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12 ミルクティ

「悠哉、ちょっとこれ見てくれないか」


「どれ。ああ、ここはこうして、ブルーの網をかけた方がいいんじゃないか」


「なるほど。サンキュ」


「おう」


いつもと変わらないオフィスで、いつもと変わらないメンバーで仕事をする。


こうして普通に過ぎるのが一番いい。


何も考えずにすむ。



トオルを殴った夜の正幸との会話がふと甦る。


「…お前…それでいいのか」


自分を睨む正幸。


「二人の姿を見たから、終わりなのか…そんなもんだったのかよ、お前の気持ちって」


真っ直ぐに俺を見ながら言う正幸の言葉たちが、胸に閊えている。


「本気で追いかけてみろよ」


カーテンを開け、目の前に広がる朝日が染めた空を見ながら、そして正幸の丸い寝顔を見ながら、そうしようと思っていた。


しかしなかなか決心がつかなかった。


あの晩の美希の顔、男の姿。


追いかけたとして、美希は自分のもとへ帰るのだろうか。


そうならなかったら、どうだ。


余計に惨めになるだけではないのか。


悩んで日が経つにつれ、不安と意地が蜘蛛の糸を張ったように広がり始めていた。



気づけば4日が経ってしまっていた。


もどかしい想いを抱えながら、それでもその気持ちを忘れさせてくれる仕事をしているのが一番楽だった。


土曜の仕事が終わる。


部屋へ戻る足が重い。


一人になれば必ず美希と男の顔が浮かぶ。


胸を引き裂かれるような痛みが込み上げてくる。


一体、俺はどうすればいいのか。


情けないほど、自分の気持ちは萎えていた。


「俺らしくもねぇ」


自分の言葉に苦笑する。


いつだって何とかしてきた。


仕事でも何でも。


それがこの様だ。



携帯を開き、美希の番号を表示させる。


この4日間、何度同じ事を繰り返したろう。


ボタンに手をかけては、その度に首を振り、携帯を閉じる。


美希を本当に失ってしまう事になるのではないか。


その弱気な気持ちが自分の胸を苦しめていた。


明日は日曜だ。


いつもならば美希と会っている。


時計を見る。1時を廻っている…もう、日曜だ。


「こんな事で終わらせるな悠哉」


正幸の言葉が再び甦る。


携帯を開き、美希の番号を表示させる。


何度同じ事をしているんだ、俺は…。


押せないボタンの上で親指を転がしていた時、突然携帯が震えだした。


正幸…?なんだ?


あの晩から正幸とも大した会話はしていなかった。


「少し考える」そう言った自分の言葉を見守っているのだろう。


正幸も特に何も言ってくる事はなかった。


「もしもし」


ボタンを押し、いつもと変わらない様子を装いながら電話に出る。


「もしもし。起きてたか」


正幸もまたいつもと変わらない調子で話しかける。


「ああ。どうした?」


「…明日は…もう日曜だろ」


「そうだな」


正幸の言葉にその意味を理解する。


「連絡したか、美希ちゃんに」


「…いや」


「やっぱりな…」


しばらく沈黙が続いた後、切り出したのは正幸だった。


「悠哉」


「ん?」


「お前らしくないぞ」


「……」


「いつもの自信はどうしたよ」


「…うるせーな」


「はは」


「それより何だよ。また直しでも入ったか」


「違うよ」


「じゃ、何だよ」


「電話しろよ」


「は?」


「美希ちゃんに」


「…できねーんだよ」


「ぶ」


「何笑ってんだよ」


「悠哉」


「なんだ」


「俺頑張った」


「は?何を」


「告った」


「あ?」


「告白したんだ」


「は?誰に」


「由美子ちゃんに」


「え?」


「ずっと好きだったんだよ」


「は?」


「今日、ってか昨日?告白した」


「マジで」


「うん」


正幸が、あの由美子に?


ホントかよ。


紹介した時にすっかり諦めたのかと思っていた。


「すげーじゃん」


「だろ?」


「由美子相手に」


「だろ?」


「うん」


「……」


「……」


「…で?」


「ん?」


「返事は?」


「どうなったと思う?」


「おい」


由美子と正幸…正幸と由美子…


あの時、タイプじゃないと言ったのは由美子だ。


何となく嫌な予感がする。


「フラれたか」


「その逆だよ」


「へ?」


「OKもらったよ」


「マジで?」


「うん」


電話の向こうの声が明るい。


正幸が…と言うか、由美子がOKを出した。


快挙だ。


「すげーじゃん」


「だろ?」


「良かったな」


「うん」


「由美子はいいヤツだよ」


「ホントにな」


「え?」


「優しい人だ」


「ああ」


「悠哉」


「ん?」


「俺さ、自信なんて無かったんだよ、全然」


「は?」


「んでも頑張った」


「ああ、すごいよ」


何だ?何が言いたいんだ、正幸は。


「なあ、悠哉」


「なんだ」


「前に言ったろ、俺に。っていうかいつも言ってるだろ、俺に」


「何を」


「自信を持てって」


「…ああ」


「それで頑張ったんだよ」


「うん。だからすごいよ」


「俺が頑張ったんだぞ」


「え?」


「この俺が」


「ああ」


「お前も頑張れ」


「あ?」


「大丈夫だ」


「え?」


「俺が大丈夫だったんだ」


「はあ」


「お前だって大丈夫さ」


「……」


「…電話しろ、美希ちゃんに」


「……」


「きっと大丈夫だ」


「……」


「俺に自信を持てって言っといて、お前がそれじゃな」


「正幸…」


「頑張れ、悠哉」


「……」


「な」


「ああ」


そう言うと、電話は切れた。


正幸が告白。


いつも自信無げなあの正幸が告白。


すごい事だった。


常に受身で、自分から女に声をかける事なんてできない…と思っていた。


「あいつ…」


まさか俺を勇気付けるために?


そうか…


ふ…と笑いが漏れる。


何だよ、あいつ格好いいじゃないか。


「格好悪くたっていい、頑張れ」


あの夜の正幸の言葉。


自分だけ格好つけやがって。


携帯を見つめた後、悠哉は玄関を出た。




車を止めた後、窓を少し開ける。


すうっという涼しい風と共に、潮の香りが流れ込む。


AM3:04


車の青いデジタル時計だけが明るく光る。


夜明けまで、1時間半というところか。


シートを倒し、悠哉は少し伸びをした。


この場所だ。


4年前、美希と見た海。


偶然に出た場所だった。



すっかり道に迷い、途方に暮れていた。


隣りに座る美希は、コンビニの大きな袋を抱えながら、時折コクリ、コクリと眠たそうに首を折っていた。


ビニール袋を美希の腕の中からそっと取り上げて、リアシートへ移した。


それに気づいた美希は小さな顔を持ち上げた。


「ありがと」と言いながら、眠そうな目を無理に開いて。


ドリンクホルダーに置いてあったミルクティをくいと飲んで。


方向感覚には自信があった。


近道をして帰るつもりだった。


なのに美希を乗せたまま、しっかりと迷ってしまった。


格好をつけるつもりで入った脇道が間違っていたのか…


不安げな美希の顔。まずいな…と思っていた。


自分は美希が好きだった。


童顔に低い背。入学した時から可愛いと思っていた。


サークルで一緒になり、その仲もぐっと縮まっていた。


買出しに行く直前の由美子のウインクが浮かぶ。


美希もまた、俺の事が好きだろう。


変な自信だが、それは何となく分かっていた。


しかしなかなかその先に進めないまま4年生の夏を迎えていた。


再びコクリと首を動かす美希を見ながらため息をついた。


空は薄っすらとすみれ掛かっていた。


細い砂利道を通り、木の間を通り抜ける。


ガコンッと何かにタイヤを乗り上げた。


「きゃ」


車の揺れに驚いた美希が顔を上げる。


「ごめん」


頭をかきながらその道を抜けた時だった。


「すげ……」「キレイ…」


目の前に海が広がった。


空と海。


水平線を染める黄色い光。


青いグラデーションの境からゆっくりと顔を出す太陽。


静かな波を光が染める。


目の前のフロントガラスには、その景色以外の何も映っていなかった。


ただ一面に広がる大きな海、広い空、眩しい朝日。


窓から聞こえるゆったりとした波の音が二人を包み込んだ。


息を呑む。


隣の美希の横顔を見つめた。


大きな目を見開き、美希もまた息を呑んでその景色を見ている。


綺麗だった。


目の前に広がるその景色と同じように。


ゆっくりと美希が自分の方へ顔を向ける。


時が止まったような気がした。


そのまま両手を伸ばし、美希を抱きしめた。


触れる美希の唇から、ミルクティの甘い香りがしていた。


その時から二人の時間が始まったのだ。


ずっとこの気持ちのまま、変わらずに時間を積み重ねていこうと。


美希との時間をずっと大切にしようと。


美希を抱きしめながらそう誓ったはずだった。



AM4:27


薄っすらと空が色づいてきた。


道に迷ったあの時と同じだ。


波の音が流れ込んでくる。


ゆっくりとシートを起こす。



「…すごいな」


空と海が広がっている。


波が輝く。


あの時と同じ景色がまた、フロントガラスに広がった。


太陽が昇る。


ブルーのグラデーションの隙間からゆっくりと。



終わっていない。


まだ終わってなんかいない。


今、また始まったんだ。


ドリンクホルダーに置いたボトルに手を伸ばす。


その景色をしばらく見つめた後、悠哉は目を閉じ、唇に残るミルクティの味にこれまでの4年間を思い返していた。





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