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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
終章

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1(終). 『銀色飛行船』




 ——今、その一瞬を生きてる、全ての子どもたちに。



 その日は参議院選挙だった。


 根は真面目だと思って、それが自分の美徳でもあると信じているから、行かなければならないと思っていた。そして、一票を。変わらない世界に、されどあり得べき望みをかけて。


 しかし気が重い。

 投票所は近所の小学校。


 母校である。


 となれば古い友人の、立派な大人になって家庭を手にしたような、そんな成長ぶりもとい、幸せぶりをまざまざと見せつけられることにもなりかねない。そこは危険航路である。


 でも、行かなければならない。


 なんでか。

 なんでだろうか。


 よくわからないが、それが自分の美徳でもあると信じているからだ。


 どうせ自分の意思なんて反映されないくせに。


 世界は変わらない。


 分かっている。

 それでも、変われとは思っているからだ。


 家の外の坂を滑り降りていく自転車の音。


 自転車は嫌いだ。嫌な男のことを思い出す。


 金髪も嫌いだ。これも嫌な男のことを思い出す。


 ベッドの上でもぞもぞとしているうち、大学生か何かの、話し、笑うような声が聞こえて、僕は布団をかぶりなおしていた。


 なんでこうなったのだろう。


 勇気を出したのに。

 何もうまくいかなかった。


 憧れのあの人は、今も僕を恐れているだろうか。


 でも、仕方がなかった。勇気を出したんだ。本来それ自体は褒められるべきことじゃないか。僕は引かなかった。逃げなかった。伝えたかったんだ。


 ただ結果が、伴わなかっただけだ。


 もし、あそこで上手くいっていれば。


 あの人が、一度でもいい、僕を見て、やわらかで豊満なあの胸に抱きしめてさえくれていたら——例えそれが束の間であっても、その優しさを信じることができたはずなのに。


 僕はあれ以来、恐れるようになった。

 怖くなった。


 勇気を出すことも。

 人を好きになることも。


 所詮うまくいきっこない。勇気を出したところで結果は伴わない。その優しさはやはりお為ごかしであって、彼女らの処世術に過ぎず、僕そのものに向けられたものではない。


 期待していいようなものではない。それだけのバカを見た。やる気はなくなり、人生に嫌気が差す。信じよう、信じようとしたところで、事実はどうだ? 僕はフラれ、あげく同級生から好き勝手に言われるがまま、完全に自信を失って、気がつけばこのざまだ。


 毎晩、死ぬことを考える。


 なぜ産まれてきたのかと考えて、両親を憎みもした。


 僕みたいなのをなぜ産んでしまうんだよ。

 もうやめてくれ。

 やめてくれと。


 でも、選挙には行かなければならない。


 なぜだろう。


 僕ももう子供ではない。見た目だけは成長して、手や脚も伸び切った大人の見栄えだ。逆にそれが恥ずかしくもあるのだが。


 でも、なんでだろう。


 もしかしたら、あの人も来ていて、ばったり再会でもしたり、するんじゃないか——なんて想像が働くのだ。


 考えてみたら、真面目な美徳ではないじゃないか。


 いや、それも確かにはあるのだ。

 本音の期待が邪だというだけで。


 期待? 今さら?


 でも、信じたい。


 諦めきれない。


 だって、まだ自分の人生は終わっていないんだから。


 叶わなくても、やるだけ、やってみようか。


 どうせマイナスは何もしなくても、マイナスのままなんだから。


 僕は布団を剥いで立ち上がると、部屋を出た。


 その日は日曜日だから、両親も家にいて、いつものように挨拶を交わしながら、僕はシャワーを浴びて、着替える。


 スマホを片手に、ワイヤレスイヤフォンを耳に突っ込み、靴を履いた。


 一瞬、奇妙に玄関が歪んだ気がした。


 大丈夫、大丈夫……普通にしていれば、変な風には見えないはずだ……。


 僕は行ってきますと家の中に声をかけ、斜め掛けのバックを肩にかけ、一歩、踏み出した。


 夏で、外は暑かった。


 少し歩いただけで、汗が噴き出して止まらない。

 

 こんなに汗をかくなんて僕だけが異常なのではないか。あまりに外に出てないうちに、クーラーの利いた部屋に甘えるうちに、身体ごと弱ってしまったのではないかと思った。


 一方、まるであの日のように。


 時折吹く風が癒しだった。


 僕はイヤフォン越しに流れる音楽を聴きながら、小学校へ向かう。高架下にある道路は、遮音壁のため一面日影になっていて、まだ歩きやすかった。


 びっくりしたのは、子供の頃、駐車場だった場所に今は民家が並んで建っていること。道路にチョークか何かで描きまくったのだろう、犯行現場のような地上絵がそこかしこで見られた。


 家の前に停まった車を洗う男がいる。玄関の前に小さな三輪車。三輪車のカゴは赤く、女の子向けに見えたから、きっとこの人の娘の仕業だろう。


 僕一人の認知などなくとも、その外でいつも、当然、なに変わりなく、営みはされていく。


 時代は移っていく。


 僕も、そうなりたかった。

 いや、なりたいな。


 インター前の歩道橋を渡り、更に進むと、小学校が見えてくる。高架からすると、ほぼ直角に折れた道の先だから、校門まで来た頃には影を抜け、また日差しが容赦なく照り付けていた。


 参議院選挙会場と記された手作り感溢れる立札が、黒い鉄格子のような門に立てかけられている。


 僕はその脇を通って、施設に入る。


 すぐ外付けの体育倉庫が見えた。


 そこから望めるグラウンドに人気はなかった。


 期日前投票もあって、こんな暑い昼日中に訪れるものもあまりないのかもしれない。


 その前を通り、目の前の体育館棟へ。


 そこが会場であり、入口から黄緑色のビニールテープが屋外に至るまで敷かれている。舌がでろりと伸びているようだった。


 その招きに応じるように入り口に近づくと、前に青年。腕に腕章をつけている。


「こんにちはー。こちら選挙会場です」

「こんにちは」


 僕はその直前でイヤフォンを外していて、愛想よく返しながら、入場した。


 そこは体育館棟ではあるものの、一階二階は普通の校舎と同じ作りだ。三階から上が体育スペースとなっていると記憶している。


 懐かしさと一見さんが入り混じったような感覚。


 やはり中は閑散として、静かだった。


 廊下の先にはホワイトボードによる敷居が建てられており、廊下に入ってすぐ近くの開け放たれたままの教室が投票の会場となっている。


 僕は近くのアルコールを手に吹き付け、教室内に入り、中の長テーブルの前で鎮座する老人、老婆の係員にそれぞれ挨拶して回りながら、投票していった。


 久しぶりに筆記すると、鉛筆を持つ手が少し震えたが、幸い敷居がある。誰に見られているわけでもない、と思えば心は少し楽になり、過ぎてみると、大したことはなかった。


 体育館棟を出ると、先ほどの青年がまた挨拶してきたので、僕は謙虚そうにまた腰を曲げながら、来た道を戻っていく。


 帰り道は、そうしてすこし気持ちにゆとりができた。


 何でもない。そんな風にして、けれど時代は知らない間にも移り変わっていく。


 もしかしたら、僕の知っている人たちは既にどこかに移り住んでいて、近所にはもういないのかもしれない。


 景色を眺めながら進む道は、どこか懐かしさで心も踊った。晴れやかだ。


 期待していたような出会いもなかったのに。


 まぁ、そりゃそうだ。そんなもんか。


 と思って、歩道橋の階段を登り、渡る時、向かいから子供が二人駆けてきた。「待ちなさいーこらー」なんて心にもないように言う女性の声が、二人の笑い声に続く。


 家族だ。


 二人の小さな女の子、その後を追う母親と父親。


 何事もなく、すれ違う、その瞬間……見たことがあるような気がした。


 あの声。あの話し声に、振る舞いに既視感を覚える。


 けれど、どちらも振り返らない。


 しばらく進んで、四人の気配がどこかへ行った頃、歩道橋の対岸から振り返り、地上四車線分の長い通路を見た。


 高架から伸びた影に一面包まれて、少し黒ずんだ風景。


 そこにはもう誰もいない。


 確かめなかったから、本人であるかどうかも分からずじまいだったし、もしかしたら急に込み上げたセンチメンタルがそう思わせただけで、まったくの勘違いであるかもしれない。


 事実、そのはずだ。


 考えてみれば、彼女がこんなとこにいるわけがなかった。


 彼女は今、国内で勇名を馳せた名画家として活躍しているはずだから。


 今もどこかの丘の上で、子供たちに囲まれながら、絵を描いているはずだ。少なくとも、僕はそんな風にあの人の未来を想像する。


 そこに僕はいないけれど。


 ——けれど、もう少し、勇気を出してみてもいいかもしれない。


 投票はできたのだから。


 もう一度といわず。


 もう少しだけ。


 僕自身の道を。


 まだまだ盛りに撫ぜる夏の風の匂いを嗅ぎながら——、そうして僕は再び歩き始めた。


 ◯


 その日は個展の開催される初日であって、自身の著書や手がけたゲームソフトなどなどの販売時間を待って、お店の前で様子を伺い、(たむろ)する怪しい御仁らを倣うように、私は会場の近所を落ち着きなく彷徨いていた。


 時刻は朝の九時前。


 注文した通りの立地で、海が広く、空が高い。かつそこそこビルも林立していて、当館の前には子供たちが走り回れるような簡素な公園もある。


 私は時々堪えきれぬ承認欲求、並び自己顕示欲に堪え兼ねて、道ゆく一人一人ににやにやとしながら声をかけ「あそこで開催される個展、実はあれ、自分のなんすよ」なんて声をかけたくてうずうずしていた。


 頭の中の議事堂で議員が高らかに立ち上がり、討論を始める。


 本日の議題は有名人、存在を匂わせるべきかについて。


「さりげなく取れば何も問題はなかろう。仕方なかったのだ。私はただ気まぐれにサングラスを外してしまったというだけのこと。太陽をその目で直に見たかったのだ。それで気付かれてしまう私の魅力に問題がある」


 すかさず向かいの議席に立つ議員が、指を揃えた手のひらを差し出して返した。


「待て待て待て待て。自身の個展を前に、周辺をあからさまにぶらついた上、しかも、これ見よがしに素顔を晒すなんて、分かり易すぎる!! アホなのか、お前は。また炎上するだけだぞ!!」

「有名人なんて炎上してナンボだ!! 目立ってるってことでいいじゃないか!! 丁度いいわ〜、むしろぬるま湯かな? って思ってればいいんじゃ。根性なし!!」

「んだと!! そういってまたこのご主人、問題ばかり起こして、旦那にも迷惑かけんだろうが!! いい加減にしないと、そろそろあの人だってキレるぞ」

「良いって言ったもん!! そんな私が可愛いって言ってくれたもん!! それにそうやって下手に出てるからつけあがんだよ。凄いのは有象無象ではない!! この私だ!! 天地がひっくり返ろうとも、その事実は覆らないっ!!」

「ずっと昔のイグノーベル賞で、才能ではなく運だって証明されてますー、はい論破ー。ざっこお前ざっこ」


 白熱し、やはり殴り合いの勃発する議会の様子ににやにやしながら、すれ違う人には怪しげな目線で見られたものだ。


 さりとて、おかげさまで個展は盛況だった。


 海外に名だたる美術館ほどではないにしろ、若手で美人でおまけにユーモアもあり、渡航歴も豊富、多国語をこなす私がプロデュースしたのだから、間違いもないだろう。


 テーマは遊び心。童心。


 それから、それ故の失敗。


 というか、私の人生にそれ以外のものがない。


「大人になることの何が偉いの? そんなステレオタイプの人間はごまんといるわ。彼らはそうして自分の価値を諦めることを、汎用的な人間に貶めることを自ら選んだのよ、それが普通だって言ってね。本当につまらない発想だと思う。普通だなんて、そんなことを自慢するようになったらそれこそ人間の終わりね。大人になって情けないと恥じるべきだわ。そしてそんな電波をこそ遮断するべきね。いらないもの。私は違うということに命を、人生をかけた。それだけ。悔しかったら、貴方も子供のように絵を描いてみたらどう? ピンク色のお空に、真っ青な大地、人は赤くて、犬は紫色。そうでなければならないなんて、誰が決めたの? 冴えない人生でも、少しは楽しくなるかもしれないわ」


 私のこの発言は翌日、大々的に各ニュースやまとめサイトやSNSで取り上げられて、絶賛炎上中である。


 だけど、それでいい。

 カオスな方が、何もない日々よりもずっと楽しい。


 私はそれからも度々美術館を抜け出すと、目の前の広場にある丘を登り、その天辺(てっぺん)になったミズナラの幹をぐるっと囲むように設置されたベンチに座って、ぼんやりとしたり、飽きもせず絵を描いたり、寄ってきた子供たちと遊んだり、スタッフに発見されて、連れ戻されたりした。


 その時も休憩がてら、木陰で休み、あまりスタッフを困らせてばかりもいけないなーと立ち上がり、伸びをしつつ、丘を降りようとした、その時だった。


「とうちゃーくっ」


 私の横を抜けて、小さな男の子がベンチに片膝をつき、ミズナラの幹に手をついていた。視界を回すと、少し遅れて、小さな女の子が上がってくる。


「あー、待ってよー。早いよー」

「へへっ。お前が来るのが遅いんだよっ」


 そんな風に言って、ベンチに座る。木陰に並ぶ。


 デジャヴだった。


 一枚の絵がその二人に重なって見えた。


 いたく、懐かしいと思う。


 そうして、いつか、見えもしない、触れもしない、目の前の何かを追いかけていた頃の感傷が、一息に吹き上がって——、


 そして、瞬く間に消えていく。


 けど。


 私は笑う。


 それでいい。


 大切なのは、目の前にある、今だから。


 私は微笑んで、その光景を見送ると、丘を一歩進み、彼らにその場所を譲るようにして、降りていく。


 その時、声が聞こえた。


「千歳っ!!」


 スタッフの一人が丘の下から声をかけてきていた。手を振りながら、大きな声を出している。もう片方の手で、自身の隣を指しながら。


 私はそこに信じられないものを見た。


 もう高校の時のような金髪ではなかったものの、見紛えるはずもなかった。


 隣に代わり映えのしない女も一緒にいる。


 女は愛想良さそうに手を振り、一方はどこか、生き恥を晒したような顔でこちらを見ていた。


 私は年甲斐もなく歓喜して、坂を駆け降りていく。


 丘の上で、今日も、白詰草が風に揺れていた。




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