彼の居場所
大量のお湯が張られた湯船からゆらゆらと登る湯気。
それをぼーっと眺めながら昼間案内された屋敷を思い浮かべてローグは大きく息を吐いた。
「貴族の家っていうのはこうも色々大きくしなきゃいけないのか?」
彼が浸かる湯船は10人規模のサイズがあり、洗い場もそれに合わせてかなり広い作りだ。
贅沢だが、孤独を際立たせているようで落ち着かない。
屋敷の案内ついでに放り込まれた風呂場。
男女別で分かれていることを考えれば、女湯もこれぐらいの広さはあるのだろう。
「ユラシル……すごい困ってそう。
本当に使っていいか聞いてたりしてな」
その光景を思い浮かべて苦笑いを浮かべたローグの耳にエーリャの声。
「入浴中失礼いたします。
ローグ様、よろしければお体をお流ししますが」
「え、いや、いいよ。1人でできるし」
「承知いたしました。では失礼いたします」
言うと同時、エーリャは何食わぬ顔で風呂場に入ってきた。
「「……」」
白い薄布のような服を着たエーリャと湯船に浸かるローグ。
2人の間に生まれるのは湯気だけだ。
「……俺、いいよって言わなかったっけ?」
「ええ、『いいよ』とおっしゃられましたので入りました」
つまり彼女は不要という意味の言葉を許可と取ったのだ。
曖昧な言い方をしてしまったことにローグは謝ろうとしたが、すぐに気が付く。
「1人でできるって言わなかったか?」
「はて、なんのことでしょうか?」
最初の許可が聞こえているということはそれに続く言葉も聞こえているはずだ。
それでも入ってきた、ということは護衛と監視をここでも行わなければならないということ。
(正直、息が詰まる……機会を見つけたらせめて風呂は1人にさせてもらうように言ってみるか)
今回は入られてしまった手前、追い返すのは忍びない。
ローグは諦めて頷いた。
「背中、流してもらえるか?」
「失礼いたします」
湯船から上がったローグは椅子に座り、その背中をエーリャが洗い始めた。
「痒いところはありませんでしょうか」
「うん、ないよ。むしろ気持ちいい」
瞬間、いつだったか忘れた当たり前の日常だったそれが脳裏をよぎる。
『い、痛い!? 痛い痛い!! お前、削ってるだろそれ!』
『あっはっはっ! なんだぁ? 体の割に随分やわなこと言うじゃないか!』
その後に続いたシルトの大笑いを浮かべてローグも小さく笑った。
◇◇◇
「シルトなんて力任せで……ほんと、ちょっと痛かったんだ」
エーリャからローグの顔は見えない。
だが、彼の声と肩は僅かに震えていた。
彼女もユグドラシルの一件は知っている。
ユグドラシルの王、ダスラが現れて暴れ回ったこと。
それを彼がアディターの力を使って止めたということ。
そして、彼が所属していたパーティメンバーが全員死んだということも。
(数年来を共にしていたヒトたちを一度に失ってなんともないわけがない。
おそらくユラシル様がいらっしゃるから……)
本当ならローグには立ち止まる時間が必要だった。
だが彼は止まれない。止まってはならない。
もし止まってしまえば、自分が守れなかった存在の大きさと重さに押しつぶされる。
そうなった場合、ようやく守れたユラシルがどうなってしまうのかわかっているからだ。
だからローグは平静を装って今を過ごしている。
否、過ごせている。
「良い、お方でしたか?」
「ああ、背中を安心して任せられるいい男だったよ。酒飲み仲間だったしな」
そう語る声に震えはなく、その時の情景を思い出しているように感じられた。
エーリャは慰めの言葉を向けるような真似ができる立場ではない。
それができるほど彼らのことを知らない。
そのかわりに僅かな本心を込めた言葉を返す。
◇◇◇
「ふふっ、惜しいですね。
私もこの立場でなければ共にできたというのに」
「エーリャとは……ははっ、不思議と一緒に酒を飲むのが怖いな」
「おや、なぜでしょう」
「んー、なんか視線が怖いっていうか色々と狙われてるって気がする」
殺気はない。しかしなにかを探るような目を向けられている。
不快ではないがこそばゆさを感じる。
「……まぁ、気にし過ぎだな。ごめん。貶すつもりはないんだ忘れてくれ」
なんとなくの印象を本人に語るというのは失礼なことだ。
つい口が滑った自分を戒めながらも感じているものを忘れるため、笑い飛ばそうとしたローグ。
しかし、そんな時にか細い言葉を耳が拾った。
「──鋭いですね」
「え……?」
反射的に振り向いた視線の先にいるエーリャはにっこりと微笑んでいた。
まるで「さっきの言葉は気のせいだ」とでもいうように糸目をさらに細めた笑み。
「エーリャ……さん?」
「敬称は不要ですよ。それとそろそろ姿勢を戻していただけませんとお洗いできません」
「あ、はい」
わずかな恐怖が首をもたげるのを感じながらローグはエーリャに背中を向けた。
◇◇◇
脱衣所に上がったローグはエーリャから渡された服を見て問いかける。
「なぁ、俺の服はどこに?」
「勝手ながらお洗濯させていただいております。そのため、しばらくはこちらをお召しいただきたく」
善意から行った行動というのなら責めることはできない。
その服を見つめていたローグは少しの懸念を覚えながらもそれを着た。
紺を基調とした黄色の刺繍で精巧なレリーフが編み込まれた服は羽織がなくとも十分に高級感を醸している。
そんな服に身を包んだローグは姿鏡の前に立つ。
そこに映る自分を見ては表情を引き締め、しかしすぐに崩した。
「これ、俺が着られてないか?」
「いいえ。とてもお似合いですよ。
そのまま舞踏会に出られそうなほどに」
「ぅん? ……そうかなぁ」
たとえそれがお世辞だとしても褒められて悪い気はしない。
しかし、この儀礼的な服装は落ち着かない。
何より体全体を軽く締め付けられているような感覚が合わなかった。
それが表情に出ていたようでエーリャも苦笑を浮かべる。
「申し訳ありません。
急がせますが夜までは我慢していただくほか」
「いいよ、急がなくて。
落ち着かないけどここなら戦うことはなさそうだし」
エーリャたちの実力は計り知れない。
しかし、出で立ちだけでも並みの侵入者であれば問題すら起こらないだろうことはわかる。
「承知しました。では、屋敷のご案内を再開いたします」
言いながらエーリャが開いた扉の先にはユラシルとアーミュの姿があった。
ユラシルもローグ同様に服は洗われているのかローグと似た服に身を包んでいる。
薄い青を基調とし、白の刺繡が施された服。
スカートの長い丈は彼女を清楚に引き立てていた。
そんなユラシルは一瞬、目を見開き微笑んだ。
「とても、似合ってます」
まっすぐな言葉で顔に熱を感じたローグは視線をそらす。
「そ、そうか……ありがとう。ユラシルもよく似合ってる。
でもちょっと照れるな」
「いえ、本当に似合ってますから。……まるで本当の貴族みたいで」
はっきりとは聞こえなかった言葉。
しかし、なにかを思い詰めているように感じたローグは首を傾げた。
「ユラシル?」
「な、なんでもありません! 行きましょう、ローグさん」
「あ、ああ、分かった」
態度の急な変化に疑問を浮かべながらローグはユラシルの後に続いた。




