月見台とヒスパニオラで金星を一緒に観察しよう、あとシノノメの親戚の話
「ビル、こんにちは」
急にユータが来たので、ビルはすこしビックリした。
「や、やあ、ユータ、1人かい?」
「いや、シノノメとシノノメのお父さんも来てる。何かいろいろ忘れ物があったとか、それでね、ビル、君に聞きたいことがあるんだけど…」
ビルはやっぱり驚いていた。みんな行ってしまったから、もう月見台はビル1人しかいなくなると思っていたのだ。
「何だい? それってボクに答えられそうなこと?」
「わからない」ユータは正直に答えた「でも、他に訊ける人がいないんだ。これから金星探査しようと思うんだけど。何を調べれば良いと思う?」
「ええ?」ビルはまたビックリした「金星をかい? それは楽しそうだけど、どうしてボクに訊くんだ? ユータが調べたいことを調べれば良いと思うよ」
「それ、何だけどね…」ユータはちょっと困った顔つきになった。それから太陽系模型の金星の近くに歩いて行き、顔を近づけてビルが手を入れた金星を間近に観察する。
「金星探査はするんだ。しなけりゃ行けない。これから先、宇宙に出たら、戻ってきてもう一度調べるってことができなくなるから、調べるのは今しかないんだけど…」ユータは顔を上げて、ビルのほうに目を向けた「何を調べたらいいのかわからない。調べないといけないのはわかっているけど、何を調べたらいいのかわからないんだ」
冗談で言っているのではなさそうだった。ユータは本当に困っているように見えた。だから、ビルも真剣にユータの問いに答えようと思った。
「金星で興味のあることは?」
「それがない、だから困ってる」
「太陽系の他の惑星は調べないの?」
「それは調べる。調べることも決まってる」
「水星は?」
「天体宇宙船ヒスパニオラが航行していく場合、地球軌道くらいまでならエネルギー不足に悩まされることはない。太陽があるからね。だけど外宇宙に出るにはエネルギーというか日照が不足だ。エネルギーだけなら超空間技術があるから無限大のエネルギー補給ができる。だからエネルギー不足は根本的な問題ではないんだけど、ヒスパニオラでは擬似生態系を作って、なるべく地球と似たような環境を作ろうと思ってる。そうすると超空間エネルギーだと無駄が多すぎるし、そもそも地球の生態系とマッチしてないんだよ。そう言ったわけで、ミニ太陽を作ってヒスパニオラの周囲を公転させようと思ってるんだけど、その際の輻射量とヒスパニオラに到達する光源スペクトラムの影響や遮蔽度数などは計算だけでは心許ない、水星での太陽光の実測値で補おうと思ってる」
「へ、へぇ」立板に水みたいな勢いで説明されて、ビルは面食らってしまった。普段からずっとこんなことをユータは考えてるんだ「じゃあ、火星は、火星では何を調べる?」
「火星には2つの月がある。ヒスパニオラの将来の構想としてミニ太陽を置くことは、今、話したけど、実際には2連星系で天体宇宙船を運用するのは安定性の上で無理があるんだ。最低でも3体使って、トロヤ群を構成するほうが良い。火星とその月はトロヤ群ではないけれど、3体問題のレアケースとして詳しく観察しておきたいんだ」
「小惑星帯は?」
「マッハポイントがある」
「木星は?」
「ミニ太陽、ヒスパニオラbとしようか。最初のヒスパニオラbについては着火の必要があるから水素を太陽から持ってくる。ただ太陽近傍でヒスパニオラbを肥大化させるのは安定性の面であまりよろしくない。ヒスパニオラbの水素源の大部分は木星で調達しようと思っている。あとヒスパニオラ連星系を安定にするために3体でトロヤ群型の連立微分方程式解の一個を担う天体を木星か土星付近で調達しようと思ってるんだ」
ビルは次第にめまいがしてきた。この上、太陽系天体をいくつか挙げたとしても、そのすべてにユータは理由をつけてしまうだろう。全部聞いてみたいという願望もないではないが、どちらかと言えば、聞いてる自分のほうがもたない気がする。
ユータの返答を聞いてるうちに、ビルは、ユータが太陽系惑星についてヒスパニオラの運航に関することにしか興味がないことにも気づいた。いまはそういう時期だから、ユータの興味がヒスパニオラに偏るのは無理もない。だが、だからこそ、金星のことをビルに訊ねてきたのだろう。金星について調べなければいけないことをユータは、本能とでも言ったらいいのか、何かで感じているようだ。でも、ヒスパニオラのことで頭がいっぱいでうまく考えられない。ビルにはユータがそんなふうに見えた。
ビルは質問の仕方を変えてみることにした。
「火星、地球、金星、この3つの惑星はよく似ているね」
「うん、とてもよく似ている。火星が少し小さいぐらいだ」
「でも、その状況はとても違う」
「いや、そんな違わないと思うけど。火星はすっかり冷えてしまって、地球は表面が冷えて固まった。火星は表面も固まったばかりで、まだまだ熱い。違いはそれくらいだよ」
「何だって?」ビルは驚いて声を上げてしまった「金星の地表面温度は5〜600度もあるんだぞ。地球と全然違うじゃないか?」
「地球の中心温度は6000度だよ」ユータはさらりと言った「さっきも話がでたけど、火星と地球と金星はとてもよく似ている。惑星の成因にはいろいろあるけど、こんな近くのものが別々に違うでき方をしたとは考えにくい。だから、全部、出来立ては6000度のかたまりで、それが徐々に冷えて、火星がいちばん早く冷えて、その次に地球、それから金星はまだだいぶ熱い、そんな感じなんだと思う」
「金星の温室効果は?」
「それは温室効果っていう言葉の使い方が間違ってる」ユータは断言した「温室効果なのは確かだけど、それは太陽輻射を蓄熱しているのじゃなくて、金星地表面を保温してるんだ。分厚い炭酸ガスの層で保温されてるからで…、あ、そうか…、わかった」
とつぜん、ユータが声を高く上げたので、ビルはまたまた、ビックリした。ユータはビルの驚きなどお構いなしで、思いついたことを早口でまくし立てる。
「金星は過去の地球なんだ。火星が未来の地球、地球のデータは十分で、火星のほうは収束間近いので、データとしてはあまり必要ない。問題は金星で、現在の金星を観測するだけではダメで、pZFTサンプリングが必要だ。でもそうするとサンプルの位相数を増やす必要があって…」
ここで、ユータは、ハッとしてビルのほうに顔を向けた。それからおずおずと申し訳なさそうに話し出す。
「…あの、ビル…、悪いんだけどさ、お願いがあって…」
ビルはちょっと身構えた。いったい何をお願いされるのだろう。ビルの変化を感じたのか、ユータはものすごく丁寧な口調で話し出す。
「金星は適時観察で良いと思ってたんだ。でも、過去線と未来線を推定する必要があることに気づいた。特殊なサンプリング位相を使うんだけど、ヒスパニオラからのリモート観測だと、サンプリング位相の相対位置が固定できなくて…、だから月見台から金星の観測を手伝って欲しいんだ」
「それは、ボクにできることなのか?」
「できる」ユータは言い切った「これからそれを説明する」
「あの、ビル? ユータとお話し終わりました?」
ビルは、膨大なユータの説明を受けて著しく消耗し、椅子に腰掛けたまま動けなくなっていた。それでも、どうにか我にかえり、シノノメの問いに答えた。
「うん、終わった、…と思うよ」
「お疲れのところ、すみませんけど」シノノメはすまないなどとは微塵も思っていない口調で言う「吉祥の親戚が月見台に来るらしいので、もし、来たら、相手してもらって良いですか?」
「シノノメの親戚?」怪訝な顔でビルはシノノメに問う「誰? 相手するって、ボクはどうしたらいい?」
「二瓶初美です」シノノメは言う「来たら、シノノメに教えてくれれば良いです」
「それは、構わないけど…」ビルはまだ不審げだ「何しに来るの?」
「さあ?」シノノメは他人事みたいに首を捻った「シノノメの家系は先読みの家系でしてね。先のことはわかるんですよ。でも、わかるだけだし、何しにって言われても…、本当に…。吉祥家って変な人ばっかりだから、何しに来るかなんてほんとうにわかりません」




