ると苦笑いを浮かべた。


「まぁ、ルミリ様のお言葉にも多少同意できるところはあります」


「ほら!」


 ルミリは「見たことか」とでも言わんばかりに鼻高々に胸を張ったが、彼の言葉そこで終わりではない。


「算術や言葉などは学ぶことこそ意味があるのです。

 存外、学ぶことを知らないというヒトは多いものです」


 わざわざ机に向かって勉強をしなくとも生きていけば自然と覚えることは多く、大体のことはそれで解決する。

 特にエルフは長寿であり200年ほどは生きられる存在。最低限必要な知識は自然と得られるだろう。


 しかし、それはあくまでも生きるためだけを考えればの話だ。


「生きるため、であればあまり必要ではありませんが、発展させることを考えると知識の積み重ねは必要不可欠です」


「発展させる、こと……」


「母の受け入りですから私自身あまり理解できていませんが、少なからずヒトの上に立つ者であれば……そうなる者だという自負がおありなら今は辛抱する時かと」


 ヒトの上に立つということは下の者たち、従える者たちを導くということだ。

 導く者が自分だけが生きる術しか知らないのであればその組織はそれ以上発展することはなく、何者かによって滅ぼされるか内部から崩壊するだろう。


 多くのヒトを救い導くためには知識が必要なのだ。

 そのきっかけとなるのが算術や言語を学ぶことである。


「それに知識はヒトとの繋がりを作れます。

 例えば……そう、算術が出来れば建物を作る建築士との会話ができる、かもしれません」


「建築士と話してどうなるの?」


「んー、知識がある。話が合うってことですか?」


 ローグの言わんとしていることを察したユラシルの問いに笑顔で首肯して答える。


「話が合えばその建築士と親しくなれる。

 そこからさらに建材を扱う者や運搬の商人、土地を管理している貴族とも繋がりができるかもしれない」


「……でも必ずそうなるってわけじゃないでしょ?」


「もちろんです。

 でも『こいつとはある程度までの話ができる』『こいつにならここまで教えてもいい』と、少なくとも建築士本人とはそうやって関係を築ける可能性があります。

 それは算術ができなければそもそも可能性すらありませんよ」


「それに親しくなればいろんな情報が得られるようになる。

 例えば貴族から今年は不作だという情報や商人からは物の流れが読み取れたり?」

 

 ユラシルの補足でもあり質問をローグは「そうだ」と答えるように頷いて紅茶を飲んだ。

 

「さっき例えに出した建築士だと雇われ方でどこが開発されてるかもわかるかもな」

 

 そう付け足して最後に微笑みながら話を締め括る。


「発展、といったものがどのようなことを指すのかを私は上手く想像できません。

 ですがヒトとの繋がりを作るためのものであれば少し学んでみようとは思えませんか?」


 ローグの語る言葉を全て理解できなかったルミリだったが、彼の柔らかくも真剣な面持ちから感じるものはあったのだろう。

 コクリと小さく頷いた。


「私もまだよくわからないことですし、ルミリ様もゆっくりその意味を知れば良いのです。

 そのためであれば私はいくらでも力を貸しますよ」


 ピクリとルミリの肩が動いたような気がした。

 かと思えばそわそわと体をわずかに捩らせながらローグをチラチラと見ている。


「そ、それは……その、なんでも?」


「んー、なんでもは流石に難しいですね。

 探索者(パイオニア)斥候(バーグラー)程度ができるものならば」


「う、うん。そう、なんだ」


 俯いたままのルミリを見て、ローグは冷や汗を浮かべた。


(まずい。慣れないことを偉そうに話し過ぎた……。

 つまらなかっただろうなぁ)


 自己嫌悪に陥るローグの耳に、小さな咳払いが届いた。 


 反射的に向いた先にいたエーリャが疑問を投げかける。


「なぜ、ルミリ様に今のお話をしたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「……なんとなく昔の俺みたいだって思ったんだよ」


「昔のローグ様、ですか」


「そう。昔はさ、父親に唐突に『お前に戦い方を叩き込む』って言われて外に連れ出されて色々やらされたんだ。

 なんでこんなことやってるんだって思ったよ」


 当時は自分が後にノーマのアディターを継ぐことはもちろん、ハルシュと共に探索者になることすら考えたことがなかった。


 そんなローグからしてみれば好きにできる時間がほとんどなくなる鍛錬に乗り気になれるわけがなかった。


「でもそれが変わったのは母親がさっきの話をしてくれたからだ」


 それまでは雑に「これをしろ」と言われてただけだった。

 だから「なぜこんなことを」というような反発心や反抗心が生まれていた。


 しかし、母の話を聞いてからは少し変わった。

 自ら率先して鍛錬をするようになったわけではないが、学ぶ意味を知ったため鍛錬に打ち込むようにはなった。


「ああ、なるほど。

 ルミリ様も学ぶ意味がわからなかいから勉強に打ち込むことができていないと考えたのですね」


「うん。意味がわからないものを続けるのって苦痛でしかないからな。そりゃ投げ出したくもなるさ。

 でも意味があるなら少し変わってくる」


 昔のことを思い出しているのかローグの顔には懐かしさやその当時の苦しさから苦笑いとも純粋な笑みとも取れる表情が浮かんでいた。


「あとはこの話を聞いてルミリ様がどう思って、何を感じるか。

 正直そこからは俺はどうすることもできない。だから──」


「ええ、私たちで全力でサポートいたしますよ」


「うん。俺はルミリ様について知らなさ過ぎるからな」


 言いながらタルトを一口サイズに切ると口に運ぶ。

 そしてそれが入る直前、ルミリがずいっと上半身を乗り立たせてローグへと迫る。


 突然の行動にポトリとタルトが皿に落ちる中でもルミリは真剣でありながらどこか迷いが見える目で問いかけた。


「私が勉強ができてもっと知識を付けたらローグはもっと色々話してくれる?」


「……わ、私程度の話であればいくらでもお付き合いしますが?」


「ううん。そういうじゃなくて、いえ、そういうのもいいのだけど……。

 とにかく色々話して、その……考えたりしてくれる?」


 真剣な眼差しで隠そうとしているがその奥には怯えが見えている。

 なぜ怯えるのか理由はよくわからなかったが、それを和らげるようにローグは微笑みながら首を縦に振った。


「よかった。なら、私少し勉強も頑張ってみる」


 安心したように上半身を引っ込め、椅子に座り直したルミリはフルーツのタルトを食べて満足そうな笑顔を浮かべた。

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