涙の授業、吉祥学園初等部施設の開放と基地利用に関する取り決めについて
教壇にすっくと立った轍先生は、涙を堪えて生徒のみんなに対峙していた。
「みなさん、これが先生の最後の授業になります」
この言葉に教室中が喝采で湧いた。先生は感動にむせて涙が止まらなくなったのだが、生徒たちの拍手の意図は先生の思いとは別のところにあるかもしれない。
「思えば学園設立には艱難辛苦、難行苦行の連続でした。これもひとえに生徒のみなさんのため…」
ここでユータはシノノメのお父さんの方を見た。先生の言葉をニコニコしながら聞いている。確か苦労したのはお父さんのほうだったと聞いていたのだが、もしかしたらユータの勘違いかもしれない。
「…けれども、私たちは宇宙に出ました。いままで私たちを縛っていた法律の足枷やご近所付き合い、そういった煩わしい、すべてのものから解き放たれたのです」
ーーいや、それは違うんじゃないかな
先生の演説はまだ続く。
「そう言ったわけで、この学校も授業という枠から離れて自由を満喫する時がやってきました」
ーーますます違う
先生は右手を差し伸べ、トッペン、コイントス、メロゴールド、そしてオールインワンを招き入れる。
「動物のみなさんも出入り自由です」
ーートッペン、コイントスはともかく、メロゴールドも? まあ、本人がゴリラだって譲らないから良いのかもしれないけど…。オールインワンは違う。
「学校の施設も自由に使えます。いままでの放課後と同じようにです。簡単に言えば授業がないだけ、それしか違いはありません」
ーーいままでも授業はほとんど無かった
「みなさんの学び過ごした吉祥学園は不滅です。先生が普通の女に戻るだけ、そう、これから私は愛に生きる。みなさん、ご機嫌よう」
そして先生、いや、元先生か。手を振りながらご主人と手を取り合って退場した。
轍さんの退場後、皆、どうしたものかと考えあぐね、その場で固まっていた。シノノメの顔を見るのが怖いので、みんな黒板を凝視して視線を逸さなかった。
「先生が行っちゃったから、PTA会長に訊いてみたんだよ」
ユータはみんなの前で説明を始める。ユータに任せておけばなんとかなる。たぶん、だけど…
「PTA会長って誰?」
「インチさん」
「ああ、そっか、そんな話あったなあ。アイムすっかり忘れてたよ」
「うん、それで学校なんだけど、基地にするのが良いんじゃないか、って言うんだよ」
ーー基地?
ーーまた、変な話になりそうだ
「インチさんが言うにはね」ユータはしきりとインチさんを強調した。自分の意見ではない、とでも言いたいのだろうか「子どもっていうのは秘密基地を作るものなんだって、大木のウロとか土管とか廃屋とかテントとか、あとダンボール箱を重ねたりとか」
「あ、それ、アニメで見たことある」ベッコウが言った「秘密基地でおやつ食べるんだよ」
「学校も何してもいいってことにさっきなったみたいだし」アイボリーはポケットからチョコサブレを取り出し、みんなに配ると自分も一枚食べ出した「アイム、とても良いことだと思うよ。給食まで待ってるとお腹空くし」
「給食はいままで通り、シノノメとユータのお母さんが作ります」シノノメもチョコサブレは気になるが、あとで食べようと思った「おやつは構いませんが、給食はちゃんと食べてください」
「ちゃんと食べるよ。アイム給食大好きだもん。コロッケもあるし」
「何してもいいんなら、校庭にバオバブ持ってくるか」コーラルもやる気まんまんだ。
「まあ、そんな感じでさ。どんどんやってもらっていい。でも、学校だからひみつってわけにはいかない。だから、公開基地になるんだけど、2つ守って欲しいことがあるんだ」
「へぇ、何?」コーラルが訊いた。
「ひとつめは、基地にいるのは昼間だけ、朝ごはん食べたら基地に来て、晩ごはん前に帰る。夜は家で寝る」
「昼寝はいいのか?」
「ツリーハウスで寝ていいよ」
よし、とコーラルが拳を握ってポーズをとる。
「それから、一日に一度、必ず保健室に顔を出すこと。保険の先生と必ず話してね」
「ずっといるのはかまいませんか?」シノノメが訊く「最近、気苦労が多くて、保健室は気が休まります。保健室登校というのもあると聞きますし」
「…先生が迷惑でないなら、いいんじゃない?」
「先生は迷惑じゃないそうです」
「アタシも保健室好き」コイントスが言って、ベッコウも頷いた。
「授業もないし、そのへんは大丈夫だと思うよ」
「ヒスパニオラの制御室もこっちに持ってくるか」オールインワンがつぶやいた「基地ってんなら、制御室がないとな」
「工場長も研究開発室を学校に移設するって言ってたから、そのほうが良いと思う」
「農場はもう移してあるんだ」メロゴールドが言った「こっち来てからは給食の材料が主なんで、そのほうが都合が良いって、管理人さん、保険の先生だな、彼女とも話しててさ。校庭の隣に植えてるモノで食べられそうなものは勝手に食べていいよ」
「やったあ、マンゴー食べよう。アイム、マンゴー大好き」
「マンゴーは、かぶれることあるから気をつけろよ」
「かぶれたら保健室行くからいいよ」
「でさあ」コーラルは立ち上がって黒板を指した「あれ、どうすんのさ? もう使わないよね。それと机と椅子も」
「こういうのは記念に残しておくと良いらしい」ユータが言った「よくわからないんだけど、多少ジャマでも残しておく方が良いんだって。いったん撤去して、万が一、必要になって同じもの作っても同じにはならない、とかなんとか…」
「それってインチさんがいったの?」
「そうだよ」
「ユータの父ちゃんは、なんて言ってた?」
「別に…」コーラルの問いにユータは言葉を逃した「お父さん、いろんなもの作るけど、作ったあとのことは頓着なしだもの。後片付けなんて興味ないんじゃないかなあ。あとで、うまく動かないなんてことがないから気にならないんだろうけど…」
「…と言うわけだったんですよ」
息せき切って話すベッコウに、保健室の先生はうんうんと頷いた。
「そりゃあ、たいへんだったねぇ。こっちは何も聞かされてなかったけど、そんなことになってたんだぁ」
「ね、すごいでしょ。すごい」ベッコウは興奮冷めやらず、保険の先生に向かって力説した「ワタシってば、いままで学校に通ってたってことになるんですよ。このワタシが学校に通うなんて、すごいことだと思いません?」
ーーそこなんだ
「シンタグマメソドロジーの中で、外の世界の情報をいろいろ探ってたときなんて、ワタシ、絶対、普通の生活とかできないと思ってたし、ましてや学校に行くなんて…」
ーー今も普通の生活ではない、天体宇宙船ヒスパニオラは金星に向かって航行中だ
「…でも、学校行けたのも、みんなと一緒で楽しかったけど…、学園祭、やりたかったな…」
「学園祭?」
「アニメで見たんです。学園祭。お化け屋敷とか劇とかするの。バザーとか、食券交換してお茶やケーキ食べたり…」
「やれば?」
「え?」
「無くなったの授業だけでしょ。吉祥学園はまだあるんだし、学園祭、やればいいんじゃない?」
そうか、そうだぞ、ベッコウは両の手を握りしめて、ワタシがんばるポーズをとった「ワタシ、みんなに相談してくる。先生、ありがとう」
がんばってねー、と保険の先生はベッコウを送り出す。
ひと息ついた先生は、傍らのベッドに目をやった。あれだけベッコウが騒いでいたのに、シノノメは起きる気配もなく、すやすやと寝息をたてている。
「気苦労多い、って言ってたけど、よっぽど疲れてるんだろうなぁ」
先生は、起こさないように注意深くシノノメの毛布をかけ直し、自分の席に戻ると、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。




