第37話『ロイヤルの誇り、職人の絆』
いつも『レストラン船ブルートーン号の航海日誌』を応援していただき、
本当にありがとうございます!作者のマサです。
前回、世界一のスイーツ激戦区であるロンドンの地で、己の進むべき道に迷い、
深い迷宮に迷い込んでしまった成人。そんな彼の背中を押したのは、
アーサーさんの粋な問いかけと、遥か1万キロ彼方の日本から届いた、
仲間たちの「型破りな挑戦」の映像でした。
ついに迎えた宮中晩餐会の当日。ジーン様にエスコートされ
、バッキンガム宮殿の最高峰の厨房へと足を踏み入れた成人とチャンを待っていたのは、
息を呑むような「聖域」でした。
「ただいまああ! アーサーさん、ビクトリアさん!」
ロンドンの街角に、チャンの突き抜けるような明るい声が響き渡った。
扉を開けた瞬間、ふわりと漂う上質なバターとバニラの香り。
再び海を渡った成人とチャンの前に広がっていたのは、かつてと変わらない、
温かくて格調高いペストリーショップ『ビクトリア』の光景だった。
「おかえりなさい、チャン。そしてマサト。無事な帰還を、心から歓迎するよ」
奥から現れたアーサーが、慈しみ深い笑顔で二人を迎え、力強い握手を交わした。
その横には、二人と同じ年頃の、初めて見る二人の若者が並んでいた。
アーサーが誇らしげに彼らを紹介する。
「紹介しよう。こちらはリン。チャン、君と同じマレーシアの出身だ。
ブルートーン号での君の目覚ましいサービスの噂を聞いて、君の背中を追ってここにやってきたんだよ」
「チャンさん……! お会いできて光栄です。私、ずっとチャンさんに憧れて修行してきたんです!」
リンが目を輝かせてチャンの手を握る。チャンは驚きつつも、「嬉しい! 一緒に頑張ろうね!」
と満面の笑みを返した。
そして、もう一人は少し緊張した面持ちで成人の前に一歩踏み出した。
「デビットといいます。マサト、あなたの噂はロンドン中の職人の間で話題です。
あなたが作ったあの『ブルートーン・チョコ』が英国王室御用達に選ばれたことを知って、
僕はあなたの技術をずっと尊敬していました。一緒に働けるなんて、夢のようです」
地元ロンドンの修行生であるデビットの、嘘偽りのない尊敬の眼差し。
成人はその言葉の重みに、改めて自分たちが背負っているものの大きさを実感していた。
「……ありがとう、デビット。こちらこそ、よろしく」
再会の喜びで店内の空気が和らぐなか、アーサーがふと表情を引き締めた。
「さて、マサト。君たちが到着したのを待っていたかのように、
皇太子妃専属の個人秘書・ジーン様から重要なメッセージが届いているんだ」
成人の背筋が伸びる。アーサーは一言一言を噛み締めるように続けた。
「――来月行われる宮中晩餐会。そのデザートのメインとして、
成人の、完全な『新作スイーツ』を所望されている。
王室は、君のブルートーンでの進化を、さらなる高みで見たいと仰っているんだ」
「えっ……新作を、晩餐会で……?」
成人は一瞬、その重圧に息を呑んだ。これまでの『ブルートーン・チョコ』の改良ではない。
世界最高峰のゲストたちが集う席で、ゼロから生み出した自分の真価を問われるというのだ。
「驚くのも無理はない。だが、マサト」
アーサーが成人の肩に手を置いた。
「君は一人じゃない。この店、ビクトリアのスタッフ全員が、君の新作を全力でサポートする。
リンも、デビットも、そしてもちろんチャンもだ。
勇気を持って、君だけの『答え』をロンドンの空の下で見つけてごらん」
アーサーの言葉に、リンとデビットが力強く頷く。
チャンが成人の腕をギュッと掴み、力強くウインクした。
「成人のチョコなら、絶対世界一だよ! 私がバッチリ、サービスするから!」
成人の瞳に、迷いが消えた。
ロンドンの歴史ある空気が、成人の情熱を静かに、だが熱く煽り始める。
「……はい。アーサーさん。僕たちの、最高の新作を作ります!」
王室晩餐会。その輝かしいステージに向けて、成人とチャン、
そして新しい仲間たちの、甘くも熾烈なカウントダウンが今、始まった。
ロンドンの街は、残酷なほどに美しく、そして完璧だった。
成人とチャンは、現地スタッフのデビットとリンのエスコートを受け、
連日ロンドン中のペストリーショップやカフェを視察して回っていた。
かつて修行した頃よりもさらなる進化を遂げた街。伝統という名の重厚な土台の上に、
世界中から集まった最新のモードが軽やかに、だが完璧に構築されている。
「……こんなに凄いスイーツやカフェが、そこら中に転がっているなんて」
ショーケース越しに並ぶ、宝石のような菓子たち。
一つ一つが完成された芸術品であり、職人の矜持が漲っている。
成人の心には、新作への意欲よりも先に、底知れぬ恐怖が忍び寄っていた。
この「完成された世界」に、今の自分が付け足せるものなど、本当にあるのだろうか?
一方、隣を歩くチャンとリンは、そんな成人の悩みなどどこ吹く風。
「わあ! このスコーンの香ばしさ、最高!」
「チャンさん、このクリームの立て方、あとで教えてください!」
と、視察を全身で楽しんでいた。
そんな対照的な二人を見て、デビットがそっと成人に寄り添い、声をかけた。
「マサト。一度、頭の中を白紙にした方がいいかもしれませんね。今は詰め込みすぎだ」
「……そうだね。デビット、ありがとう。よし、今日はまず僕も楽しむことにするよ!」
成人は無理に笑顔を作り、その夜は遅くまで、4人でロイヤル・パブの片隅で、
お互いの国のスイーツ事情や将来の夢を語り合った。
しかし、翌日になっても成人のペンは動かなかった。
自室の机に座り、ノートを見つめる。だが、一向に試作を始める気配がない。
厨房のスタッフたちは「マサトは大丈夫か?」と心配し始めたが、
師であるアーサーだけは、作業の手を休めることなく静かに言った。
「心配いらないさ。あれが彼のスタイルだ。最高の閃光が走るのを、今は待っているんだよ」
ある日の夕暮れ。成人はたまらず、厨房の片隅でアーサーに質問を投げかけた。
「アーサーさん。ロンドンには、あれだけ完成された伝統の菓子があるのに、
なぜこれほどまで新しい菓子が街には溢れるのですか?
僕には、もうすべてがやり尽くされているように見えるんです」
アーサーはふっと、慈しむように笑いながら、独り言のようにつぶやいた。
「マサト。もし君の大切な彼女が、誰かに100本の薔薇をプレゼントされたら、
君は対抗して150本の薔薇をプレゼントするのかい?」
「えっ……? いえ、それは……」
「そうだろう。愛の深さは、本数(量)ではないはずだ。君なら、どうする?」
成人がその答えを反芻しようとした、その時だった。
「成人くん! リンちゃん! これ見て、すごいの!」
チャンの興奮した声が響く。彼女たちが持ってきたタブレットには、
浅川が配信している動画が映っていた。
それは、日本でオープンしたばかりの『ビストロ・ブルートーン』をレポートする、
FMラジオDJ・リサの生放送の光景だった。
『――見てください! 今、須賀さんが注いでいるのはカクテルではありません!
美しく輝く、青いビールなんです!!』
『そしてメインは亮太シェフによる鯛、鯛、鯛のオンパレード!
鯛をこんな風に料理するなんて、初めて見ました! 凄まじい美味しそうです!』
画面越しに伝わってくる、陸の上での仲間の「暴走」に近いほどの挑戦。
そこには、伝統や形式に縛られず、「今、この瞬間のお客様を喜ばせる」ことに命を懸ける、
ブルートーン・クルーの熱い魂が躍動していた。
続いて流れたのは、ニューオリンズからのカイトたちのビデオレター。
『A Hard Day's Night』のジャズが、ロンドンの厨房にまで響き渡る。
その瞬間、成人の脳裏で、アーサーの「薔薇」の言葉と、
仲間の「鯛のコース」がカチリと一つに結びついた。
(……そうか! わかった!! 150本の薔薇なんて、いらないんだ!)
成人の瞳に、かつてないほどの鋭い光が宿った。
1万キロ離れた場所で、仲間たちが自分の枠を壊して戦っている。
ならば自分も、ロンドンの伝統という枠の中で戦う必要なんてない。
「アーサーさん、わかりました! 僕、やります!」
成人は脱兎のごとく自室へと駆け戻り、猛然とペンを走らせ始めた。
真っ白だったスケッチブックが、瞬く間に「ロンドンと日本、そしてブルートーン」
を融合させた、世界に一つだけのスイーツの原案で埋まっていく。
王室晩餐会。その伝説の一皿が、ロンドンの夜の中で産声を上げようとしていた。
宮中晩餐会、当日。
バッキンガム宮殿の重厚な門の前に、黒塗りの車が滑り込んだ。
ドアが開き、真っ赤なヒールを履いた皇太子妃の個人秘書、ジーンが降り立つ。
「久しぶりね、成人、チャン。今日のデザート、とても楽しみにしているわ。
さあ、さっそく後ろの車に乗って頂戴」
ジーンの背後には、黒いスーツを纏った男たちが控え、さらに二台の送迎車が用意されていた。
成人とアーサー、そして緊張で固まっているデビットが一台に。
チャンとリン、そしてキャサリンがもう一台に乗り込む。
ロイヤルの洗礼を受けながら、車は宮殿の奥深くへと進んでいった。
案内された厨房に足を踏み入れた瞬間、成人は息を呑んだ。
そこは、鏡のように磨かれたステンレスが眩しい、世界最新鋭の設備が整う場所だった。
「……ここで、僕のブルートーン・チョコも作られているのか」
あまりの規模と格調の高さに圧倒される成人の横で、デビットは緊張のあまり小刻みに震えている。
そんな二人に、師であるアーサーが穏やかに、だが力強い声で言った。
「さあ、成人。最高の舞台は整った。何から手伝おうか?」
「……はい! アーサーさん、よろしくお願いいたします!」
成人の瞳にもう迷いはなかった。日本で戦う仲間の熱い魂が、今、成人の腕に乗り移っていた。
晩餐会が進み、いよいよデザートタイムが訪れる。
会場では、チャンの流れるようなティー・サービスの所作を、リンが必死に学びながら
補佐として動いていた。東洋の神秘的な香りを纏うムレスナティー。
キャサリンとチャンの完璧なエスコートによって全テーブルに紅茶が用意されたその時――。
成人が、蓋を被せた銀のプラッターを手に、ゆったりとした足取りでプレゼンテーションに立った。
パッと蓋が開けられた瞬間、会場の貴婦人たちから感嘆の声が漏れる。
そこに鎮座していたのは、ロンドンの夜を象徴するかのような、
深く輝く翡翠の石を思わせるテリーヌだった。
「成人の新作……。このスイーツは、一体何かしら?」
ジーンが目を輝かせて質問する。
「日本の抹茶をベースにした、生ショコラのテリーヌです。
今から、皆様の前でカットさせていただきます」
成人が包丁を入れる。その断面は鮮やかな二層に分かれていた。
濃厚で薫り高い抹茶の生チョコの中に、繊細な甘みのホワイトチョコが隠し味として
閉じ込められている。一口運んだゲストたちの顔に、かつてない至福の微笑みが広がっていった。
晩餐会が無事に終わり、見送りの際、一人の男性が成人のもとに歩み寄ってきた。
「成人くん、素晴らしいチョコだったよ!」
そこにいたのは、元イギリス大使館参事官であり、ブルートーン号の伝道師・大沢だった。
「君のスイーツをここイギリスで体験できるなんて、夢のようだ。
もちろん、伝道師として最高の一枚を世界にInstagramで配信させてもらったよ」
「大沢さん……ありがとうございます!」
成人は清々しい笑顔で答え、晴れ渡ったロンドンの空を仰いだ。
翌日、アーサーのもとにジーンから正式な連絡が入る。
昨夜の生ショコラテリーヌを、王室の栄誉である「ロイヤルワラント(王室御用達)」
として認定したいというのだ。
アーサーは震える声で感謝を伝え、成人にその吉報を届けた。
「成人、やったな! デビットもリンも、感激で泣いているよ」
「成人くんすごーい!」
飛び跳ねて喜ぶチャン。成人は少しはにかみながら、アーサーに言った。
「アーサーさん、あのテリーヌ……この店の名からとって『ビクトリア・ショコラ』として、
これからもここに置いてください」
「……成人、君というやつは」
アーサーとキャサリンは感動に言葉を詰まらせ、弟子である成人の確かな成長と深い敬愛に、
静かに目頭を熱くした。
ロンドンの街は、いつの間にか霧が晴れ、輝くような青空が広がっていた。
◇
同じ頃。長崎のドックに横たわるブルートーン号の船内。
大沢のInstagramや、浅川がアップした動画を、佐々木支配人と村田船長が微笑みながら見つめていた。
「みんな、素晴らしい成長ですね……」
佐々木がポツリと呟くと、村田船長が力強く頷く。
「ああ。だが佐々木、俺たちも負けてられんぞ。いよいよだな」
佐々木はタブレットを閉じ、船長の方へと向き直った。
「船長、先ほどのお話ですが……」
二人の会話の先には、アップグレードを終え、再び大海原へと繰り出すブルートーン号の、
さらに進化した未来が描かれていた。
【第37話:ロイヤルの誇り、職人の絆 完】
第37話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
ロンドン編、ついに最高の形でハッピーエンドを迎えることができました。
世界最高峰のゲストたちが集うバッキンガム宮殿の晩餐会で、
成人が出した答えは、日本の抹茶とホワイトチョコを極限まで高めた「翡翠のテリーヌ」でした。
他人の真似(150本の薔薇)をするのではなく、自分たちにしか作れない「物語」を
皿の上に表現する――。それが見事に認められ、最高の栄誉である
「ロイヤルワラント(王室御用達)」を授かるシーンは、書いていて私自身も胸が熱くなりました。
そして、成人がその傑作に、敬愛する師の店の名をとって『ビクトリア・ショコラ』と
名付けた瞬間は、彼がパティシエとしてだけでなく、
一人の人間として大きく成長した証でもあります。
物語のラストでは、長崎のドックで佐々木支配人と村田船長が何やら密談を交わしていました。
「船長、先ほどのお話ですが……」
一ヶ月の武者修行を終え、各地から仲間たちが戻ってくるブルートーン号。
彼らを迎える「船」そのものにも、どうやら驚くべき変化が起きようとしているようです。
次回第38話から、物語はついに新章へと突入し、メンバーたちの感動の再集結へと動き出します。
さらにスケールアップしていくブルートーンの航海を、これからも一緒に
見守っていただけたら嬉しいです。
面白い、続きが気になる!と思っていただけましたら、
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励みになります!
野内
それでは、次回の更新でお会いしましょう!




