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遠く聞こえるその声は  作者: 五月伊織
イスターシャ
4/20

イスターシャ・4

 ストラル大陸北西部、沿岸にある町の名をエステラと言う。

 エステラは他の大陸を結ぶ交易町であり、同時に大陸の内外へ出入りする冒険者で賑わう、いわゆる冒険者の町の一つだった。


 冒険者は己の剣や魔法などの能力を生かし、自由を愛し自由のために動く者たちだ。

 時に依頼され魔物と呼ばれる害獣を駆除し、或いは暇つぶしに町人の頼みごとを聞いてやったりする、そんな人種だ。

 身寄りのないシュウを引き取り、親の代わりを務めたユリス・アニエスの経営する食堂兼宿も、そのほとんどは一般人ではなく彼ら冒険者を対象とする。

 他所から海路でやってきた彼らがその身を休め、別の地へ渡る一時の休息を提供するのだ。

 ユリスは、腰を悪くした父に代わり店を引き継いだのだという。


 基本的に異世界からの来訪者であるイスターシャは手厚く保護される。衣食住以外にも言葉の習得や望めば仕事の斡旋も、教会あるいは魔法使い組合と呼ばれる組織によって行われる。

 イスターシャの身元引受人となる人物には、イスターシャに不自由させないために、生活保障金が支払われる。そうまでする理由はただひとつ、イスターシャの持つ知識や技術を提供してもらうためだった。

 最初にその点を説明されたため、シュウはユリスの希望もあって彼の元で暮らすことを了承した。

 今年で四十五になるというユリスは、金髪に明るい緑の瞳の男であり年齢よりも若く見える。

 シュウと出会ったのが三十三の頃だったが、記憶に残る彼自身の父親に比べれば腹も出ていないし動きもきびきびとしていた。


 星の祝福亭と剥げかけた文字が刻まれた宿と食堂を示す看板の下をくぐり抜け、同じく古びた扉を押し明けた。カランカランと鳴るベルの音が店内に響く。

「帰りました」

 叫べば奥の厨房からおかえりと言葉がかえってくる。夕食時よりわずかに早いが、屋内はおいしそうなシチューの香りに包まれていた。

「戻ったよ、店あけて悪かったな」

 遅れて店内に入り込んだユリスは、嬉しそうに緑の瞳を細める。

(おばさまのシチュー大好きなんだよなぁ)

 子供のように喜びを隠さない養い親に、シュウは苦笑しながら歩みを進めた。


 食堂にあたる店内にはカウンター席が四つ、四人席が二つ、二人掛けの席が四つ用意されている。隅には椅子が余分に置いてあり、足りなければ各自がそれを勝手に利用することになっている。

 店内には混雑を避けたのか一般人らしき男が二人カウンター席でエールをひっかけていた。残りの席は空席だったが、そろそろ埋まり始めるだろうと予想できる。

「じゃ、僕用意してくるよ」

 上着のボタンを緩めながらユリスに伝えると、さっさと一階の奥にある自室へ戻る。

 十二年前に宛てがわれた部屋はいつもユリスの母親によって綺麗に掃除されていた。

 部屋自体は小さなものだったが、シュウには十分過ぎる広さだった。室内の半分をベッドが占めていて、窓際に小さな机と椅子、壁際にクローゼットと小さな本棚が設置されている。

 クローゼットの中には、この世界へ落ちてきた時に身につけていた衣服やランドセルが、本棚には教科書の類や歌子のノートがしまわれている。

 それを横目にシュウは丁寧に整えられたベッドの上に無造作に上着を放り出し、壁に掛けたエプロンを手にする。その隣にかかっている鏡の前で手早く身につける。


 鏡に写るのは太り過ぎず痩せすぎず、けれど筋肉はあまりなさそうな、そんな体型の若者だ。

 肌は周囲の者と比べればやや黄色っぽく、不健康ではないほどにやけている。ややたれめがちな黒瞳に、同じ漆黒の髪。手は水仕事を行うため少し荒れ気味で。

 家で皿洗いを手伝ったりした時と同じような格好をした、成長したシュウが写っていた。

「むかしはこうやって手伝ってたんだよな」

 祖父に作ってもらった木製の台に乗って、一生懸命皿洗いをしたことを思い出し、シュウはくすりと笑いをこぼした。鏡を見ながら少し伸びてきた黒髪を後ろでひとつにまとめると上からバンダナを巻きつける。

「十二年か……」

 笑みを消すと長かったと、小さくつぶやいた。


 この場所に来たときはまだ八歳の頃だった。あの時より身長も随分伸びたし声だって変わっている。元の世界へ戻ったとしても、シュウが修司だとすぐに気づくものはいないだろう。

 日本とシルエスト・アーレイアが同じ時間の流れかまではシュウは知らない。基準にできるものがなかったのだ。とっくの昔にシュウの両親は彼を死んだものとして扱っているに違いなかった。

(だから諦めたんだよな、戻るのを)

 最初の頃は名を問われる度に『山本修司』だと名乗っていたが、この数年はシュウと呼ばれても気にならなくなっていた。山本修司という日本人ではなく、シュウという異世界からの迷い人であることを、シュウ自身が受け入れはじめていたのだ。

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