イスターシャ・3
"ともだちにだってあいたいし、先生にだってあいたい。
だけどかえるほうほうがわからないんだ。
もう12年もまったけど、かえれないんだとおもう。
だからぼくは、このせかいでいきていくことにします。
ユリスがうちの子になればいい! ってよくいっていたから、そうなるとおもいます。
ずっとかえることばかりかんがえていたけど、それも今日でおしまい。
山本修司って名前をわすれるわけじゃないけど。"
そこまで書き上げると、インクをこぼさぬように気を付けてペンをしまう。
時計をみればあれから二刻もたっていない。紙束はすでに文字で埋め尽くされている。
「行くか」
霞んだ目元を手の甲で擦ると、わざとらしく口にして紙束と荷物を手にした。
受付に姿を現した修司を見て、女性は悲しそうに笑ってそれを受け取った。
「確かにお預かり致しました。表紙とその次のページは今後この施設に展示されます。貴方の死後、指定された遺品と共にこちらに保管されることでしょう。いつか、貴方の世界からやってきた旅人に、引き取ってもらえるまで」
大切に大切に展示されるという紙以外は淡桃の布でくるまれ、鍵付きの保管箱に入れられた。
施錠を確認すると女性は箱の上で指先を踊らせ、不思議な文字を記していった。
それは対象の劣化を防止する魔法で、かけられた時の姿を保ち続けるのだと、修司は説明された。
「それでは、貴方のこの世界での新たなお名前をお聞きしましょう」
女性の言葉に修司は舌で唇を湿らせた。伏せがちにしていた漆黒の双眸を女性へと向けると、
「ヤマモトシュウジ、この名前を今日をもって捨てる。今日から僕の名前は、シュウ・アニエス=イスターシャ。異世界からの、ニホンからの迷い人だ」
「確かに」
女性は修司――シュウに向けて笑って言うと、そっと手のひらを伸ばし背後を示す。
「シュウ様。どうかこの世界で生きる貴方の生が、太陽のように光に満ち、歩む道程が廻る星月と数多の精霊により祝福されますように」
祈りの言葉にありがとうと短く口にすると、シュウはその先へ歩んだ。
逆光の中、十二年間修司を養ってくれた養父は悲しそうに笑い、彼を待っていた。
その大きな手のひらを伸ばし、せっかく整えた黒髪をがしがしとかき回す。
「終わったのか?」
「ちょっとユリス! くしゃくしゃになるじゃないか。……全部書いてきたよ」
手のひらから逃げると髪をなでつけて、すっきりしたよと付け加える。出迎えてくれた養父――ユリスは明るい緑の瞳を和ませると、そうかと笑った。
「ここに来るのも十二年ぶり、か…」
それからどこか遠くをみるような、そんな眼差しで施設内を見回したのだった。
「僕の記録はウタコさんの隣に飾ってもらえるんだってさ」
ユリスは施設のことを知っていたから、シュウはそれだけを説明した。
シュウの書いた紙束のうち、表書きにあたる部分が施設内の一室に貼り出される。そこにはかつて日本から迷い込んだ吉田歌子という女性の記録も展示されていた。
「将来的に僕の遺品とか残したいものも保管してくれるんだって。両隣に並んでたら、確かに見つけやすいと思うけど」
展示室がある部屋の方角を見やると、シュウはため息をついた。
かつてシュウもその部屋で歌子の記録を目にした。
自分の置かれた状況やこの場所がどういう所なのか。それらがわかりやすい日本語で説明されており、シュウはそれにより自身の置かれた現状を知ったのだ。
そして残された歌子の遺品を一旦預った。
その中でも彼女の残したノートは、シュウがこの世界の言葉を覚えるのに大いに役立ったのだ。
シュウの記録もまたいつかの来訪者の役に立つはずだった。
「それじゃ帰ろうか。宿、放っておいたらおばさまに怒られる」
くすくすと笑って、シュウは養い親の手を取り、先導するように歩き始め施設の外にでる。
一度だけ振り返った施設は、かつて訪れた時と同じように赤茶色の煉瓦造りで、日光をその窓に反射させていた。




