―角の章― 第十三話 王国の敵
前半王家視点ですね。分かりづらくてごめんなさい。
夜のシンクレイリア。
首都シンクレイリアの中心市街地は、夜こそ光が強い。大陸中から民の集まるこの大都市では、昼には昼の、夜には夜の様態があるのだ。王国が共生を進める人外種の中には、夜行性の民も居るため、首都は夜であっても活気づく。例えば商売。昼の商売は夜の就労者を顧客に、夜の商売は昼の就労者を顧客に。というように、昼の者と夜の者が需要と供給を昼夜で反転させるため、中心市街地は眠る暇がない。
そんな活気の絶えない街の中にある街。周壁により他から画された城塞。シンクレイリア王宮である。
王宮内は王国府とも呼ばれ、そこには国庁や国営施設が集中している。その中で、主に国政を執り仕切る議決機関となっているのが宰相府である。そこでは今、臨時立法評議会が開かれている。昼に開会された会議は、日が落ちても尚続いていた。
「兄上、いい加減になされよ!」
「ここでは議長と呼べ、クリスティアン王子。」
突如開かれた会議。議題は国防に関する制度の改正。
「そもそも、父上の不在時に改法に着手するなど大逆ではあるまいか!」
「口は慎め。私への授権は王が決めた事。」
声を上げているのは、アスターティ王国第二王子クリスティアン。彼は、巨大な半円卓の右端の席から、議長席へと諫言を飛ばしていた。
「父上は間もなく帰還される。それを待てぬ道理など無い筈。何故この時期に臨時会議が必要なのです。その得心無く議案だけ突き付けられても、議論出来よう筈もない。」
「何度も言わせるな。必要だからと言っておろう。」
「兄上!」
議長席に座るはアルバルト皇太子。彼はひどく疲れている様子で、自身の茶色く長い髪を片手で梳きながら、弟の叱責をのらりくらりと躱していた。
「我が国の軍備は、今を以て他国を圧倒しております。徴兵制も駐屯地の拡大も、必要とは到底思えませんぞ。無用な軋轢を生むだけだ。」
「内憂外患はそこに示した通りだ。そなたも目を通したであろうが。」
「こんなもの、現行で十二分に対応できると皆申したでしょう!。」
クリスティアンの左側には、宮中伯達がずらりと鎮座している。誰もが憔悴を示す表情をしていた。
「私は卿方の目算は甘いと申しておるのだ。我が案の熟慮を求める。」
「だからもう何度も思索した上で皆否定しているのです!いつまで続けるおつもりだ!」
アルバルトは王よりの授権を主張し、半ば強引に評議会を押し開いた。アスターティ王国では、王が政を行う際は宰相府にある“諸政殿”へと赴き、己を議長に据えた評議会を開く。そして、国家の運営を担う各部署の長である、23人の宮中伯達と共に国政会議を行う。宰相府と銘打ってはいるものの、実質的に王の政務の補佐は、才物殿に身を置く智者達が担っており、宰相という役職は明確には存在しない。王に任命される23人の宮中伯が最もそれに近い存在だろう。
ただ、アスターティはやや独特な体制を採っており、宮中伯の任命は王がするものの、その23人の選定自体は領地を有する諸侯達が行う。その為この23人は、各諸侯達の意図を孕む者達となっていた。広いアスターティ王国の地方を治める貴族達は、こうして中央集権の腐敗化を防ごうとしている。建国より、様々な政治体制の変遷を辿ってきたアスターティだが、現体制は最も長く続いていた。
「アルバルト様。」
「ホセ卿。」
「延会と致しませぬか?アルバルト様は酷くお疲れのご様子です。」
会議を引き延ばしてきたアルバルト自身が、最も憔悴しているように見えた。椅子の手すりに片肘を尽き、こぶしを顎に当て、頭をゆらゆらとさせながらも会議を押し進めていたのだ。
「後日、アルバルト様が万全の際に再び…。」
アルバルトは伏し目がちだった目をホセへと向ける。そこには明らかなクマが見て取れた。
「ホセ卿、私は国を憂いている。西側の連邦化。有角人どもの組織的暴力。先日の有鱗人集落の謎の壊滅。私は不安を隠せない。果たしてこのままでよいのか?我が国は本当にあらゆる脅威を退ける力を有しているのか?ここ50年、この市井まで有事が及んだことは無い。隣接地に常に晒されてきたオルランド家は、王家など羊質虎皮と嘲笑っているやも知れぬ。今一度、軍備を見直すべきだ。」
「兄上!貴男は首長代理の重責に精神を消耗しておられる。いつまでそのような姿を曝す気だ。次期国王であろう!」
「であるからだ。クリスティアン、私はアスターティの安寧の守護者たらねばならぬ。」
「もうよい兄上。副議長として閉会を宣言する。」
その言葉に宮中伯達はおもむろに立ち上がり、一斉にアルバルトへと目礼した。
「クリスっ!そなた何を勝手な…!」
「黙れ兄上!!各々方、ご苦労であった。今宵は休まれよ。」
半円卓の左端の者から順に諸政殿を後にする。クリスティアンの隣に居た数名は、アルバルトへ一声かけてからそこを後にした。
「くっ。伴食宰相どもめ…。」
「ッ、何たる言か、兄上!!」
諸政殿に残ったアルバルトとクリスティアンの兄弟。ぼそりと兄の口から出た罵詈に、弟は声を荒げて咎める。
「彼等は忙しい中、臨時招集に応じたのですぞ!その上このような時間まで拘束して於きながら…!」
とっくに日は沈んでいる。結果的に今回の会議は、無意味に彼らの時間を奪っただけだった。
「兄上よ、いくらなんでもおかしすぎるぞ。何なのだ今日の為体は。」
アルバルトが議長案として挙げた主な二つの案。現行の寡兵制から徴兵制への移行。そして、オルランディアとオルセニアに於ける、王国正規陸軍駐屯地の拡大。
「有事でもないのに徴兵など、民には不満しか生まれぬ。駐屯地も諸侯を無視しての拡大など出来ぬ。兄上とて解っている事でしょう?」
「有事になってからでは遅いであろうがっ!!」
「あ、兄上…。」
クリスティアンも兄の心労には気付いていたが、今のアルバルトはやや常軌を逸しているように見えた。その理由はクリスティアンにも思い当たるものがある。だが、ここまで兄を狂わせる程の理由とは考えていなかった。
「兄上、やはり七日前の事か…?」
「ッ!」
アルバルトは弟を睨みつける。
「どこまで…聞いておる。」
「かの森の民の遺体を焼いたと。」
「………そうか。」
「何故隠す必要が?私は兄上の信を得ていないのか?」
「無暗に広められるものではあるまい。」
「では才物殿へとよく足を運ぶ理由は?」
「そなたの知るところでは無い。」
「ッ。ではローディネルオーダーを動かしている理由は!?近衛師団の事なれば私にも権限がある!」
「……。」
「有鱗人の件だってそうだ!あれを報せたのはエミユ。何故ローディネルオーダーが!?」
「……。」
「兄上!何をしようとしている!兄上の従騎士達に何をやらせているのだ!!」
「…クリス、今日はもう遅い。日を改めよう。」
「兄上っ!!」
アルバルトは立ち上がり、ふらふらと諸政殿を後にしようとする。
「兄上!ゼスはどうしたのだ!あの者が兄上の傍に居ない事など有り得ぬだろう!?」
ピタ。と、足を止めるアルバルト。そして振り向かぬまま小さく答えた。
「…奴とて身を病む。休養を与えた。」
そしてゆっくりと去って行った。残されたクリスティアンは静かにそれを見送った後、半円卓の上に腰を掛けた。
「やれやれ。兄上の事は買い被っていたやもな。」
そう言いながら頭を掻く。すると、アルバルトと入れ替わるように、大きな人影が諸政殿へと歩み入る。
「クリス様、時間がかかったな。」
それは白虎。白い虎頭の獣人。
「全くだよヘイスス。しかもそれは兄上の痴態を曝す事に費やされてた。」
クリスティアンは呆れ顔を隠そうともせずに、ヘイススと呼んだ虎の獣人に言葉を返す。
「アル様は、思ったよりプレッシャーに弱かったのだな。」
ヘイススはため息をつく。この虎頭の男は王室近衛騎士の一人。主に第二王子の従士としての役割を担っている。
王室近衛騎士及び、近衛師団の最大の任務は王の護衛。何に代えてもまず王の存命が最優先事項である。だがシンクレイル王家の存続も、それに負けず劣らずの重要事項。そのため、王位継承権の上位者には、王ほどでは無くとも、複数のローディネルオーダーとそれに連なる師団兵があてがわれている。例えば、アルバルトならばゼスとその配下が、専従騎士と従士隊の筆頭であり、クリスティアンにとってはこの白い虎の獣人が、筆頭専従騎士なのだ。
「ま、兄上がここにへばり付いてくれてたおかげで、ヘイススも動き易かったろ?何か出たか?」
「ふぅ…。まったく、慣れない事をさせられた。本来ワシは荒事の方が得意なんだがな。」
「それだけでローディネルオーダーにはなれやしない。何か判ったんだろ?焦らさずに教えてくれ。」
クリスティアンは、ここ数日のアルバルトの様子を怪訝に思い、己の従騎士に探りを入れさせていた。
「まあ、いくつか判ったがな。クリス様、このような事はこれっきりにして貰いたい。我々ローディネルオーダーの間にも、暗黙の領域がある。次期王であるアル様は、いずれ我々の盟主になる方。面には出さぬが、クリス様よりも重要度を高く認識しなければならんのだ。」
「面に出てるんだけどヘイスス…。ま、まあそれは私も解ってる。今回は緊急的な処置だ。あの冷静沈着な兄上が、あれほどの焦燥を見せてるんだから、きっとただ事じゃない。いいから早く聴かせてくれ。」
専従騎士といえど、近衛師団に属する以上は王が最高司令官。クリスティアンの命よりも、王の命が優先される。とは言え、彼にも近衛師団における大隊長級の権限は与えられていた。
「では話すが、少々長くなるぞ…。」
「そうか。ならお前も座ると良い。」
そう言って椅子を勧めるが、ヘイススには小さすぎた。
「それじゃこっちに。」
「議卓へか?さすがにそれは…。ワシはこのままでいい。」
「そう?」
クリスティアン自身は卓上に腰を掛けたまま。降りる気は無ないようで、そのまま話しを始めた。
「で?兄上の一派は何をやってるんだ?」
「ああ、捜索だ。『終わりの森』のエルフの。」
「は?…だが死んでたんだろ?」
「いや、7日前の話では無く。どうも一昨日、再び銀髪のエルフがこの国に現れたらしい。」
「それは…また…。…んー、幻の民がこうも立て続けに現れたともなれば、兄上もさすがに堪えるか…。」
それは間違いなく何かを予感させるだろう。悪い方向の何かを。
「兄上は『終わりの森』が、この国に攻め込んでくると考えてるんだな。だから軍備の強化を訴えたのか…。しかし、それは早計にもほどがあるんじゃないか?」
『終わりの森』の民がこの国で目撃されたからといって、即座に戦争を想定するのはいくらなんでも短絡的すぎる、とクリスティアンは感じた。
「ああ。要するにアル様には、かの者達がアスターティへと攻め入る理由に、思い当たるものがあるんだろう。」
「それは?」
「さあな。」
「…話、長くなるのではなかったか…?」
「ああ。まだ2つほど話が残ってるぞ。まずは才物殿の件だ。」
王家が独自に集めた賢者や有識者が務める才物殿。アルバルトがここのところ頻繁に訪れている場所だ。
「アル様はあそこに何かの解析を命じたようだ。だが箝口令が布かれていて、詳しく訊き出せるのは陛下ぐらいだろうな。」
「つまり、情報は得られなかったのか?」
「いや、判ったこともある。その何かが才物殿へと持ち込まれたのは、銀髪のエルフの躯を処理した日だ。」
「おいおい、それで決まりであろう。」
銀髪のエルフが所有していた何かを兄は調べさせている、とクリスティアンは速断する。状況を考えれば、才物殿にあるその何かが、アルバルトの焦燥の原因とみて間違いないと思われた。クリスティアンは一つため息をつき、兄と同じ茶色で兄と違って短く刈られた髪を撫で付けた。
「はぁ…。兄はそれが『終わりの森』との戦争に繋がると考えているんだな。その様なものを独断で隠ぺいとは、何を考えているのやら、だ。王家と師団の力を駆使して当たるべき事態だろうに…。」
「陛下の不在時に混乱を招くまいとしての判断ではないか?己の力で収めてこそ王の器と気負っているのかもな。」
「それこそ愚かだ。大体すでに混乱は招いている。」
ここ数日のアルバルトの動静は、彼の評価を著しく下げている。先の会議でも、宮中伯達の不信をあおるだけの結果に終わった。次期国王に異論を持つ者も、すでに居るかも知れない。
「この際兄の事は置いておいてしまおう。問題は今捜索しているもう一人のエルフ。その者の目的はやはり、兄上が隠ぺいしているその何かだろうか?」
「んー、状況的にはそれを示すが、確証は無いな。」
「ヘイススはその者が現れたのは一昨日と言っていたな。未だ見つからないとなると、内偵はもはや限界ではないのか?大々的に捜索すべきだ。」
「そろそろ、フェイエット騎士長に話が行っているころだ。少なくとも明朝には師団を挙げて捜索することになるだろう。」
「なに?」
王室近衛騎士長フェイエット・バロウズ。ローディネルオーダーを総括し、師団の統帥権を王より委ねられている、王室近衛師団の最高幹部である。
「フェイエット殿はどれほど事情を知っているのだ?」
「ワシ等とそう変わらんだろう。ひょっとしたら、すでにアル様の元へ馳せ参じているかもな。」
「…兄上は、フェイエット殿にすら隠してローディネルオーダーを動かしたのか…。もはや兄上の頭にある事は一つなのだろうな…。」
「ん?それは何だ?」
「“父上に知られたくない”」
「……いやはや、それはまた…。」
国王不在のアスターティを、並べて事無く治めた。アルバルトはその実績に執着したようだ。
「兄上は失敗を恐れるあまり、より大きな失敗を犯したのやもしれんぞ?」
ここには居ないアルバルトに語りかけるクリスティアン。
「さて、今回の事が兄上を王として強くするか。あるいは打ち砕いてしまうか。見物だな。」
そう言いながら半円卓から飛び降り、クリスティアンは諸政殿を後にしようとする。
「おいクリス様、どこへ行く?」
「ん?フェイエット殿に同道すれば、兄上の話が聞けるかもしれないだろ?」
「ワシの話はもういいのか?まだ一つ残ってるんだが。」
「ああ、そうだったな。何だ、重要じゃ無ければ、兄上を問い質しに行きたいんだが。」
「ローディネルオーダーであるワシにとっては、かなり重要な話だな。」
ヘイススの目が鋭くなる。まるで闘いの前の様に。
「む?それは?」
「――ゼスについてだ。」
◇
―――サワサワ…サワサワ……リンリンリンリンリイィン……
夜風になびく森の木々の枝。ささやかな音で存在を示す虫達。この森の夜宴はひどく慎ましい。その静かなる喧噪は、いっそ休息を促しているようだった。
「ふわああぁぁ…。」
夜半を過ぎた森の中。月の光に照らされた、古い掘立て小屋の壁に寄りかかりながら、大きく欠伸をするシェルナス。クレオ、ジェンギュウスから引き継がれた、見張り役の任をこなしている最中だ。
「はっくしょん!」
唐突にくしゃみ。あれから何だかんだで、ニアから革のコートを取り戻せないままでいる。
(まあ、別にいいんだが。)
彼女は何故か、あの男性物のロングコートを気に入ってしまったようだ。下に身に着けている白いローブとのコーディネートは最悪に見えたが、本人に気にした様子は見られない。そのまま自分の物にしてしまう勢いだ。
「…………。」
シェルナスは小屋の外壁に寄りかかりながら、周囲へと意識を向けた。ホルクスの力により、迷いの森と化してしまったここ一帯は、あるいは見張りなどは必要無いのかも知れない。だが有鱗人達の件もあるため、警戒するに越したことはない。しかし…。
「暇だな。」
かつて見張りを経験した者ならば、誰もが心に秘めたであろう感想を、シェルナスはあえて口にしてみる。
「そだね。」
その感想に同意の声。
「何かあったか?」
「ありゃ、驚かないね。気付いてた?」
「俺の背後を盗ろうなんて、お前には10年早い。」
「シェルの背後、壁なんですが…。」
小屋からニアが出て来たようだ。彼女は静かにシェルナスの傍へ歩み寄ると、彼の隣で同じように壁に寄りかかった。
「どこで見ても月は同じなんだよね…。」
彼女のつぶやきに、シェルナスも月へと目をやる。満月かと思ったが、端がわずかに欠けていた。
「月を眺めに来たのか?」
「ううん。シェルと話したいなって。」
二人は月に目を向けたまま言葉を交わす。
「…………。」
「…………。」
かと思われたが、黙して月を見つめるだけだった。
「…………。」
「…………。」
「………用無いなら寝てろよ。」
「もうっ。シェルには情緒が足りないよ。」
話したいと言っておきながら、風情を堪能せんとするニア。いろいろ言いたい事もあったが、女心を解する体を取り、彼女の言葉を待つシェルナス。
「あのね、シェル…。」
「ん?」
「その、色々沢山の事。…ごめんなさい。」
謝罪の言葉に、シェルナスの視線はニアへと移された。月明かりに照らされた銀の髪の輝きに、一瞬心を奪われる。慣れというのは怖いもので、初見では不吉と認識していたその髪が、今のシェルナスの目にはとても美しく見えた。そう、やはりニアは美しいのだ。腰まである長い銀の髪も。先のとがった長い耳も。男物のコートがやや雰囲気を壊しているが、女性らしい身体つきに白い肌。顔に目をやれば、蒼い瞳にあどけない表情。見た目に惑わされた、と誰かが言っていたが、今それを否定できる自信はシェルナスには無かった。
「思い返してみるとだな…。」
「え?」
「ニアは一度も俺に助けお求めて無いんだよな。」
「あれ、そうだっけ?」
「だから今の状況は、全部俺の恣意的な行動が招いた結果なのさ。ニアが気に病む必要は無い。」
シェルナスは決して巻き込まれたのでは無い。最初から己の意志で関わっていた。初めにニアを助けた時も、その後ニアを護った時も、そしてこれから為すであろう行動も。そこには間違い無く、シェルナスの意志が伴っている。
「見方によっては、関係ない人間が首を突っ込んででしゃばってる様にも見えるな。」
「そんな、でしゃばってるだなんて。私からすれば、シェルとの出会いは幸運としか言いようがないよ。」
シェルナスと出会っていなければ、彼女の人生はとっくに終わっていただろう。
「そう言ってくれるのなら、最後まで関わらせてくれるよな?」
「シェル…。」
ニアは月から外した視線を、シェルナスのそれへと絡めた。そして、浮かない表情で言葉を続ける。
「最後まで…。その言葉すごく不安だよ、シェル。その時、シェルはどうなってるのかな…?」
シェルナスは明らかに捨て身の覚悟だった。閉ざされた未来を諦め、今に全てを費やそうとしている。
「あのね?シェル。ごめんね?ポッケの中、勝手に見ちゃった。」
「うん?」
ニアが羽織っているシェルナスのコート。彼女はその内ポケットに手をやる。
「なんかね?走る時にカタカタ動くから気になっちゃって…。」
そう言って取り出したのは、ニアの手のひらほどの長方形のプレート。
「これって、印章ってやつだよね?」
「…ああ、まあ…な。」
緑がかった半透明の石英。それなりに価値がありそうなそれには、緻密な紋様が彫刻されていた。鞘に収められた剣の上に本があり、さらにその上に羽のペン。そして、それらを挟む様に向き合った、二つの顔の様な模様が描かれている。加えて、中央下部に反転した“レヴィス”の文字が刻まれていた。
「エルズリッドには無い慣習だから、詳しくは知らないんだけど…。こういうのって貴族が持つんじゃ?」
「主に…な。」
レヴィス家の紋章。シェルナスが目標に掲げたレヴィス家再興への、心の支えとしてきた印章。
「シェルは爵位に未練は無いって言ったけど…。」
「そんなの持ってたら説得力無いな。」
シェルナスは考えない様にしてきた。それは幼い頃からの夢。早々未練を断ち切れるものではない。だから今やらねばならぬ事に意識を集中させ、懸命にそれを頭の隅へと追いやっていた。
「やっぱり、ジェンギィが言ったようにシェルは…。」
「ニア。」
シェルナスは、自責の念を面に出しかけたニアを制止し、無言で印章を渡すよう促す。ニアはシェルナスを見つめたまま、ゆっくりとそれを手渡した。
「綺麗なもんだろ。」
受け取った印章を月へと掲げながら、シェルナスは明るい声色で話す。
「なかなか値の張るものなんだぞ。…レヴィスの名が彫られて無ければだけど…。」
月明かりが印章を照らし、ぼんやりと緑色に発光させる。それを見つめながらシェルナスは語り出した。
「レヴィス家は、いわゆる剣家でな。一時はサン・レヴィス流なんて呼ばれて結構有名だったんだ。今じゃ一部の剣術バカしか知らない、廃れた流派になってしまったがな。」
「そっか。だからシェルは強いんだね。」
「ま、ある程度はな。家は廃れても教義は遺されていたから、子供の頃から修練を怠った事は無かったよ。初めは単純に強くなりたかっただけなんだが、いつしかレヴィス家の再興を夢見るようになった。そしてこの国の役に立ちたいってな。」
「……。」
「ほら、そんな顔するなって。まだ話の途中だ。…10年くらい前かな、父にその夢を語ったことがあるんだ。俺はその志を父は喜んでくれるかと思ってたんだがな、素っ気なく『好きにすればいい』ってあしらわれたんだ。」
「え?お父様は家の再興に乗り気じゃなかったの?」
「と言うか興味が無かったみたいだ。」
「う~ん。他にやりたい事があったのかな?」
「正解。父は傭兵をやっててな、大陸中あらゆる場所の有事に首を突っ込んでた。…俺は祖父の家で暮らしてたんで、めったに会う機会は無かったな。」
「えっと、貴族を目指すよりも傭兵をやっていたかったって事?」
「ああ。…俺はずっと疑問だったよ。父はとても強い人だった。あの人くらい強ければ、王家に重用されてもおかしくない。なんでレヴィス家の名誉を取り戻そうとしないんだって、軽い反感を抱いてた。でもな?今なら父の考えが少し理解できるんだ。」
「シェルのお父様の考え?」
「この国の貴族になるって事は、この国の正義に従わなければならない。父にはそれが難しかったのかもな。」
「んと、どういう事かな?」
「もし、俺がこの国の正義に従っていたら、ニアを助けたりはしなかった。」
「あっ…。」
「つまりはそういう事。傭兵ならば正義を選択できるからな。だが貴族ではそうもいかない。父はきっと、自分で正しいと思った事を成したかったんだと思うよ。」
「………シェルは、私を助けた事を正しいと思ってくれるの?」
「正しかったかどうかは正直判らん。だが、後悔は全くしていないよ。」
シェルナスは視線をニアへと戻し、彼女の瞳を見つめながらそう言った。本当に後悔していない事が伝わるようにと。
「…うん。じゃ、言い直すね?」
「あん?」
「色々沢山の事。どうもありがとう。」
シェルナスの目を真っ直ぐに見つめながら、謝罪を感謝に訂正するニア。
「あ、ああ…。…あ~、でも礼を言われるってのもどうもな…。全部が全部ニアの為って訳じゃないし。」
ニアの瞳に多少ドギマギしながら、シェルナスは決まりの悪そうな表情を浮かべる。
「俺はな?ニア。今でもやっぱり、この国の為にって思ってる。俺にとっての大切な人や、大切なものはこの国にあるんだ。敢えて言うが、『終わりの森』の為にってのはあんまり考えていない。」
「あ、うん…。それはそうだよね。シェルにだって家族はいるもの。」
「…いや、血縁はもういないんだ。」
「ふぇ?あ、う、ご、ごめん…。」
今度はニアが決まりの悪そうな表情を浮かべた。それを見たシェルナスは慌ててフォローする。
「あっと、こっちこそすまん。気にしないでくれ。言ったろ?大切な人はちゃんといる。別に孤独な人生を送ってきた訳じゃない。」
「た、大切な人?」
「ああ。…この印章な?家が廃されたときに一度失われてるんだよ。だけどある人が復元してくれた。」
再び印章を上へ掲げ、やや切なげな瞳でそれを見つめるシェルナス。
「その人は父と違って、俺の夢をたたえてくれてな。これを目標の導にと贈ってくれたんだ。」
マルク・テイラー・オルランド。シェルナスにとって大恩ある人である。建国から、国境の防壁たるを担ってきたオルランド家の現当主は、国の為にと己を磨き続けるシェルナスを、大いに買っていた。早い時期からシェルナスの才をを見抜き、草莽の臣たるは惜しいと、積極的に支援していたのだ。
(御前が今回の事を知った時、どう思うかな。後足で砂をかけたと謗るだろうか。いや、そういう人じゃないか。きっといつもの気難しそうな顔をで、胸へと呑み込んでしまうんだろうな。…ふぅ、また生え際を後退させてしまうな…。)
シェルナスの心が、恩人に対する親愛の情で満たされる。しかし胸は温まらず、すぐさま切なさに取って代わられ、思わず印章を強く握り締めた。
「ああああの。そ、そ、そのヒトってシェルの…、こここここ恋人。…だったり?」
「んな趣味は無いっ。」
「ふぇ?」
シェルナス的に有り得ない疑惑を抱くニアに、すぐさま反論する。
「昔から世話になっている人で、俺が父親の様に慕っている人だ。」
「あ、男のヒト…?」
「ああ、結構な歳のな。俺が騎士を目指す理由の一つは、その人の期待に応えたいっていうのもある。」
「…そうなんだ。シェル…騎士になりたかったんだね…。」
「あ。」
ニアはまたもや自責の念に囚われ、表情を暗くした。
「だあっ!もうっ!どうであれお前に責は無いと何度言ったら解るんだっ!!」
「ごめんなさい?!」
落ち込み癖が付き始めたニアを、シェルナスは叱咤で無理矢理引っ張り上げる。ちなみに自分の失言は棚に上げた。
「はぁ…。おいニア、同じポケットに羊皮紙が入ってたろ?ちょっと貸してくれ。」
「え?ん、んと。こ、これ…かな?」
「ああ。」
ニアは印章が入っていた内ポケットへと手を入れ、わたわたとそれを取り出す。そしてすぐにシェルナスへと手渡した。
「そ、そっちは弄ってないよ?お手紙みたいだったから。」
「いや、別にそんな心配はしていない。」
というか印章の方は弄ったようだ。
「ニア、クレオがロウソクを灯す時に使ってた燐寸あったよな?持って来てくれないか。」
「へ?何するの?」
「まあ、いいからいいから。」
「わ、分かったよ…。」
ニアは小屋の中へと戻って行く。シェルナスはそれを確認した後、手元に目を向けた。その手にあるのは筒状に丸められた羊皮紙。封蝋で封印されており、そこにはオルランド家の紋章が刻印されている。オルランド公が王家に宛てた公文書。シェルナスを騎士に推す内容の推薦状である。
(とっとと処分するべきなのに、ついつい後回しにしてたな。未練がましい事この上ない。ニアは変なところで人情の機微に敏感だから、俺の未練を読み取ったんだろうな…。)
シェルナスは一呼吸置いた後、羊皮紙を封印しているロウを、端からパキパキと砕いていく。この瞬間、それは公文書としての効力を失った。
(どれどれ、どんな事が書いてあるのかなっと。)
月光を文面へと当て、内容を紐解く。本来シェルナスが目を通す筈の無かった文書。そこに記されているのは、シェルナスの功績と、オルランド公の主観による人物月旦。
(うわっ。これはさすがに…。)
オルランド公はそこでシェルナスを褒めちぎっていた。普段、言葉少なく是非のみを口にする人なだけに、ここまで自分を評価してくれていたとは思いもよらず、嬉しさよりも照れが先立つシェルナスだった。
「シェル?何か嬉しそうな顔してるね?」
「のわっ。あ、う、うぐ…。ニ、ニアか。」
どうやらちゃんと嬉しさも出ていたようだ。
「それって恋文かな?恋文かな?」
「ニ、ニア…?」
何故か同じ句を繰り返すニア。月明かりに照らされたその顔は、どういう訳か表情の判別が出来ない。クロウリィの力だろうか。
「こ、これは俺を騎士へと推す推薦状であって断じて恋文などではないぞっ。」
何かに急き立てられるように、勘違いを正そうとするシェルナス。理由は本人にもよく解らない。
「あ、そなんだ。」
この瞬間、シェルナスの視覚は識別能力を取り戻す。ニアの顔に異常は無かった。
(何だったんだ今のは…。やはり『終わりの森』の民。まだまだ知らない事があるって訳か…。)
謎の脅威は去り、胸を撫で下ろすシェルナスだが、やはり理由は解らない。とりあえずもう一度ニアの表情を確認するが…。
「…でも、そっか。…シェルはもう少しで…。」
ニアの落ち込み癖再び。
「またかよ!?もうそれはいいだろっ!?」
「あう…。そ、そう言われても…。」
「ああもうっ、いいからほらっ。燐寸はっ?」
「え?は、はい…これ。」
ニアの差し出した小さな木箱を奪うように受け取り、すぐさま中から燐寸を取り出し、小屋の壁に擦りつける。
―――シュボッ
火が点いたのを確認したシェルナスは、そのままその小さな炎を羊皮紙に宛がった。
「え?ちょっとシェル!燃えちゃう!」
「いや、燃やしているんだが。」
なかなか火付けは悪かったが、やがて封蝋がそれを手伝い、羊皮紙は燃え出した。
「最近の羊皮紙って焼けると香ばしい匂いがするな。ここんとこ果実しか口にしてないから、肉が恋しくなってきた。」
「シェル…。」
冗談めいた言葉を放つシェルナスだが、ニアの反応は薄い。
「はぁ…。」
ニアの様子にため息をつきながら、すでに燃え広がった羊皮紙を地面に投げ捨てる。
「これがあるとな?さっき言った世話になった人に、迷惑が行く可能性があるんだ。だから燃やした。」
「…………。」
「ニア。もはや未練は無い。成すべき事を成すぞ。お互いの為にな。」
地面の炎を見つめながらの決意表明。シェルナスはこれを以て六根清浄とする。
「………うん、もう何も言わないよシェル。私もシェルを信じるって決めたんだもん。」
ようやくニアも眉を開くことが出来たようだ。あとは目的に突き進むだけ。
「よし。じゃあニアはもう少し休んでたらどうだ?」
「もう眠れないよ。ここでシェルと一緒に、中の二人が起きるのを待つよ。」
行動の開始は夜明け前。まずは全員、首都中心街へと赴く。
「う~。何か覚悟決めたら焦れてきちゃった。二人を起こして出発しちゃわない?」
ニアの本性、無鉄砲が疼きだす。
「落ち着けよ。焦ったって良い事は無いぞ?それに休息だって立派な作戦の……。」
シェルナスが不自然に言葉を切る。何やら木々の向こう側へと意識を向けているようだ。
「シェル?」
「静かに。」
ニアを制止し、意識を集中させる。シェルナスの勘が働いたのだ。その勘が、警戒シグナルを発していた。
「何か居る…。」
「え!?」
ニアもシェルナスの視線の先に目をやる。結果、何も見つけられなかったが、代わりに別の事に気付く。
「あれ!?ホルクスの力消えちゃってる!?」
「何っ?」
クレオは、力の宿った木が枯れるまで、と説明していた。だがもちろん木々は枯れてはいない。それでもホルクスの迷いの森は、その力を失っていた。
「あれ?あれ?なんでっ?」
「ニア、小屋へ入ろう。二人を起こすんだ。」
「あわっ?!」
ニアの返事を待たずに彼女の腕を引くシェルナス。そしてそのまま小屋の中へと引き込んだ。
―――パタン…
「ニア、二人を起こすんだ。」
シェルナスはそう言いながら、窓の外を窺う。今のところ何かの影は見えない。だがシェルナスは、すでに確信に至っている。
「シェルナスよ。」
後ろからジェンギュウスの声。
「起きてたか。まあ、お前の方が感覚鋭いもんな。規模、判るか?」
「そう多くは無い。20と言ったところか。」
ジェンギュウスもシェルナスの隣に付き、窓から外を見る。
「え?え?なに?なんの数?」
「敵襲ですよニア様。ふー。」
「ひゃっ?!」
一人戸惑っていたニアの耳へ、意味も無く息を吹きかけるクレオ。
「ク、クレオ…。起きてたんだね。……なんで息?」
「いえ、なんとなく。さて、敵襲は分かりましたが、ホルクスの力はどうなったのでしょう?」
「そ、それが…。何か消えちゃってて…。」
「ニア。いつから消えてたか判るか?」
「ごめんシェル。気付いたのさっきだし、いつからかはちょっと…。」
「面妖だな。早々消えるものでは無いという認識であったが。」
「仕方ない。それに関する考察は後にしよう。――今回は俺も気配を感じ取れた。有鱗人達のような事は無い。ニアの追っ手と見た方がいい。」
「どうする、蹴散らすか?」
「20名程度なら私が魔法で。」
「まてまてまてっ。ここで下手に事を起こしたら、角まで辿り着けなくなるかもしれん。俺達の目的は飽くまで角だろ?」
シェルナスは、無駄な争いを避けたいと訴えた筈だが、ジェンギュウスとクレオは好戦的だった。
「いいか?まずニアの安全が第一だ。ま、それは言わなくても分かってるか。だが、もし敵がローディネルオーダーならば簡単にはいかないだろう。その時は俺が対応する。」
「ローディ…って?」
「お前を襲ったやつの事だニア。説明は省くが、この国の最精鋭だ。」
「あの人が…。」
ニアを追ってきた、王家に属するエルフ。その者とシェルナスの闘いを思い出し、ニアは今回の相手を強敵と認識する。
「で、でもシェル一人で立ち向かうだなんて…。」
「いやそんな事言ってないだろ。交渉だよ、交渉。」
シェルナスは争いを避けたいとあれほど訴えたというのに、ニアすら好戦的だった。
「通用する相手であるか?」
「…いや、ゼスを考えるとあんまり…。」
ジェンギュウスの質問に肯定を返したかったが、王家が抹殺を命じていれば、ローディネルオーダーは確実にそれを遂行するだろう。
「だから俺達は、基本的に逃亡者でいよう。逃げる隙を見つけたら躊躇うな。」
「やっつけちゃった方が良いのでは?」
「クレオ、失敗したらどうする。ローディネルオーダーはそんな甘い相手じゃないぞ。」
「そうだよクレオ。危ない事は極力避けようよ。」
「…ニア様がそうおっしゃるのなら。」
「来たぞ。」
ジェンギュウスが全員に警戒を促す。シェルナスが再び外に目を向けた時、林の向こうから複数の人影が現れた。
―――おらぁっ!出てこいやぁっ!居るんだろぉっ!?
外に響く男の声。人影の一つが、ガラの悪い声を上げている。
「……なんか、前のヒトとはずいぶん毛色が違うっぽい?」
「ま、まあローディネルオーダーは出自を問わないからな…。」
―――こらぁっ!ビビってんのかぁっ!?表でろっつってんだよぉっ!!
反応を示さないシェルナス達に、男は再び怒声を放つ。
「……ふむ、何とも口汚いな。まるでならず者のようだ。」
「こ、こちらを煽って出て来させようという意図があるんだろ…。」
―――どらぁっ!んだらってんのかぁっ!?マジッパネェぞぉっ!!
無視されていると思ったのか、声は益々大きくなる。
「……はて?シェルナス様、通訳をお願い出来ますか?」
「さ、さすがに他種族の隠語はちょっとな…。」
(いやいやっ、待てよ俺。何でフォローしてる。いくらなんでも、あんな人格の者を王家が重用するとは思えん。別口なのか?だとしたらどの口だ?)
―――殺してやっから出て来いっつってんだ!!レヴィ公っ!!
「!!」
「へ?誰の事?」
「ふむ。これは…。」
「シェルナス様をご指名のようで。」
「あっ、レヴィスって言ったのね。」
シェルナスは心当たりが大いにあった。だが、それと共に大きな疑問が湧き上がる。何故彼らがこのタイミングで、と。
「はああぁぁ……。みんな。今回王家は、間違いなく関係ない…。別口だ。ふううぅぅ……。何だって奴らが…。」
「えっと、シェルの知り合い?」
「いや…。俺は全く知らん。…が、向こうはよく知ってるんだろうな。はぁ…。俺はごく一部、局所的に有名らしいんだ…。」
「シェル…?」
「シェルナスよ、勿体ぶるでない。奴らは何者だ?」
「……。」
「アレは…。」
シェルナスは心底気怠そうに言葉を放つ。
「…『有角人』だ。」
ありがとうございました
次回は
『辺境の宝剣』
お楽しみに