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翌日。幸成は朝早く学校へ来ていた。
いつもの様に職員室へ化学準備室の鍵を借りに行く。
「お、一条。今日は早いんだな」
唯一、探偵事務所の存在を知っている化学教師の野村が出迎える。
「先生こそ珍しいですね」
「そろそろ新学期が始まるからな。俺も行くよ」
探偵事務所を設立するにあたって、場所は大事だ。狭さも、密やかな感じもうってつけなのが化学準備室だった。
それにこの化学教師の野村は少し変わっているというか、幸成は同じ何かを感じており、この先生なら協力してくれるという自信があった。それは当たりだったという事だ。
「面白そうだな」の一言で幸成の提案に乗った野村は、快く化学準備室を使わせていた。
野村が鍵を開け、2人で入室する。
「あ、お前ビーカー使ったな。
やめろよ、学校の備品だぞ」
「コップがない事にここに来てから気づきまして。
今度から気をつけます」
「…全くそう思ってなさそうだけど?」
克也はまだ来ていなかった。というより克也はただの暇つぶしの為だけに来ているので、特に気にしない。
「初めて依頼が来たんだろ?どうだ、成果は」
「依頼人の方が明後日引っ越すんです。
今日が最終日だったんですが、どうやら間に合わなさそうで」
それでも何か出来ることはないかと朝早くに学校に来ていた。
今日も晴は来ると言っていたので、それまでに何とか手がかりはないか探していた。
正直、もう下級生の筆跡鑑定は意味がないだろう。
どうやったって結局は素人だし、同級生にいなかった時点で途方にくれていた。
もはやこの学校ではないのでは?とか、もしや教師が送ったのか?とか、妙な事を考え始めてしまう。
ふと野村の方へ目を移すと、何やらプリントを整理していた。
何気なくそれをぼーっと見つめていた幸成だが、見覚えのある字を見つけて、一気に血が逆流した。
椅子が倒れるほど勢い良く立ち上がり、そのプリントを手にとって凝視する。
「お、おい…どうしたんだ一条」
「先生…これって」
「ああ、昔の生徒達に書かせたレポートだよ。
お前達がここを使う様になったから、広くしてやろうと思って少しずつ整理してんだよ」
「昔の…?」
確かに、紙が少し茶色く古ぼけた感じになっている。
しかし、この紙に対して詰めた書き方といい、筆圧が濃くて全体的に縦に細長い感じといい、何度も見たあの字と一緒だ。何故あの手紙と全く同じ筆跡のものがここにあるのか。
「矢野 拓也…?」
名前を見ても全くピンとこない。
とにかく今事実としてあるのは、昔の卒業生の字と、晴に送られたラブレターの筆跡が同じという事のみ。
「…先生、この人いつ卒業したかって分かります?」
「ん?矢野か…んー確か5年前だったかな」
「5年前…」
「多分もう大学生とかじゃないか?どうした、急に」
その瞬間、一条はハッとした。
慌ててそのプリントがあった山を掻き分け、とある名前を探す。
一条の考えが正しければ必ずある筈だった。そして
「…あった」
晴にラブレターを送った相手が分かってしまった。
と同時に、一条はまた新たな問題に直面したのであった。
「こんにちは…あれ?」
昼過ぎ。少し遅くなってしまった晴は慌てて化学準備室に行ったが、誰もいなかった。
きょろきょろと辺りを見回すと、机の上に紙が置かれている事に気付く。
“あなたに手紙を送った人が分かりました。
例の校舎裏の桜の木の所で待っています”
晴の心臓が一気にバクバクと音をたてた。
震える手と足を抑えながら、指定された場所へと向かう。
桜は丁度蕾が膨らみ始めた頃だった。
あと数日経てば満開になるだろう。晴はそれを見る事は出来ないけれど。
「風間さん、こっち」
幸成が桜の木の影から現れ、晴を手招いた。
しかし、晴はそこから動かない。逆に幸成が晴に近付いた時だった。
「ごめんなさい…!!」
晴がそう言って深々と謝った。その瞬間、幸成は確信したのだった。
「やっぱり君だったんだね」
幸成がそう呟くと、晴がぴくりと反応する。
「…どうして、分かったの?」
幸成はゆっくりと喋り始める。
「本当に偶然だった。君のお姉さんの彼氏さんが書いたレポートを見つけたんだ。見覚えのある字面で驚いたよ。
お姉さんと彼氏さん、ずっと付き合ってるって聞いてたけど、中学生の頃からだったんだね。矢野拓也さん。そして君のお姉さんの名前は風間涼子さん。同じプリントの山の中にあった」
「はは…すごいね」と晴が悲しげに笑う。
「君はお姉さんの彼氏さんに頼んでこの手紙を書いてもらった。何でも相談出来る間柄なんだもんね。
そしてその手紙を持って、俺の所に依頼した。
どうりで見つからない筈だよ。今のこの学校にはいないんだから」
晴は俯いていた。ただただ幸成の話に耳を傾けている。
「そこまで分かって、どうして君がこんな事をしたのかが分からなかった。君が来るまでの間にずっとここで考えてた。そして一つの答えしか辿り着けなかった。
もしかしてだけど、君は俺の事を──」
「待って。そこからは、私が話すから」
晴はしっかりと前を向いて幸成を見据えていた。
覚悟を決めた様な瞳だった。
「多分一条くんは覚えていないと思うんだけど、一年生の時に筆箱を落とした私に、一条くんが走って追いかけて渡してくれたの。
たったそれだけでと言われてしまうかもしれないけれど、私はその時の事が忘れられなくて」
記憶力のいい幸成でも、さすがに覚えていなかった。
さり気ない行動で起こした事が、こんな大きな事になるなんて、と不思議に思う。
「でも私には取り柄も度胸もない。
2年生になっても同じクラスになれなくて、ずっと遠くからあなたを見てたの。ごめん…気持ち悪くて」
「そんな事ないよ」
幸成がそう言った途端、晴の目から涙が溢れた。
「3年生になったら…同じクラスになれるかなって…思ってた。
でもっ…引っ越す事が決まって…。
あなたは私の事なんか全く知らないと思ってたから、告白する勇気が出なくて、でも何か思い出が欲しくて…そんな時に、あなたが探偵事務所みたいなのを始めたって聞いたの。だからお姉ちゃんに相談して…」
晴を妹の様に想ってくれているという姉の恋人も快く協力したのだろう。
もしあのレポートを見なければ、きっと幸成は気付かなかった。
「嘘をついて申し訳なかった…あなたも、咲村くんも、たくさんの大変な作業を嫌な顔一つせずしてくれた。
それに本当は私の名前を知っててくれたり、たくさん話が出来たり、本当に嬉しかったし、楽しかった。
一条くん…もっとあなたの事が好きになりました。
嘘をついて…本当にごめんなさい」
晴が深く長く頭を下げた。
幸成がゆっくり近付く。そして
「こんなに健気に想われて嬉しくない男はいないよ。
もう、謝らないで欲しい」
幸成は晴を優しく抱きしめていた。
「…確かに、君は嘘をついた。でも、君の事を何も知らないままどこかへ行っていたらと思うと、恐ろしいよ」
「い、一条くん…」
「勇気を出したってそういう意味だったんだね、ありがとう」
晴の瞳からたくさんの涙が溢れる。
幸成は、晴が持つ暖かさを感じながら、自分達がまだ何も出来ない年齢である事にもどかしさを感じていた。
まだ親の保護下でしか生きられないし、それが恵まれた事だとも分かっている。けれど、こうやってもどかしさを感じる度に、幸成は早く大人になりたいと願わずにはいられない。
「今年の桜は一緒に見られないけど、いつか絶対一緒に見よう」
「うん…うん…」
探偵になりたい夢と更にもう一つ、幸成の叶えたい夢が増えた。
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「お前こんな所にいていいのかよ。あとどれくらいで着くんだ?」
「夕方だって。まだ昼だし、大丈夫だよ」
今日は待ちに待った日だというのに、克也の家でのんびりしている幸成に思わず問う。
恐らく自宅にいたらそわそわして叶わないからここに来たのだろうと思いながら、克也は再び漫画に目を戻す。
「何年ぶりだっけ?」
「4年、かな。まあ晴ちゃんがスマホ買ってもらってからはしょっちゅうビデオ通話してたし、そんなに久しぶりって感じではないけど」
「何格好つけてんだ、嬉しいくせに」
そう言って克也がチョップすると、幸成は頬を赤くさせながら「うるさいなー…」と呟く。
「二人の休みが合ったの、丁度満開の時で良かったな」
「うん」
そう言いながら、幸成は窓を見る。
ピンク色の花びらが、ひらりと舞っていた。
fin.
読んで頂きありがとうございました。
”春の推理2022”という素敵な企画に参加してみたく、ちょっと背伸びしてみました。
運営様、こんな楽しい企画をありがとうございました。