ユラシルの恩返し
2つのベッドと腰ほどの高さの棚だけがある寝るためだけの部屋。それがローグたちの借りた一室だった。
本来なら全員で大部屋を借りる予定だったが、メリスが世話になる武器屋のツテで2人部屋を借り、ユラシルも泊まることになった。
ローグは予定通り相部屋を取っているため、ここには2人だけだ。
「んふふっ」
ベッドに腰掛けたユラシルは横笛を大事そうに抱え、満面の笑みを浮かべていた。
何度目かもわからないにやけ声に、向かいのベッドで寝転がっていたメリスが微笑ましそうに声をかける。
「嬉しそうだな」
「っ!? は、はい。その、とても」
ユラシルは先ほどまでの自分を思い出し、顔を赤らめながらも喜びに顔を綻ばせる。
その手に握られている横笛の感覚を確かめるようにをギュッと握り締めながら口を開いた。
「違うのはわかってはいるんです。
でも、なんだかプレゼントをもらったみたいで、すごく嬉しくて」
「そう、か……」
メリスの声は優しかったが、顔には憂いがにじんでいる。
何かをためらっているようにも見えてユラシルは首を傾げた。
「あの、なにか?」
しばらく迷った末、メリスは意を決して口を開く。
「いや、ユラシルはそのまま探索者を続けるのか?」
「どういうことですか?」
「お前はずっとローグについて行ってるけど、そんな危険な稼ぎ方をしなくてもいいって話だ」
「でも、私はダンジョンにいて……」
「それだけだろ?
ダンジョンで記憶を失うほどの窮地に陥っていたんだ。辞めたって良いはずだ」
記憶がない以上、メリスの言う通りの体験をした可能性はある。
今は恐怖心がないのも忘れているだけだけかもしれない。
しかし、なんらかの拍子で思い出してしまえばどうなるかわからない。
フラッシュバックを起こして身を怯ませてしまうだけならまだいい。それがもしダンジョンの中で起こってしまえば、今度こそ命を落とすことになるだろう。
「でも、私にはたぶん探索者ぐらいでしか稼ぐことができませんし」
帰る場所はわからず、自分のこともわからないユラシルにとってはそれ以外の方法はない。
力少なげに笑うユラシルの顔にローグの顔が重なった。
(ユラシル、お前まで……)
口をキュッと結んだメリスはベッドから起き上がってはユラシルの正面に向かうと、その両肩をつかんで首を横に振る。
「そんなことはない。アタシのところで働けばいい」
「え? 私が、ですか?」
「そうだ。
親父は裏方に回ってそのまま引退する予定でさ。その後はアタシが店を継ぐことになってるんだ。その時にはユラシルに助手になってほしい」
突然の提案に呆気に取られたユラシルだったが、すぐにハッとして両手を振った。
「む、無理ですよ。私になんて……やったことありませんし」
「無理かどうかなんてやってみなきゃ分からない。やったことないならこれからやれば良い」
「で、でも」
「やれるって! ユラシルは可愛いし、物腰が柔らかくて人当たりも良い。看板娘ってやつになれるよ」
「か、看板娘って……そ、それならメリスさんだって。
その、鍛治師でかっこよくて──」
嘘偽りなく少し照れながらも本心で思ったことを返したユラシルの目の前でメリスの顔に影落ちた。
かと思えば苦笑いと共にユラシルから離れてベッドに腰かける。
「……アタシには無理だよ」
「何でですか?」
「この耳さ」
言いながら髪の間から見せたのは右耳。
左耳はエルフの特徴である先が長く尖った耳をしているが、その右耳はノーマのような丸い耳だった。
「アタシは母さんがノーマで親父がエルフ。つまりはハーフエルフなんだ。
外見の遺伝って本来ならどっちかの特徴だけが出るんだが、なぜか両方出ちまったんだよ」
メリスは右耳を指で軽く触れ、ポツリとつぶやいた。
「子どもの頃に『気味が悪い』って言われてさ。みんなどっかよそよそしくて、それからずっと右耳を隠すようになった。
だからアタシは無理なんだ」
「そんなことありません!」
今度はユラシルが声を上げる番だった。
予想していなかった強い否定の言葉に目をパチパチさせるメリスに彼女は変わらず強い口調で続ける。
「たかが耳の違いが何ですか! それでなにか言うならその人がおかしいんです!
メリスさんが気に病むことなんてありません」
思ったことをほぼそのまま口にしていたユラシルはようやくメリスが驚いているのに気が付いた。
急に少し恥ずかしくなり、しぼんだところでメリスは今までにないほど優しい笑みを浮かべる。
「ユラシルも、あいつと似たようなこと言うんだな」
「あいつ? それって……」
本当に嬉しそうで、どこか愛おしそうな笑みを浮かべながらメリスはユラシルに両手のひらを差し出す。
差し出された手は言ってしまえば職人の手であった。
手のひらにはタコがあり、見るからにゴツゴツとした少し歪になっている手。皮膚も何度か破れたような少し痛々しさを感じさせる痕が所々に残っている。
「女の手、らしくないだろ?」
鍛治師の道を選んだことに後悔はない。自分で選んだからだ。
仕事に誇りもあり、やりがいも感じている。だから褒められれば素直に喜ぶ。
それでも時折、考えてしまう。
「こんな手の女なんて……ってな」
メリスはその手を優しく揉み解すように握りながらそれを思い出しながら続けた。
「でも、3ヶ月ぐらい前にひょっこり現れたあいつはこの手を一目見て『綺麗で良い手だ』って最初に言ったんだよ。
この耳もな『オシャレのしがいがあるじゃないか』なんて言ったんだ」
語るメリスの顔はまさしく乙女と呼ぶにふさわしいほどの可憐さと儚さが入り混じっている。
そんな顔を見たユラシルは彼女がローグへと向ける感情が信頼ではなく恋情なのだと理解できた。
「メリスさんはローグが好きなんですね」
「ああ、好きだ。
この手を褒められた時な。その感想が本心から出たものだっていうのがなんとなくわかってさ。作った武器やらを褒められた時と同じぐらい嬉しかった。
ははっ、少し褒められたぐらいでこんな気持ちになるなんて思わなかったなぁ」
隠すことも恥ずかしがることもなく堂々とはっきりとメリスは答えたが、次の瞬間にはその表情から力が抜けた。
「その手始めっていうか、きっかけ作りでさ。
少し前にアタシの店で住み込みで手伝いをしてほしいって話をローグにもしたんだよ」
その答えは聞くまでもない。
ローグが未だに1人でダンジョンに入り、生活している辺りから彼は断ったのだろう。
そして、そう答えた理由を今のユラシルは知っていた。
(ローグさんは、帰る場所を探している。でも同時に一度捨てたことをずっと後悔している。
だから居場所を作ろうとしていない……でも)
無意識に横笛を握りしめていた手を見つめる。
『どっかに行くアイツを繋ぎ止める場所がいるんだよ』
アグドームに言われた言葉が脳をチラついた。
(私なら、できるのかな。
せめてローグさんの手を掴むことが……メリスさんがいる場所を帰る場所にすることが)
今は掴むことすらもまともにできない。
そもそも背中すら見えない者に追いついて、手を握って、引っ張ることなどできるのだろうか。
できないかもしれない。難しいかもしれない。
(けど、それは今の話、明日なら、その次の日なら……)
小さな手を握り締め、決意したユラシルは顔を上げて宣言するように口を開いた。
「私、ローグさんについて行きます。
ついて行って、追いついて、守りきってメリスさんのところを帰る場所にさせます」
急な言葉にメリスは面食らっていたがユラシルが放った言葉の意味を理解すると顔を真っ赤にさせて手と首を振った。
「い、いやいや! 待て待て!
わ、私はその、すごく嬉しいけど……なんかこそばゆいな」
しかし、その表情や声音からは拒否の色はない。
それを感じ取ったユラシルは張った胸に拳を当てて言った。
「私、頑張ります!
メリスさんにもローグさんにもお世話になりっぱなしだったんです。これが私の恩返しです」
なぜそこまで言えるのか、メリスにはわからない。
だが恩返しというのならば素直に受け取るべきだろう。彼女は微笑んだ。
「決めるのはローグ自身だ。だからまぁ、強要するようなことはしないでほしい。
でも、そうだな。うん、ローグの側にいて守ってやってくれ」
そう言ってユラシルを励ますようにメリスはその頭を優しく撫でた。




